ACT.4  snow drop

Ep.21  瀬田斎の場合

 突然自転車を引き倒して、突然公園で傷口を舐めてくれて、あまつさえ俺が無理矢理繋いでる手をずっと離さないでいてくれる。
 嬉しい。力一杯嬉しいよ、けど。
「怒ってないの?」
「なんで」
「だって、俺、お前に……嘘ついてたし」
 嘘、という言葉が自分でもびっくりするくらい、胸に刺さった。
「……怒ってへん。ちょっとびっくりした、だけ」
 背中を向けたままじっと立ち止まる長めの髪が、幻の軌跡を描いて左右に振られる。
「ホント?」
 珱がゆっくりと振り返る。
 何も言わない。じっと俺を見つめる、まっすぐな瞳。その瞳がふと揺らいだように見えた。遅れてすうっと、心に染みこむような透き通った旋律が耳に届いた。
「年とか、そういうの……関係ないやろ」
 呟く声が、また少し遠くなる。

 心臓がコトンと音を立てる。
 何か言わなきゃ。なのに何にも言葉が出てこない。

「そんなんでお前のこと、好き、に……なったんと違う。解れや、んなコトくらい」
「うん…………」

 ごめん、俺、今なんか言ったら一緒に涙まで出そうな気がする。体中の水分がカラカラになるまで、止まりそうにない。
 それぐらい、心が揺れた。

 好きになるって、そういうことだ。少なくとも珱はそう言ってる。ものすごく下手くそな言い方だけど、珱の気持ちは俺の心の一番深いところにズシンと響いた。
 知ってる。そうだよな、俺、知ってたよ最初から。
「珱」
 振り向きかけの横顔にキスをする。頬というより瞼の際に唇が当たって、珱の眉間がキュッと寄った。
「やめぇ……」
「じゃ、こっち向けよ」
「ヤダ」
「向けったら」
「ア・ホか、おまえは」
 ご丁寧に『あ』と『ほ』の間をきっちり区切って言い放つ。横目で俺を睨んでから、しっかり握ってたはずの手をあっさり離して、珱はスタスタと公園を後にした。
 俺はといえば、こんなに冷たくされてるのに、嬉しくて嬉しくてしょうがない。さっさと歩くわりに距離の開かない珱の背中をじっと見つめた。



 突然、珱がぴたっと立ち止まった。
「チャリンコ、乗らへんの?」
「ん、なんか、歩きたい気分」
「…………そ」
 それだけ言うと、珱は黙って俺の隣に並んだ。もう少しこうして歩きたい気分。珱の足音と息づかいと、伏し目がちの横顔をもう少し見ていたい。感じたい。
 ……なんだか無性にもう一回手ェ、繋ぎたくなってきた。ちょっと言ってみようかな。俺ってチャレンジャー。
「珱」
「ん?」
「な、マンションまであとどれくらい?」
「どれくらいって、お前のがよう知ってるやろ? ……20メートルくらい」
「手……」
「あ?」
 はっきり言わないうちに、なんだかとんでもなく照れくさくなってきて、俺は気持ちの中ではガシッと、実際には心許なくそぉっと…………珱の手を取った。
「家まで、こうしてよ」
 心臓なんかどっきどきだ。こりゃ、帰ったら口をきいてくれないかも、なんて一抹の不安が頭を過ぎる。いくら真夜中とはいえ、公園ならいざ知らず住宅街のど真ん中で手を繋ぐなんて言語道断だよな、やっぱ。
「寒いしさ、暗いし……、はぐれるかも知んないし…………」
 説得力のなさだけは100点満点。……ダメだ、こりゃ。
 説明と説得を諦めて、振りほどかれないように珱の手をしっかり握り直そうとした瞬間、珱がくるっと振り向いた。

 真っ暗な夜道に所々灯る街灯が見事に映り込んだ、大きな瞳。国籍不明の褐色の肌。言いたいことを容赦なく言うくせに、不意に子供みたいな顔で俺のことを好きって言う――――俺の大事な、大事な宝石。
 何度見てもキレイだと思う。見た目だけじゃなくて、珱の存在、全部が。

 同じくらいの高さで俺を見つめる二つの宝石。瞬きしたと思ったら、しっかり握って離さない俺の手にもう片方の手を重ねて―――――少し、ほんの少しだけ笑顔を見せる。
 小さな雪の粒みたいに、掌の上で溶けてしまいそうな。
 消えないようにと強く願う。

 壊さないように、ゆっくり、少しずつ始めような、俺達。

 俺の心を知ってか知らずか、珱は首を傾けて…………
「こんなに近くに、傍におるのに……はぐれるわけないやろ?」
 そう言うと俺の手を解いて、マンションの入り口に向かって駆け出した。


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