永遠の花 1/2/3/4/5/6/7/8









「お二人ともお食事はお済みですの?」
「ええ、今済んだところです。とても美味しかった。ご馳走さまでした」
 キッチンから顔を覗かせたハツに、テーブルの食器を片付けていたヒカリが手を止めて、にっこりと微笑んだ。
 結局京都で丸二日間ふたりきりで過ごして、朋和とヒカリは東京へ戻った。今日は三連休の最後の日だ。陽が高くなって二人が起き出すころには、ハツは櫻井の家を訪れてすでに朝食の支度をしてくれていた。
「あらあら、いいんですのに。私が片づけますから、ヒカリさんはお部屋でさっき届いた荷物の整理をなさって下さい。いつまでも片付かないと、落ち着かないでしょう?」
「すみません。じゃあ今日はそうさせてもらいます。荷物なんてないと思ってたんですけど、向こうに行って見るとけっこうあってびっくりしました」
 ハツが目を細めて笑った。
「そりゃそうですわ。人がひとり生きてるんですもの。知らないあいだに増えていくものです。荷物も…思い出も、ね」
「ほんとうに…そうですね」
 ヒカリの表情が何かを思い出すように緩んだ。



 二階の窓から見える風景は青々とよく茂った庭の緑。ハツが丹精をこめて手を入れた花々が、季節ごとに色々な顔を覗かせる。薄紫の背の高い花。鮮やかに輝く赤の大輪。地面すれすれに群れ咲く花はまるで黄色い絨毯のように遠くまで広がっている。
 花の名前は全然知らなくても、朋和はこの庭が好きだ。たまに気が向いて庭を歩くといつも何か目新しい蕾が花開いていて、同じ表情をしていることが無い。
 『手をかけて慈しんでやると、花にはそれが伝わるんですよ』
 庭に立つ時のハツの口癖だ。この庭を見ているとその意味がよく分かる。明るい陽射しが照り付ける初夏の庭をぼんやりと眺めながら、朋和はさっきのヒカリの表情を思い浮かべていた。
 寂しい表情だと思う。
 思い出すものはあるはずだ。朋和が知らないヒカリの過去に、少なくとも秀和と過ごした1年という時間は確かにある。そしておそらくそれ以外にも。
 京都から戻ってからも、ヒカリは相変わらず朋和に自分のことを話そうとしなかった。笹岡がわざわざヒカリに会いに来た理由も、おそらく話してくれないのだろう。
 自分がヒカリのことを何一つ知らないのだと思うと、朋和の心はなぜか沈んで、ひどく寂しい気分に襲われた。
 春の顔をした庭の花は終わりかけていて、また新しい花が咲き始めている。外はもう夏の気配が見え隠れしているというのに、自分にはまだ何も見えていないのだ。
 朋和はふと、毎年必ず同じ場所に咲く花があることを思い出した。窓際に体を預けて覗き込むと見える場所。ちょうど朋和の部屋の真下あたりだ。
 淡い桜色や濃い臙脂色をした、小さな花々。あれは何ていう花なんだろう。細くて少し根元が丸まった花びらがぎっしりとひしめき合って、けれど派手な雰囲気ではなくふわっとした柔らかい印象がある。茎が花の大きさに比べて意外なほど細くて背が高く、どこか危うい、アンバランスな印象がある。
 もう咲いているかもしれない。
 朋和は窓際に近づいて体を乗り出した。
 花は見えなかった。うずくまる人の陰で遮られているのかもしれない。
 人影が動いた。
 一瞬、心に思い描いた花がこちらを向いたのかと思った。
 ―――――ヒカリだ。
 そう言えば以前にも思ったことがある。
 あれは秀和の事故死を知らされた時、ヒカリと初めて会った日だ。
 静まり返った霊安室の重苦しい照明の下で壁際に一人で佇むヒカリを見て、花が立っていると思った。なぜそう思ったのか、今ならよく解る。
