ACT.4 snow drop
Ep.22 窪塚珱の場合
思わず走り出したら、あっという間にマンションの玄関に着いた。オートロックのドアフォンの前に立って表に背中を向けたまま、近づいてくる斎の足音に耳を澄ます。
自転車のタイヤが地面に擦れる音、チェーンが回る音、荷台のボルトが緩んでカタカタいう音。端のところが黒ずんだ街灯が苦しそうにブーンと鳴る音。集合住宅特有の、電気器具を使うときに響く振動音。表通りにはまだ車がたくさん走ってる。
その中に混じって、軽やかに地面を踏みしめる音がする。
俺って犬並に耳がいいのかな? いくら夜中だからって、こんなにたくさんの音の中から斎の足音を聞き分けられるなんて。
これなら大丈夫だな、と思う。俺がこうして斎の足音を聞き分けられるから。どこにいるかすぐに解る。どこからでも飛んでいける。あと何歩? 斎はけっこう歩幅が広いから10歩くらい? ……もう少しで真後ろに斎が立つことになる。
振り向こうかな。俺が急に振り向いたら斎、驚くかな。
あ、でも振り向いてどんな顔したらいいか、分かんねぇ。
「珱?」
急に名前を呼ばれて、びっくりしたのは俺の方。関節をカクカクいわせながら頭を巡らせると、息がかかるほど近いところに斎の瞳があって。
なんで? いつの間に?? っていうかお前、自転車はドコへやった???
「どうしたの? 待ってたの?」
不思議そうな顔つきで聞いてくる。
ウン、ともチガウ、とも言えなくてちょっと、イヤ、ちょっとじゃなく動揺して、反射的に目を瞑ってしまった。
あれ、これってひょっとして状況的に…………
と思った瞬間。
大好きなひとの唇が、なんの迷いもなく、俺の唇にゆっくり重なった。
END.
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