ACT.1 独白
Ep.05 窪塚珱の場合
テスト終了のチャイムが鳴り響いた途端に、静まりかえっていた教室の雰囲気が一変した。真空状態の部屋に一気に空気が流れ込んだみたいに、生徒達は口々にどうだった、全然ダメ、なんて言い合っている。俺はぼんやりしながら、どんどん大きくなるざわめきを聞くともなしに聞いていた。
一番後ろの生徒が、解答用紙を集めながら近づいた。見上げもせずに手渡すと端を乱暴に引っ張られて、指に痛みが走った。紙で指を切ったんだろう、見ると右手の親指の付け根あたりに一直線に血が滲んでいる。
切れた指を舐めながら目を上げると、女子生徒が解答用紙を握りしめたまま黙って俺を見下ろしていた。
面倒くさいなと思って、そいつの視線を感じなくなるまで俺は顔を上げなかった。つまり無視した。
こんなことは慣れっこだ。転校してからというもの、クラスの中で俺とまともに口を利いた奴なんかいない。
これはどういう種類の感情なんだろうと、いつも思う。
この女と同じようにクラスの大半の生徒は、別に俺のことについてアレコレ難癖つけることはない。そんな奴はごく一部で、でもそいつらの目が気になって俺と関わりたくないだけだ。 俺のことを見ない振りしてもしかしたら忘れたまんま、どうでもいい学校生活を穏やかに送っている。
なのに……たとえば廊下で俺とぶつかったり、こうして不注意で傷つけたりしたとき、奴らはまるで自分が傷つけられたような目で俺を見る。
違う、あれは多分、ほんの少しの胸の痛み。普通のクラスメイトならゴメン、と謝って済むはずの小さなことが心に食い込むから。そうして俺に対して罪悪感に似たものを感じて、自分がまだおかしくなってないことを確認するんだ。
俺は突っ立ったままの女子生徒を無造作に押しのけると、黙って教室を後にした。
馬鹿馬鹿しい。心底そう思う。
痛みを感じるくらいなら最初から感じてろ。なにも感じないならそのままでいればいい。お前らは自分から口を閉ざすことを選んだ。それがお前らにどんな影響を与えたところで、俺にはもう関係ない。
俺はもう誰とも関わらないし、誰のことも頼らない。
望まない好意や悪意を一方的に押し付けられるのは、もうたくさんだ。
屋上に上がると、風が流れていく様子が見える気がした。伸ばしっぱなしの長い前髪が風に煽られて、視界を遮る。俺は階段へと続く建物の陰に腰を降ろして、空を見上げた。
頭の中を空っぽにしたくてここに来たのに、ふと気づくと3問目の数式はアレでよかったっけ、なんてコトをぼんやり考えている。
こんな時でもテストのことが頭から離れない。自分でも呆れるほど、俺はひとつのことに拘る習性があるらしい。こうと決めたことを疎かにしたら自分に負けた気がして、どうしても気が済まない。必要のない勉強をシャカリキになってするのは、きっとそのせいだ。
理数系は何とかこなせる。数式や化学式など決まりごとさえ頭に入れればあとはそれを応用するだけだし、その他は丸暗記で事足りる形式的な問題ばかりだからだ。社会科全般も暗記科目だから、さして問題にはならない。知らないところは飛ばす。覚えてるとこだけ書ければそれでいい。
英語はさすがに文法を頭に入れるのが一苦労だけど、逆に言うと文法さえ入ってしまえば、あとはぶっつけ本番でも何とかなるのだ。教科書と辞書を暗記するくらいの勢い今まで乗り切ってきた。
問題は現国だな。
俺は深々とため息を吐いた。人の解釈に難癖をつけるような、現国のテスト問題に対する気持ち悪さは自分でもどうすることも出来ない。生理的に合わないとしか言いようがなかった。とにかく教師が期待してる答えを推測して、テスト用紙が真っ黒になるくらい隅々まで書き込む。それしかない。文章をたくさん読んでれば、書いてある中身くらい教えてもらわなくても読み取れる。
それでも俺のことを気に入らない教師は、重箱の隅をつつくようになにがしかの表現とかを穿り出して、マイナス点を引っ張り出してくる。その情熱には呆れるのを通り越して、いつも感心してしまう。
そういうときはコイツきっと家で家計簿なんかつけてて、一円でも合わないと大騒ぎするくちだな、なんて考えてさっさと忘れることにしている。こんなこと考えてるなんて知れたら、あの教師は真っ赤になって怒り出すだろう。プライド高そうだしな。
どうでもいい。
こんな生活もあと少し。あとは俺の好きなように生きてやる。望んだものだけ手に入れて…………
空を見ていると思い込んでいたのに、俺はいつのまにか自分の手のひらを見つめていた。
俺の望みって何だろう? 今まで何かを望んだこと、あったっけ……?
ふと、風の音に紛れて、斎の声が聞こえた気がした。
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