 気づく人が誰もいなくても、強い風に攫われそうになっても、花は根付いた場所で懸命に咲こうとする。ヒカリもそうやって生きて来たような気がするのだ。
 何かを探してでもいるのか、ヒカリは地面に膝をつく格好で蹲っていた。
「なぁ、そこにふわふわした花が咲いてないか?」
 俯いているヒカリに声を掛けた。
 朋和の声が届いたらしく、ヒカリが頭を巡らせる。朋和の姿を探しているのだ。どこから声がしたのか解らないのか、うろうろと辺りを見回しながらゆっくり腰を上げた。
 懸命に自分を探すヒカリの姿をもう少し眺めていたくなって、朋和は窓枠に腰を降ろした。立ち上がったヒカリは忙しなく首を巡らせて立ち竦んでいる。もうそろそろ呼んでやらないと、これ以上はただの意地悪だ。
「ヒカリ、こっち。俺は二階だよ」
 ヒカリがパッと顔を上げた。
「ひどい、どこにいるのかと思って、探した……」
 ようやく朋和の姿を見つけて、ホッと笑顔を見せる。
 ヒカリは額に翳した手を朋和に向けて、ひらひらと二回振った。もう片方の手に何か握られている。朋和が憶えていたあの花だ。
 広い庭の片隅には名前も知らない、もしかすると目に入ってすらいないかも知れない花がたくさん咲いている。その中のひとつの花に朋和は気づいた。無数に咲いているはずの花の中で何故か朋和の目に留まり、今はヒカリの手の中にある。
 花は風にその身を揺らしながらぽつんと佇んで、季節が終わってしまったら、ひっそりと朽ちて流れていく。後には取り残されて黒ずんだ僅かな葉や茎が残るだけだ。
 その名残が土に溶けて消えてしまったら、後にはそこに花が咲いていた形跡すらも残らない。

 それでもこうして花は咲くのだ。そして誰かの目に留まる。
 どんな形にしろ、―――――どんな形になるにしろ。





「スカビオサって言うんです」
「何が?」
「この花の名前」
 ヒカリは手に二本だけあの花を持って、朋和の部屋を訪れた。キッチンから持ってきたのだろう、水の入った背の高いグラスにそれを活けて、チェストの上にそっと置いた。
 一見無造作に挿された花が実は形よく切り揃えられていることは、花など活けたことのない朋和にもなんとなくだが分かる。互いで互いを支え合うように寄り添う二輪の花は、茎の長さを少し変えて両方がよく見えるように活けられていた。
「そんな名前なんだ」
「セイヨウマツムシソウとも言うみたいだけど」
「その花、前から好きだったけど…名前、知らなかった」
 ヒカリは少し離れた場所から花を眺めて、また近づいては向きを変えてやっている。やがて満足したのか、チェストから離れて朋和のいる窓際に近づいて横に並んだ。半袖のシャツから覗いた肘が朋和の腕に触れた。
「僕もこの花がいちばん好き。きれいだけど派手じゃなくて…でも弱々しくもなくて」
「なんか…あんたに似てるよ」
 本心から出た言葉だったけれど、言ってから朋和本人がびっくりした。ヒカリが顔をこちらに向けたのがわかって、朋和の心臓が大きな音を立てる。
(もしかしてすげぇ恥ずかしいこと言ってないか、俺…)
 途端に顔がカッと火照る。
 恐る恐る顔を向けると、ヒカリの淡い紫の瞳がまっすぐ朋和を見つめていた。困ったような顔をしている。
「花に似てるなんて言われたの、初めてだよ」
「ゴメン、変なこと言ったな俺」
「ううん。言ってくれたのが朋和さんだからかな。ちょっと照れ臭いけど、なんだか、すごく嬉しい」
 言いながら、ヒカリは朋和の肩にコトンと頭を乗せた。そうすることがお互い不自然でないことが不思議だ。
 朋和はそっと手を伸ばしてヒカリの手を探した。ヒカリも同じだったのか、すぐに指が触れて、どちらからともなく掌を重ねる。
 目を瞑って細い身体を抱き寄せて、唇を重ねた。
