ACT.2 きみがいる夏
Ep.09 窪塚珱の場合
童貞? …こいつが? びっくりして俺は一瞬言葉が出なかった。
イマドキの高校生だし、ルックスもかなりレベル高いし、絶対遊んでると思ってた。まさか受け狙いの冗談? …って、あんな顔して真っ赤になって、俺に冗談言う理由なんてないよな。だから、
「フーン」
って言った。それ以外なんか言うことあるかよ?
え、ウソ、マジで?とか茶化す気にもなんないし、俺も俺も、なんてウレシソウに自分からバラしてやるのも、俺のキャラじゃねぇしな。
『可愛い』って言ったのは全然、本心。マジでなんか可愛く思った。俺より年上のクセして、ガキっぽいっつーかなんつーか…。斎は『可愛い』の一言に、思った以上にショックを受けたらしい。いつもなら俺の一言につき五言くらいは返ってくるのに、今日は反応が妙に大人しかった。
固まってる斎をひとりロビーに残して、俺はスタジオに入った。バンドのメンバーはもうそれぞれの位置について音合わせを始めている。俺も皆に混じってヴォーカル用のマイクを引っ張り出して、ジャックをアンプに突っ込んだ。
「ちょっと聞けよー。今日、克彦来れないから」
サイドギターの高崎さんが機材をセッティングしながら、大きな声で言った。
「リーダー欠席だけどダレねーようにってコトで、よろしく」
各々勝手にセッティングしているメンバーの動きがぴたっと止まる。
「なんでよ? なんでタカっちだけ聞いてんだよ? 俺は聞いてねえよ」
「なんか店の配管がトラブったって、さっき携帯にメール入ってたんだよ」
まっ先に反応した不機嫌そうな声に、孤高のギタリスト高崎さんが穏やかに答えている。相手は常時喧嘩腰の体育会系ベーシスト、飯田某。こいつは『瀬田兄教』の信者なのだ。
「マジでー? 俺今日、兄に中盤仕上げてもらうつもりだったのにー」
飯田さんの調子につられるように、ドラムの正木さんまでがスネアを放り出して高崎さんの元に寄っていく。そのうちに三人でわあわあやり始めた。
こりゃちょっと大変だな。俺は他人事みたいにそんなことを思った。
なにせこのバンドは曲作りからプロデュースまで瀬田兄がひとりでやってるようなもんだし、練習だって兄がいなけりゃきっと全然進まない。案の定みんな口々に今日の練習どうすんのよ、とか手伝いに行ったほうが良くねぇ?とか言い合うばっかりで、建設的な意見はどこからも出てこなかった。
だんだん収集がつかなくなってきて、高崎さんが声を張り上げた。
「ちょっと、黙れって。とにかく今日は先週詰めた新曲、細かいとこ仕上げとけってさ。兄ィんとこのパートは俺が弾くから、コード確認したら始めるぞ。窪塚も、スタンバった?」
急に振られて、俺は慌てて頷いた。俺は自分のマイクを用意しながら、ぼんやり斎を見ていたのだ。スタジオのガラス越しに、ソファにからだを預けてつまんなそうに煙草をふかす斎を。
(っていうか、アイツぜってー未成年!)
なんだかふと気になったんだ……なんであいつはここにいるんだろうって。そういえばしょっちゅう見かける気がしてた。何となく、店でもスタジオでも。店はあいつの兄貴がやってるわけだし、バンドだって瀬田兄がリーダーだし別に気にしてなかったけど、今日その兄貴はいない。だいたい、あの斎が金魚のフンみたく兄貴にくっついて回る可愛い性格だとは到底思えない。
ということは、やっぱ俺に会いに来てるわけ? ……なんで?
「すんません、ちょい先、始めててください」
それだけ言うと、俺はマイクを放り出してブースを飛び出した。
「おい、斎! おい!」
じれったくて、つい声が大きくなる。スタジオの親父がびっくりして事務所から顔を覗かせるのをじろりと一瞥して早足でロビーに向かった。どうせブースはガラス張りで、中から丸見えなんだ。帰っちまったんじゃないってわかったら、メンバーも追っては来ないだろう。
斎はソファに寝転んで、雑誌をめくっていた。俺はずかずかと斎に近寄って力任せに雑誌を取り上げると、盛大に後ろへ放り投げた。
斎は一瞬何が起こったのかわからなかったらしい。なに?という表情で目を丸くして俺を見上げてる。口がぽかんと開いてて、何とも間抜けなツラだ。そのアホ面を見据えて、俺は出来るだけ冷ややかに聞こえるように、言った。
「店、なんか大変なことになってるらしいで。こんなとこでアホみたいに雑誌読んだりしてんと、瀬田兄手伝いに行ったったほうがええんと違うか?」
一瞬、シン、と間があいて、それからキョトンとしていた斎の目に表情が戻った。なんのことか合点がいったらしい。
「ああ、水周りの配管のことだろ? 知ってるよ、家出る前に兄貴から電話あったもん。そんときは遅れるって言ってたけど、来れねぇの?」
なんか、ひどくムカついた。
「来れねェの、じゃないやろ。なんでそんな平然としてんねん。早よ行ったれや、こんなとこおらんでええから」
「……なんでお前がンなこと言う」
一方的に怒鳴られて頭に来たのか、斎が拗ねたように唇を尖らせる。
……ったくいい年こいて、ほんまガキやなコイツ!
ピッキーンと頭に来て、俺にしては珍しく、ホンマに珍しく間髪入れずにまた怒鳴った。
「だいたいなんでお前、いつも練習来んねん!? 店にも毎日来るし、めっちゃ気になるっちゅーねん。用もないのにウロウロしよって。なんか俺に言いたいことでもあるわけ?」
っていうか、何でこんなにムカついてんだ、俺!?
別に斎がどこにいたって、関係ないはずなのに。なんか、なんか……すっげー気になる。
「…………わかった……」
斎がポツリと呟いた。……わかったって、なにが?
斎はソファから立ち上がると、いきなり俺の手をガシっと掴んだ。掴んだまま、思いっきり引っ張る。俺は体勢を崩して、仰向けのまま斎の肩に乗っかる形で倒れこんだ。
おい、なんなんだ、急に!?
あっけにとられて抵抗する間もなく、俺はズルズルと音を立ててスタジオから引きずり出された。
さ、さっすがに年上、なうえにガタイが違う。
苦もなく俺を担いだまま、斎がスタジオの玄関の扉を勢いよく蹴り開ける。バァンと開けられ、反対側の壁にぶち当たったドアが、一瞬漫画のようにギュウっとしなって、それから遠ざかっていく視界の中でドッカン、と閉まった。
おっちゃん、ゴメンな……扉、壊れたかも?
スタジオの親父の悲し気な顔が俺の頭に浮かんで、消えた。
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