永遠の花 1/2/3/4/5/6/7/8






「朋和が…なんやって?」
 後ろから回された腕を適当に払いながら、珱が斎を振り返った。
 部屋に帰ってくるなり、斎がまとわりついて邪魔をするのはいつものことだけれど、今日は特に浮かれている。さっきから何度もテーブルの上を片付けようとするのを阻止されては、じゃれついてくる腕を振り解いてシンクに向かうという繰り返しだ。しばらく意地悪く邪魔にしていたが、いい加減面倒臭くなってしまった。というより、斎の行動は時々あまりにも子供っぽすぎて、邪険にする方が馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。
「朋和がどうかしたんか。あの…ヒカリやったっけ、あいつと、何か?」
「んー」
 斎は珱の首筋に顔を埋めてクン、と鼻を鳴らしている。クンクンクン…と小刻みに息を吸ったり吐いたりする様子は、まるで子供か犬だ。
「なんか知らないけど、進展してる感じ」
「進展?」
「そ。こないだの連休に、ふたりで京都にある兄貴のマンションを片付けに行ったんだって。んで、その晩そこで泊まって、抱き合って寝たってよ。つってもホントにただ寝た、だけらしいけどな」
「―――は」
 最後の抵抗で大きな体を押し退けようとしていた珱の腕が、ピタリと止まった。驚いたからだ。
 抱き合って?
 朋和とあの少年が?
 と言うより、
「あの朋和が? …って、マジで?」
「そ。あの朋和が、マジで」
 予想通りの反応が返ってきたらしく、斎が耳の後ろで満足そうに鼻を鳴らした。
 珱が驚くのも無理はない。
 朋和は珱と同じく、決して人付き合いが得意な方ではない。どちらかというと近寄りがたい雰囲気があって、他人と打ち解けるのにかなり時間がかかるタイプだ。初対面の時にお互いに散々苦労したから、珱は誰よりもそれをよく知っている。斎という緩衝材がなければ、とてもじゃないが自分だって今のように朋和とすんなり打ち解けていたとは思えない。
 その朋和が知り合って間もないヒカリと抱き合って眠ったなんて、信じられないどころか、ありえないとさえ思ってしまう。
 珱は大きく肩を揺すって斎の腕から逃れると、斎と正面から向き合った。
「なんやそれ。あのふたりて、…そうなん?」
「さあな」
 斎は本気で面白がっているようで、ニヤニヤ笑いを隠そうとしない。
「子犬を抱っこするみたいだったってよ。あいつ案外お子様。カワイイじゃねーの」
「かわいいて、おまえな…」
 おまえがヒトのコト言えんのか。犬はおまえだろ。
 と、言いかけて我慢する。ここで惑わされたら敵の思うツボだ。
 しかも、斎の爆弾発言は別の意図もあったらしい。
 気がつくと珱はまんまと抱きしめられて、いつの間にか腕も腰もがっちり固定されてしまっていた。しまったと思ったがすでに遅かった。
「コラ、じっとしてろって。暴れたら噛むぞ」
 笑いながら本当に首の後ろを噛んでくる。斎はしっかりスイッチが入ってしまったようで、服の上から胸や脇腹に触れてくる指の動きはかなり本気だ。珱がわざとらしくため息を吐いても、軽くないスキンシップを途中で止める様子はない。こうなったら斎はしつこい。ようするに、このまま隣の部屋に拉致されるのは時間の問題ということだ。片付けは明日の朝かよ…と苦笑しながら、珱はとうとう諦めて自分から斎の首に腕を回した。本能に任せた欲求とは別に、斎は話をしたがっている。それならこちらから折れてやるのもたまにはいい。
「あの朋和がな。なんかすごく気になってるんやなとは思ったけど」
「だろ」
「それで? お前はなんでそんなに嬉しそうなん?」
「さあ? なんでだろうな?」
 珱を軽くホールドしたまま、斎は本気で不思議そうに首を捻った。しゃべりながら首筋にキスされると、くすぐったくてしょうがない。
「あいつさ、お前もよーく知ってると思うけど、誰でも彼でも打ち解けるタイプじゃないし、やっぱなんか感じるものがあるんだと思う。ヒカリってどうも…」
「どうも、なに?」
「たぶん相当訳ありな奴なんじゃねえかな。似てる、おまえと」
「ふうん。ワケアリ…ね」
 斎の何気ない一言にドキッとした。
「惚れたら大変てコトか?」
「さぁな。人によるでしょ」
「なにソレ」
 さらりとかわされてしまって悔しい。物がわかったふうに斎が笑うのも気に食わない。
「笑い事やないやろ。ヒカリが事情のあるような奴なら、なおさら」
「惚れたのかって聞いたらまだわかんねえって。そういうの、わかんないわけないだろってちょっと煽ってやったけど、どうなるかはナニかあってから。出たトコ勝負ってな」
「ったく…おまえは。そういうコト無闇に煽んな。そういうの朋和は難しい。わかってるやろ」
 ふと、斎の笑い声が止んだ。次の瞬間、
「好き」
「…ハイ?」
 言葉の意味がわからなくて、珱の声がワントーン低くなる。
「ナニ?」
「俺は、おまえが、マジで好き。おまえは?」
 斎は珱の不審そうな様子をまったく意に介していないようで、ケロリと恥ずかしい台詞を繰り返した。
「好き?」
「あのな」
「言えよ」
「……………俺、…も」
「ホラ簡単じゃん」
「簡単じゃねえよ」
 頬をカッカさせながら、間髪入れずに言い返す。からかわれているのがわかるから、よけいに照れ臭い。本当に、冗談じゃなく耳まで熱い。
 今さらに、相手が斎だと知っていてすら、珱は未だに自分の本心を口に出すのが苦手だ。言おうとするとバカみたいに緊張して、言葉がまったく出てこなくなるのだ。
 それでも、好きな相手に『好き』と言えないよりずっといい。
 ただ心で思うより、言葉にした方が思いがもっと深くなるような気がする。言葉の抜け出た部分が、別の何かでいっぱいに満たされていくのがわかるから。自分の気持ちが相手にちゃんと伝わっているのだという手応えは、固く閉じている感情を解きほぐしていく鍵になる。
 斎といると本当に、何度も心からそう思う瞬間があるのだ。ちょうど今のように。
「好きになるのなんて簡単だろ。理由とか事情とか全部すっ飛ばして、好きになる時はどんなに目を逸らしても我慢しても、絶対好きになんてなるんだよ。ホントに難しいのは、死ぬ気になって必死にやらなきゃならないのは『好き』の後で、そこから先がうんといろいろあるんだから。そこをちゃんと通り過ぎとかなきゃどうにもならないものとかさ、あるだろ」
「どうにもならない…?」
「自分がな、始まらないっていうか。なんでおまえがイイのかとかさ。口だけじゃなくて、マジで腹括んなきゃやってらんないし」
 さっきまではしゃいでいたのが嘘のように、斎の声は静かだ。いつもより言葉がぎこちないのは気のせいだろうか。
 斎は身体を離すと、珱の瞳を覗き込みながら親指で自分の心臓の上をトン、と突いた。
「誰に教えられるより先に、自分のココで、ちゃんと知っとけって思うだろ?」
「斎…」
 ひとりではどうにもできなかったことが、誰かがそばにいるだけで何でもないことのように思えてくる。明日が来るのが怖くなくなる。昨日より強くなったような気がするのは、きっと。
 同じなのだと思った。誰に対してでもなく、斎は自分に言い聞かせているのだ。
「そうやな。俺もそう思う。……好き、斎」
 どさくさに紛れて、さらっと口にしたら。
「今の、それ、……もっかい言って?」
「好きってか? すげえ好き。めっちゃ好き。もいっかい?」
 訊くと斎はうんうん、と頷いて涙目で見つめてきた。
「なんか、すっげ感動〜……」
「おまえってホント単純っていうか…」
「うるせいよ」
 目を合わせて笑って、痛いくらいぎゅうっと抱きしめあう。斎の大きな手のひらが背中をゆっくりと上下するのを感じながら、珱は朋和とヒカリの姿を心に思い浮かべていた。
 彼らもこうやって抱き合ったんだろうか。こんな気持ちで。こんなふうに、たまらない愛おしさを互いに感じたんだろうか。だったらいいのにと心から願った。