 最初は探るように文字通りただ合わせるだけ。角度を変えて啄ばむように何度も唇を重ねてやると、ヒカリの唇が少し開いた。
 頬に片手を添えて、もう片方の手で腰の辺りを抱き寄せた。開いた隙間から舌を挿し込んでヒカリを探した。歯列を丁寧に舐めてみる。くすぐるように舌を揺らすと、ヒカリは小さく息を吐いてさらに深く唇を押し付けてきた。
 息が苦しくなって、思わず顔を反らせた。ヒカリの耳元に頬を擦り付けて少し呼吸を整える。放っておいたら気がつかないまま窒息してしまいそうだ。
 不意にヒカリの唇が朋和の首筋に触れた。それを引き戻してもう一度口づける。深く合わさると今度はすぐに舌が絡み付いてきた。
 気づくと、お互いを貪るように口づけていた。ヒカリの細い腕はいつのまにか朋和の首に絡み付いている。少し開いた唇の隙間から声を漏らして、必死で朋和にしがみついている。
 朋和はヒカリの頬を捉えていた手をゆっくりと下ろして行った。首筋から肩のあたりを手のひらで暖めるように摩ると、掌にヒカリの体温がじんと染み込んで来た。
 以前は、今にも掻き消えてしまいそうな気がしていた。
 今は―――――こうして触れ合っていると、とても安心する。何処にも行かない。少なくともこの一瞬だけはヒカリはここに、自分の腕の中にいるのだと思える。
 心に思いがけない感情が込み上げて、朋和はもう一度抱き締める腕に力を込めた。
 嬉しい。自分でも不思議だけれど、これは嬉しさに間違いなかった。ヒカリがここにいてくれることがこんなにも嬉しい。
「話してくれないか、あんたのこと。兄貴とどんなふうに会ったとか、どんな話をしたとか、何でも良い。あんたのことが知りたい。もっと…」
「もっと、何?」
 深く触れたい。もっと違う場所にも口づけたい。髪や頬や、別の場所にも。ヒカリという存在を、自分の目ではっきり確かめてみたい。
「…近くに来てほしい。もっとあんたのことを身近に感じたい。教えてほしいんだ」
 ヒカリが静かに答えた。
「話したら、きっと」
 言葉はそこで途切れてしまう。ヒカリは朋和の腕から逃れるように体を引いた。
「変わってしまう。今までと同じじゃなくなってしまう。僕はここにいられなくなってしまう…」
 ヒカリの声は消え入るようだったが、朋和にはそう聞こえた。
「それって、どういう…」
 腕を掴もうとして、出来なかった。朋和が一歩踏み出すごとに、ヒカリは倍の速さで遠離っていく。秀和もこうして遠くなって行った。どうしても行くなと言えなかった。
 これではまるで、あの時と同じだ。
「すみません、…荷物の整理をしてきます」
 ヒカリの姿を引き剥がすように閉じていく扉を見つめながら、朋和は自分が一瞬、6年前の新幹線のホームに立っているような気がした。



 連休が明けて久々に顔を会わせた斎に、朋和はヒカリと二人で京都に行っていたこと、そこに笹岡が現れたことを詳しく話して聞かせた。朋和にすれば友人に自分のことを話すのも珍しいことで、もちろんこんなことを話せるのは斎くらいしかいない。
「…で、結局一緒に寝ちゃったってか?」
 最後まで黙って聞き終えてから、斎は不思議そうな顔つきで朋和の顔をじっと覗き込んだ。
「何つうか、子供みたいだな、お前ら」
「うん、言ってて俺もそう思った…」
「それはそれは」
「おかしいと思うか? 俺はあいつのこと何にも知らないのに、一緒にいると嬉しいなんてさ」
「お前がそうしてやりたいと思ったんなら、それで良いんじゃねぇの」
 斎の落ち着いた口調は、今の朋和にとって何よりも有り難い。心の内を素直に話せる相手がいてくれるだけで、自分の足下が少しだけれど見えてくる気がする。
