ACT.2 きみがいる夏
Ep.11 窪塚珱の場合
こいつ、今なんて言った?
ちょっと待て、よおく考えてみろ。
「俺さ、お前のこと、好きなんだ」
……………………なんだって?
俺は今、多分他人に一度だって見せたことがないようなアホ面をコイツの前に晒している。自分でもわかっているけど……でも、止められなかった。
「……あのな」
「うん?」
「何が、どうやって?」
「……何がって?」
「だから」
なんで俺がこんなに動揺しなくちゃならないんだ?
「俺のことスキって、どういう意味なんやって聞いてんねん」
斎はカウンターに手をついて、ケロッとした顔で言ってのけた。
「だから、言った通りの意味だって。好き。愛しちゃってるの。オーケー?」
あ、愛し……? あかん、こいつホンマにおかしいわ。
俺は怒り出す気力も失せて、カウンターにぐったり突っ伏した。一体どこからそんな発想が出てくるんだコイツは。訳わかんねぇヤツと思ってはいたけど、いやはや、ここまでとは。
「じゃ、なにか? お前は俺のこと好きで、毎日店に来たり練習に付き合うたりしてた、いうワケ?」
「おうっ」
底抜けに明るい返事が返ってきた。
「ふざけんな!」
「ふざけてねぇよ」
カウンターにめりこんだ俺を見下ろす瞳はまっすぐで、確かにふざけているようには見えない。俺としては冗談を言ってくれている方が気が楽だったけど、斎の表情を見ればそうでないことは手に取るように分かる。
だから……落ち着いた。ついさっきまでグラグラ煮え立っていた頭が自分でも不思議なくらい冴えてくるのが分かる。
「……わかった。しゃあない、黙って聞いたる。言いたいことあるなら言うてみ」
今度は斎が面食らったようだ。
「い、言いたいことって?」
「俺のこと好きなんやろ? どうして好きなん。俺は男やし、お前のこともまだよう知らん。俺のことも知らんはずや。そやのになんで好きなんて言えんねん?」
「そりゃそうだけど……」
斎が困ったような口調で言う。
「お前が言えっつったんだぞ?」
……確かに言った。それは認める。
でも俺は人にいちゃもんつける前におのれの不審な行動の意味をはっきりさせろと言ったんで、いきなり告れとは言ってない!!
と、怒鳴り散らせばいいものを、俺にはどうしてもそれが出来ない。生々しい感情を他人に向かって吐き出す前に飲みこんでしまう癖を、俺が自分で自分につけてしまったからだ。
俺が反応しなければ、他人がそれ以上自分に興味を持つことはない。悪意や好意をひっくるめて、他人が自分に向ける視線を痛いほど受けて俺が選んだのは、それらを一切区別なく無視するという方法だった。
傷ついた顔を見せないように。抉られた心を悟らせないように。傷つけられたと自覚する前に、俺はそういうやり方を先に覚えた。その方が感情をむき出しにして言い争うよりも、俺にとってはるかに楽だったからだ。
斎は違う。心の内を相手に曝け出すことを恐れない。俺の目の前で何もかも全部広げてみせて、さぁどれか選べと迫ってくる。斎は別に俺を傷つけようとしているわけじゃない。それは分かってる。でも俺にとって心を乱されるという点では同じことだ。
心底、怖いと思った。
俺がそうさせたんだと思うと、さらに怖い。自覚がある。俺が言わせた。
「人にいきなり告っといて、そんなことも言えへんわけかい」
こんな口調でしか言い表せない。聞くのが怖い。でも聞かずにいるのはもっと怖い。
「理由なんている?」
「俺は知りたい」
「どうして」
切り返されて言葉に詰まった。できればこの場からダッシュで走って逃げたかった。
興味がないなら無視すればいいし、事実俺は今までずっとそうして他人との関わりを避けてきた。人に興味を持たれることが嫌で嫌で、近づいて来る奴みんな、薙ぎ払うように追い返してきたんだから。
でも今は違う。最初から違ってた……斎に限っては。
急に黙り込んだ俺に不安になったのか、斎は困ったな〜と言いながらぽりぽりと頭を掻いた。
「理由は、色々あるけどさぁ……。声が好きとか顔が好きとか、でもほんとはそんなことじゃないし……」
気持ちを素直に表すのが得意な斎にしては珍しく、本当に困ったように言う。
「お前、あんま自分のこととか話さないだろ? 喋りかけても答えないし。で、もっと声聞きてぇ〜とか、笑わせてぇ〜とか一生懸命思ってるうちに……惚れちゃったんだよな、たぶん」
「……たぶん?」
「あ、『たぶん』は好きってのがたぶんなんじゃなくて、お前になんかしたいとか思ったのがたぶんで」
変なタイミングで突っ込んだ俺に、斎は真面目に答えようとする。しどろもどろに返事をするのがなんだか可笑しくて、また突っ込んだ。
「……なんかって、なに?」
「え、えっと、なんかってのは別に変な意味じゃなくて」
「……変な意味ってどんなイミやねん」
「おまえな……」
さすがに遊ばれてるのがわかったのか、斎が責めるように俺を睨む。
「人にばっか言わせんなよ。お前もちゃんと言え」
「なにを」
「なにをじゃねぇだろぉ!?」
おいおい、という顔。
「俺が決死の覚悟で告ったってのに、それに対してお前はなんのコメントもないわけ? なんかあるだろ、言うことがっっ」
「なんか……って言われても……」
「アリガトとか、お前なんか大っ嫌いだとか、何でもいいから言えっつの。なんでも聞くから。そりゃキライとか言われたらすげーショックだけど、でも何にも言わないよりずっとマシ。何にもないのが一番ヤダ」
ああ、もうほんとによく喋る。そんなに矢継ぎ早に捲し立てられて、言葉なんか浮かんでくるか!