 休日の朝は快晴だった。梅雨の晴れ間はそう長くは続かないものだけれど、夏を思い起こさせる強い日射しを浴びていると心が浮き立つ。朋和は早々に朝食を済ませると、ヒカリを京都へと誘った。
「今日もう一回、一緒に兄貴のマンションへ行こう」
「どうして? こんなに急に…。片づけをしなきゃいけないのはわかるけど」
 突然の誘いに、ヒカリは思わず疑問を口にした。朋和の口調には穏やかだがどこか有無を言わせないような、強い響きがあったからだ。戸惑いを見せるヒカリを安心させるように、朋和がそっと腕を伸ばしてヒカリの肩を抱いた。最初はふわりと包むように。それからヒカリの意思を確かめるように、ゆっくりと朋和の腕に力が込められていく。
 そっと優しく抱きしめられる。そうしたら縋りつきたくてたまらなくなる。
「あんたと一緒に、もう一回京都に行きたい。兄貴の遺品をどうにかするとかじゃなくて、あの部屋であんたと過ごすために」
「待って、言ってる意味がよく解らない…」
「嫌か?」
「嫌じゃないよ、嫌じゃないけど」
 こんなに強引な朋和を、ヒカリは見たことがない。
 先を急ぎすぎている感じがする。思い詰めていると言ったほうがいいだろうか。何よりも、自分をじっと見つめてくる朋和の瞳はあまりにもまっすぐで、胸の内をまともに見透かされてしまいそうで怖かった。
「どうしたらいいかわからない。朋和…はどうしたい?」
「やっと、"朋和さん"じゃなくなった」
「あ…ごめん」
「謝るなよ。朋和でいい」
 照れ臭そうに笑う声はやさしい。
「朋…和…」
「お願いだから、黙って俺の言うことを聞いて。伝えたいことがあるんだ」
 息が詰まって目を開けていられない。けれども閉じることもできない。朋和の声がうんと近くから聞こえて怖いくらいだ。
 ヒカリは頷いた。と同時に、自分から朋和の胸にしがみついた。朋和は少し汗ばんでいて、綿のポロシャツの下の骨格がよりくっきりと感じ取れた。
 胸に手のひらを沿わせて、朋和の心臓の音を確かめた。
 夏を思わせる太陽が、ガラス窓を通して剥き出しの腕をちりちりと灼いていた。



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