「泣くんだよあいつ、ここにいたいって。あいつに泣かれるとどうしていいか分からなくなる。他の奴が、例えば女が泣くのなんかとは全然違うんだ。何て言うか……体中の涙を全部出し切っちまうまで、止まらないんじゃないかって思う」
 ヒカリが泣くのを見たくない。少なくともあんなふうに、切羽詰まって行き場がないような泣き方をするのを見たくはなかった。そしてヒカリが呟いた言葉。あの時のヒカリの表情がずっと頭に焼き付いて離れない。
「何で泣くのか聞いたのか?」
「聞けるような雰囲気じゃないよ。第一聞いても答えないし、俺も余裕無いしさ。手を離したら消えて無くなりそうな気がして、こう……」
 少し躊躇ってから、朋和は斎に向けて両腕を大きく広げて身体の前で輪を作ってみせた。
「抱えてさ、子犬でも抱えるみたいに、一晩中抱いて寝た」
 ヒカリと唇を重ね合ったことは、さすがに言い出せない。そのあと何度も、もっと直接触れたいと、切実に思ったこともだ。
 斎は面白そうに目を細めて朋和を見つめている。
 もしかしたら斎は何もかも察しているんじゃないだろうか。ふと不安になるような、何とも言えない顔をする。
「リアルな大きさだねぇ。細っこいもんな、ヒカリって」
「最っ低、お前」
「……惚れた?」
 からかうような口調だが、斎の瞳は真正面から朋和を捉えている。
「わっかんねぇよ、そんなの。好きとかそんなの思ったこともないし、そんな単純な問題なら苦労はしないって」
「分かるだろ、そういうのは。経験とかそんなものなくても大事なものはちゃんと分かるんだよ、人間なんだから」
「そんなもんか?」
「そんなもんなの」
 斎がそう言うと何となくそんな気がしてくるのはきっと自分だけではないのだろう。瀬田斎という少年には、こうして相手を訳が分からないまま納得させてしまうような雰囲気がある。
 朋和がヒカリに感じている感情が斎が珱を包み込んでいるとものと同じだとしたら、斎には簡単に分かってしまうかも知れない。彼らの間に流れる空気が朋和を納得させてしまったのと同じように。そう思ったら急に気恥ずかしさが込み上げた。
 他人にそんな感情を持つことに朋和は慣れていないのだ。少なくとも愛情や執着心を自覚した経験は、憶えている範囲では、無い。
「お前は? 珱に会ったとき一発で分かった?」
「あったりまえだろ、自慢じゃないが一目惚れだ」
 しかもこと恋人のことに関して、この男は本当に迷い無く即答するのだ。
「くっさ…………」
「うるせぇよ」
 朋和が軽いため息を吐く。
「俺は時々お前のことをすげぇ羨ましくなる時がある。お前って不思議。何でそんなに堂々としてられるのかな。重くないの、珱の存在がさ」
 なぜこんなにも飄々としていられるのか、朋和は斎の態度が不思議でならない。
 おそらく斎ならばこんなことで迷ったりはしないのだろう。自分の心の動きを正面から感じて自覚することを迷わない。誰かに惹かれることはそれだけで重く、思い通りに行かない葛藤が生まれるのが分かっていて、踏み出すことに躊躇しない。それはとてつもない強さだと思う。
「珱の存在、ね…」
 ふと斎が言葉を切った。
「重いよ」
 斎は目を閉じると、噛みしめるようにゆっくりその言葉を口にした。
「重いよ、そりゃ。すげぇ重い。油断したら腰が抜けて立てなくなりそうで怖くなるなんてしょっちゅうだし、…逃げ出したくなる時もたまには、ある、かな」
「マジで?」
 朋和の声に驚きの色がありありと現れる。
 瀬田斎という男はどんな時でも珱の事が一番大事だと言い切って憚らない。だからそんな弱気な答えが返ってくるとは、正直なところ朋和は思っていなかった。そんなことあるわけないだろと、笑って返されると思い込んでいたのだ。
 驚きを隠せない朋和に気がついて、斎がクスクスと肩を震わせる。