トクン、と胸が鳴った。
……俺、なんか言おうとしてる。真っ白になった頭ン中で、斎に返す言葉を一生懸命探してる……。
「……珱?」
名前を呼ばれて目を上げた。
目の前に斎がいた。俺をじっと見つめてる。口をヘの字に結んで、ちょっと怒ったように……耳まで真っ赤になった顔をまっすぐ俺に向けて。
心臓が溶けて流れ出すんじゃないかと思った。
身体中の血が突然沸騰した感じ。目の前がクラッとした。
「頭ン中グッチャグチャで、なんも言うこと浮かんで来えへん……」
ドキドキして今にも倒れそうなのに、斎から目が離せない。
それだけ言うのがやっとで、あとの気持ちは到底言葉に出来そうになかった。でも斎は許してくれない。ぴったり視線を合わせたまま、さらに声を張り上げる。
「嫌いか嫌いじゃないか、どっちか! そっから選べ!」
「……ナニソレ?」
「どっちか!」
「だから、なんやてソレ、」
「どっち!」
「やかましいなぁ、もうっっ。嫌いやないて!!」
ポンッと言葉が飛び出した。音さえ聞こえたような気がした。
喉につかえていた骨が取れるみたい……なんてフザケすぎだろうか?
「おっしゃぁっっ」
斎がカウンターをひっくり返さんばかりに飛び上がる。
「言ったぞ、お前今言ったからな。もう取り消しとか無しだぞ?」
言いながら、ガッツポーズをしてみたり手を叩いてみたり、まるでネジの飛んだオモチャの猿だ。何でこいつはこんなに、とてつもなく喧しいんだ?
「オマエは一体、なにをそんなに喜んでる……?」
俺は『嫌いじゃない』って言っただけ。好きとか一言も言ってない。なのに、
「だって嫌いって言われたら、もうお前と喋ったりとか出来ないじゃん。やっぱ迷惑だったんだなーっつって、潔く身を引こうと思ってたわけ。ソレがどうよ? 俺、このまんまでいいんだ。お前のこと好きでいていいってことだろ? それってスッゲーよ。俺、ぜーったいぶっ飛ばされると思ったもん」
そんなことでコンナに喜べるのかとか、『嫌いじゃない』と『スキ』は似てるようで全然違うぞ、とか……いつもの俺ならたぶんそう言って、斎をヘコましていたと思う。無邪気に懐いてくる動物の腹を蹴り飛ばすようなやり方で。でも俺はそうしなかった。
斎に『好きでいて欲しい』って、思ったから。
俺のこと好きなままでいて。
だって俺のことスキって言ってくれたの、斎が初めてだったから。誰にも言われたことのない、宝石みたいにキレイな言葉だったから。
目を上げると斎がじっと俺を見ていた。さっきまでとは違う、珍しいものを見るような、興味津々の顔つき。ナニ、と目線だけで問いかけると、目をキラキラさせて子供のように笑う。
「お前さ、今めちゃくちゃカワイイ顔してる」
……なんだと?
「こんな風に怒ったり赤くなったり、初めて見た。なんか珍しくて……トクしたーって感じ?」
斎は本当にウレシソウな顔で付け加えた。
この男は…………こっちは泣きたいくらい動揺してるってのに、言うに事欠いて『カワイイ』だと!? 俺が神妙に斎の言葉を噛みしめてるあいだ、当の斎はそんなこと考えてやがったのか? いきなり頭に血が上って、何か仕返ししてやらなくちゃ気が収まらなくて、だから。
「じゃあ証明してみせろ」
「……は?」
『は?』じゃねぇんだよ、『は?』じゃ!
「俺のこと好きなんやろ? やったらそれを証明してみろ、言うてんねん」
「証明って言われてもなぁ……」
「なんでもええ、キスするなり車に飛び込むなり、お前が本気でンなアホなこと言うてるいうのを見せろ、言うてんねや!」
「じゃ、キスしよう」
あっさり言うと斎はヒョイ、とカウンター越しに体を伸ばして俺の顔に自分の顔を近づけた。
とっさに身を引く余裕もなく、首を少し傾けて……唇が触れた。
最初は軽く触れるだけ。
それから俺の様子を窺うように少し離れて、また触れた。
斎の唇は想像していたよりずっと柔らかくて……微かにウーロン茶の味がした。唇が離れても、俺はしばらく目が開けられなかった。優しいキスだって思った。…………キスなんか初めてしたのに、そう思ったのは何故だろう?
「大丈夫?」
大丈夫なんかじゃない。
最初のキスが終わったのを、こんなに寂しく感じるなんて。
「もう一回しろ」
斎がへ?と首をかしげるのが目を開けなくても分かる。でもそんなこと気にならなかった。
声が震えないようにとだけ、一生懸命我慢した。斎がさらに身を乗り出す。俺も自分の体を折るようにしてカウンターに押し付けた。肩に手が置かれて、また唇が重なった。
今度は深く、角度を変えて何度も触れる。少し開いた俺の唇の隙間を斎の舌がすっと掠めた。
「もう一回」
「うん」
「……もう一回」
「ん」
誰もいないライブハウスのカウンター越しに、俺と斎は何度も何度もキスをした。
腕を伸ばして頬に触れると、斎は両手を広げて俺の背中に腕を回してきた。ここにいるよって、まるで俺に教えるみたいに。斎の首に腕を回して、しがみ付くようにめいっぱい体を伸ばす。目を閉じたまま、また斎の唇を探した。
俺は、斎に会えなかった15年分のキスを一度に取り戻したかったのかもしれない。
暗い店内にぽつんと点るダウンライトがふたつ、俺たちの恋の始まりを黙って見つめていた。
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