ACT.2  きみがいる夏

Ep.10  瀬田斎の場合

 アッタマきた。アッタマきた。すっげーアッタマきた! なんでこいつはあんなコトいうわけ? 俺の気も知らないで、なんて俺が勝手に惚れただけなんだけど、それにしてももっとなんか言い方ってもんがねぇか?
 俺は勢いよく珱の腕を引っつかむとわき目も振らず、一直線にスタジオを飛び出した。力任せに蹴り開けたドアがすごい音を立てて閉まるのが聞こえたが、そんなこと気にしちゃいられない。俺の肩に乗っかった珱が一瞬遅れて、あーあと呟いた。
 びっくりしたからか単に俺が馬鹿力だったのか、珱はさして抵抗もせず引きずられたまま、俺と一緒にスタジオの外までついてきた。……いや、俺が引きずり出したんだけど。
 頭をカッカさせながら片手で珱をがっちり掴んで、片手で乗ってきた自転車を駐輪場から引っ張り出す。力任せにぐいっと引っ張ると、両脇に止めてあった誰かの自転車が大きな音を立てて左右に跳ね飛んだ。スタンドを上げるのもそこそこに自転車に跨った。スタジオに来る日はいつも練習後のオデカケのことを考えて、母ちゃんのオシャレバイクに乗ってきてるから、二ケツも楽々オッケー。俺は珱を突き飛ばすように後ろに追いやって、
「乗れ」
 有無を言わさぬ強引な口調。嫌だっつったら張り倒してやる! ステップなんか自分で探しやがれ。とにかく俺は猛烈に怒ってるんだ。
「落ちんなよ。拾うの面倒だからな」 
 それだけ言って俺は猛然と自転車を漕ぎ出した。珱がホントに後ろにいるかなんて確認もせずに。肩に置かれた手のひらの熱と踏み出すペダルの普通じゃない重さに、なんでコイツは素直について来るんだろ……なんてことをぼんやり考えた。



「入れよ」
 店のドアを片手で押さえて、俺は顎で珱を中に入るように促した。兄貴の店だから俺はいつでも出入り自由だ。
 センター街の一角の雑居ビル地下一階という抜群の立地条件だから、夜通し遊んだ後学校へ行くまでの間、営業が終わったここの事務所に寝に来ることもしょっちゅうだからだ。兄貴はそういうとこ俺に甘いっていうか、あんまり口うるさくアレコレ言ったりしない。親へのカムフラージュ役に『あんまり無茶すんなよ』といいつつ協力してくれる、物分かりの良い兄ちゃんだ。
 俺は珱を空いてるほうの手で押し込むように中へ入れると後ろ手に鍵を閉めた。ついでにドアチェーンもしっかり掛けた。……なんか自分がテレビに出てくる悪いヤツになったみたいで、ちょっとドキドキした。
 珱は何を考えているのか、ぽつんと突っ立ったまま、まるで初めて来るトコみたいにキョロキョロ周りを見回している。その仕種はいつも冷めた態度しか見せない珱とは違って、なんだかとても子供っぽかった。
 実を言うと、珱を乗せて店まで自転車を必死で漕いでいるうちに、俺はさっきまでの怒りをどこかに落っことしてきちまったみたいだ。さっき無性に腹が立ったのだって結局、普段必要なことすらあんまり喋らない奴にいきなりうるさく言われて、びっくりするより先に頭に血が上っただけ。ぼんやり突っ立っている珱を見ていると本当にただの子供みたいで、だから気が抜けた。
 ホント、俺たちガキみてぇ。といっても、俺は正真正銘ガキなんだけどさ。
 とりあえずこのまま突っ立ってても埒があかないので、入り口とカウンターのライトだけ点けると俺は珱の横を摺り抜けてキッチンに立った。
「座れよ」
 カウンターのスツールを指差して、珱を振り返る。
 ……心臓がドキン、と鳴った。
 入り口のダウンライトの淡い光に浮かび上がる、珱のシルエット。
 長い前髪が整った顔に濃い影を落としていて、その彫りの深い造作ををいっそう迫力のあるものにしている。表情がいまひとつ読み取れない瞳は暗いライトのわずかな光にすらきらめいて、まるで暗闇の中で見る猫の目みたいだ。
 こっちを向かないかなと思わずじっと見つめてしまう、そう思わせる不思議な存在。
 珱が何か言葉を発するのを、ふっと目線を揺らすのを、周りの空気が固唾を飲んで待ってる。……そんな気がする。
 珱は相変わらずぼんやりと入り口にたたずんでいる。しょうがないので、俺は冷蔵庫を開けてしばらく考えてから、ウーロン茶のボトルを取り出した。グラスに注いでカウンターの端に置いてやる。さすがにビールを出すのは止めた。珱はやっと我に返ったのか、よろよろと前進して入り口に一番近いスツールに腰掛けると、目の前に置かれたグラスを手にとって中身をじっと見てから、ようやく一口飲み込んだ。
「瀬田兄……」
「あ?」
「なんで、おらへんの」
「決まってんだろ。用事が済んだからさっさと帰ったんだよ。今日は店、休みなんだから」
 珱が顔を上げた。訳が分からない、というように少し眉を寄せて俺を見た。
「だから、」
 俺は盛大にため息を吐いた。
「俺がデンワもらった時にはもうほとんど修理は済んでたわけ。分かる? だから別に俺も手伝いに来る必要、なかったの」
 珱がまた眉を顰める。
「じゃ、なんで練習来えへんかったん」
「知らねぇよ、んなこと」
 俺は自分のグラスに注いだウーロン茶を一気に飲み干した。
「兄貴にだって色々都合があるんだろ。どっか別んとこ行きたい用でもあったんじゃねぇの? あんま、メンバーに理由言いたくねぇから店の都合にしたんだろ」
「フーン……」
 またフーン、だ。だからその先を言えっつんだよ。
 俺は大きな音を立ててカウンターにグラスを放り出した。……あ、またやった。俺ってばほんっと、沸点低い。
「お前さ、そのフーンってのやめねぇ? なんかスッゲー気になる。言いたいことあるならちゃんと言った方がいいぞ。じゃないとなんつーか、伝わんないことってあるだろ?」
 言ってくれなきゃ、分からない。そういう単純なことを、見つめ返す瞳に伝えたかった。そうでなきゃ俺たちはいつまでたっても平行線のまま、絶対お互いのことわかりっこない。
 お前のこと、もっと知りたい。俺のことも知って欲しい。言葉にすれば単純なことだけど、でも大事なことだ。
 珱がすっと目を細めて俺を見つめた。じっと、何か言い出しそうな目で。
 もしかしたら、俺の言葉に少しムッとしたのかもしれない。でもそれならそれでいい。無視されるよりずっとマシだ。俺は珱の言葉を待った。何でもいいから言い返して欲しかった。
 …………珱は何も言わなかった。
 ムカついたんならそう言えばいいのに、何も言わない。黙ってるとこっちはいろんなことを考えちまって、訳が分からなくてアタマに来る。
 こいつはそんなこともわかんないのか?
 今度こそ本当に、心底、無性に頭に来た。
「お前の態度、すっげーアッタマ来る! 俺と話するのが嫌なワケ? 話してもしょうがねーやとか思ってるワケ? それってあんまり人を馬鹿にしてねぇか?」
 言いながら、今度はなんだか哀しくなってきた。
 そうだよな、よく考えたら俺達まだ友達にもなってないのかも。俺が一方的に惚れてるだけで珱はあんまり俺に感心なさそうだし、いつも態度が冷たくて…………。