「俺を何だと思ってんの。大事な恋人にベタ惚れしてて苦労とかなーんにも感じてなくて、頭の中は年中珱のコトばっかって感じ? まぁほとんど当たってるけどな」
「ゴメン、そういうつもりじゃ…」
「嫌味のつもりで言ってるんじゃねぇよ。ずっと、…そうなりたいと思ってるんだ。そうならなきゃと思ってきた。だから、お前にもそう見えてるんなら、良かった…」
 斎の声はどことなく頼りない響きで朋和の耳に届いた。自分よりずっと大人びていると感じていた斎が、今はなぜかひどく子供っぽく見える。
 ここにいるのは朋和と何ら変わらない、16才の斎だ。
「あんな奴に会ったの、ホントに初めてだったんだ。中学の頃の珱は今にもパンって弾け飛ぶんじゃないかってくらい、限界まで張りつめてる感じだった。いつも自分の周囲にバリアみたいなのを張り巡らせて、話をしててもこっちを全然近づかせないっていうか、他人をまともに見ることもしないで、自分のことも見て欲しくないって感じでさ。あんなムカツクくらい寂しい奴、それまで見たこと無かった」
 斎の腕が動いて、ここにいない恋人を包み込むように広げられる。
「だから珱のこと好きになって、珱も俺のこと見てくれるようになって、あいつがここで、俺の腕の中で安心してるんだなって初めて感じた時、…嬉しかったんだよな。とんでもなく嬉しくて、もう絶対離すもんかって思って、そのためなら何でも出来るような気がした」
「斎…」
「珱のことは重いばっかりじゃないから。重いけど、その重さが俺を支えてる。それは珱も同じだと思う。俺のこと重くて背負いきれなくて、よく落ち込んでるし。ケンカもするしさ」
「ケンカ? お前らがか?」
「そりゃもう一旦怒ったら最後、梃子でも動かないんだよ奴は。仏像みたいに黙ったまんま、機嫌が直るまで口もきいてくれないね。俺はそれで何度泣かされたことか」
「うわっ、ありそう…」
「だろォ?」
 斎が明るく笑う。
「でも珱の手を離そうと思ったことは一度もない。珱がいるから俺は今こうしてここにいるんだと思う。こいつのためにここにいるんだって、そう思える人がいるって、それが一番大事なことなんじゃないか?」
「珱の重さが、お前を支えてる…」
「それが一緒にいるってことだよ、たぶん。俺の経験から言うとな」
 たった一つの経験ですが。そう言って軽やかな声で笑う。 
(やっぱ格好良いよ、こいつ…)
 朋和は驚きの思いで隣に座る斎の横顔を見つめた。
 良い顔をしている。自分にはまだ、誰かのためにこんな顔で笑うことは出来ない。
「お前、やっぱ珱の事になるとすごいよ。何て言うか、腹が据わってるって言うかさ」
「まぁ、大事なことの優先順位がどうも人と違うとは思う、自分でも」
「それが一緒にいるってことなんだろ?」
「惚れてるってコトです」
 きっぱりと言い切ってニヤリと笑う斎を見ていると、自然に笑いが込み上げてきた。
「ったく、よく言うよ…」
 やはり自分はまだまだこの瀬田斎という男に敵わないらしい。そう思い知らされても、不思議と悔しさは湧いて来なかった。
 斎はすでに手に入れている。自分はまだ手に入れていない。斎のと違いはおそらくそれだけだ。
(誰かに惚れる、か…)
 いつか手に入れることが出来るだろうか。斎と同じくらいの強さを、自分の力で。

 斎の笑顔の向こうに白い花が見える。その花は柔らかに微笑みながら、驚くほど近い場所からまっすぐ朋和を見つめていた。
 もしかしたら花は待っているのだろうか。誰かが気づいて振り向くのを。
 急がなければ。心から手に入れたいと望むなら。 
 ふと目を離したら跡形もなく散り落ちてしまいそうな、ヒカリというあの花を。



back  |||  next