 ドン!


 突然、大きな音がした。
 びっくりして俺はヒッと息を吸い込んだ。なんだ? 何が起こったんだ?
 目を白黒させながら思わず珱を見て……分かった。カウンターの向こうで、珱が拳を固めていた。顔を伏せて肩を怒らせて、音がしそうなくらいギリギリと指を握りこんでいる。
 珱がカウンターを思いっきり叩いたんだ。俺を黙らせるために。
 俺の言葉を遮るために。……あのクールな珱が?
「……やかましい」
「はあ?」
「やかましいんや。どいつもこいつも……」
「珱」
「うるさい!」
 珱が怒鳴った。
 びっくりするくらい大きな声。澄んでよく通る、少し低めのキレイな音色。
「アタマ来るのはどっちや! 勝手なことばっかり抜かしくさって、誰がいつ、お前のこと馬鹿にした!」
「ちょ、ちょっと、待っ……」
「大体お前こそ、なんでいつもいつも俺の目の前におんねん? ワケ分からん。気がついたらそこにおるし、見えんようになってもいつのまにか出てくるし、気になるっちゅうねん!」
 人のいうことなんか聞いちゃいない。……怒ってるよ、おい。
 っていうか、怒ってるのは俺なんだけど? それになんだか怒りの方向が変わってきてるし?
「人にアホみたいに突っかかってんと、言いたいことあるんならお前が先言えや!」
 ……俺は呆気に取られて、珱をまじまじ見てしまった。あ、俺、顔が笑ってる。しまった、と思った途端にまた怒号が飛んできた。
「ナニがおかしい!?」
「ごめん、おかしいんじゃなくて」
 だめだ、笑いが止まんねぇ。
 俺は手のひらを珱の方に向けて『待て』のポーズを作ると、気持ちを落ち着けるために大きく息を吸い込んだ。そっか、俺か。俺だったのか。
 また笑いが込み上げる。分かったらなんだかほんとに可笑しくて……嬉しかった。分かってなかったのは俺も同じ。だから……俺から言わなくちゃいけない。
 今にも唸り声を上げて飛び掛かってきそうな珱を見ながら、俺は本当に自然に言葉を繋いでいた。
「俺さ」
 俺の気持ち。嘘偽りない、ホントの言葉。
「俺…………お前のこと、好きなんだ」
 カウンターの向こうで光る珱の瞳が、面食らったようにみるみる大きくなるのがはっきり見えた。


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