† 5万ヒット サンクス&メモリアル †  



Ep.4



 「あんまり遅くならないようにね」という注意付きでお母さんに許可を取り付けた静乃ちゃんを助手席に乗せて、三人で俺のマンションに向かった。家までは20分くらい、見るからにうきうきと嬉しそうな静乃ちゃんの話を聞いているうちに、あっという間に俺のマンションに辿り着いた。
「すっご〜い、おっきいマンション…。それにきれいやね、新しいの?」
 窓に手のひらと額をぺたっとくっつけた静乃ちゃんが、大きな瞳をさらにまん丸く見開いて助手席から俺を振り返った。
「ああ、一昨年出来たばっかだからな。中も広いぜ。かっこいいだろ?」
 駐車場に車を入れながら斎が答える。
「うん! すごいすごーい!」
 閑静な住宅街に建つ俺の自宅のあるマンションは、確かにこの辺りでも大きい方だと思う。俺の収入から言うと本当はまだ分不相応なほど贅沢な部屋なんだけれど、しばらく両親の家に戻っていた俺が実家を出ることが決まった時、セキュリティ面を考えて斎の両親がお祖父さんに無理を言ってこの部屋を用意してくれた。
 お祖父さんもいずれは斎を住まわせるつもりだったからと、斎の『友達』である俺に快くこの部屋を貸してくれて、俺はその好意にありがたく甘えさせてもらっている。
 地下からエレベーターを使って直接最上階へ。最上階はフロアが二つに分かれていてそれぞれ別のエレベーターに繋がっているから隣人と顔を会わせることも無く、ほとんど一軒家みたいなものだ。と言ってもお隣さんも知ってる顔だから気兼ねする必要なんて無いんだけど。
 と、エレベーターの中で、斎がその『お隣さん』の話題を持ち出してきた。
「コウさんって今、日本にいるのか?」
「や、今はここにはおらん。千堂チカっていう女性ヴォーカリストのツアーについて、シンガポール」
「ああ知ってる、すっげー歌上手い人だろ。あの人と仕事してんだ、さすがはコウさんだな」
「そう、この間シングルのコーラス入れてもらったんやけど、さすがめっちゃ上手かったわ。声がな、空中でぐにゅってうねる感じ。びっくりした、あんな声出る女の人って初めてやわ」
「あ、それすげぇ分かる」
「もう〜二人とも、あたしにわかんない話せんといてよぉ」
 話題からひとり取り残された静乃ちゃんがふてくされた顔で俺たちの間に割り込んできて、その顔があんまり可愛らしくて、斎と顔を見合わせて思わず笑った。




 



「はい到着。いらっしゃいませ」
「お邪魔しまーす」
 斎が芝居がかった仕草でドアを開けてやると、静乃ちゃんはぺこりと頭を下げて部屋に足を踏み入れた。
 ライトを点けながら俺が中に入るのに、物怖じせずにスタスタと後について入ってくる。何が珍しいのかは分からないけど、くるくると忙しなく辺りを見回しては、時々足を止めて斎を振り返って何か耳打ちしたり。大人っぽく振る舞っていても、こういうところはやっぱり中学生って感じがする。
「ソファにでも適当に座ってろ。何か飲むもの持ってきてやるから」
「いっちゃん偉そう。ここは珱のおうちやのに、まるでいっちゃんの家みたい」
「ま、おんなじ様なもんよ」
「うそばっか〜」
 斎の軽口に静乃ちゃんは可笑しそうにケラケラ笑った。
 静乃ちゃんはもちろん冗談だと思ったみたいだけど、実は斎の言ったことは本当だ。
 いずれ斎が大学を卒業して東京に戻ってきたらここに一緒に住むことになるだろうから、俺たちにとってこの部屋は、少し気が早いけど『新居』みたいなもの。だから『おんなじ様な』どころか、ここは正真正銘斎の家でもあるのだ。
 そういえばここに引っ越して半年近く経つけど、お互いの家族以外の人を家に上げるのは静乃ちゃんが初めてだ。
 俺が友達を家に招いたりっていう付き合い方が苦手だって言うのもあるけど、何より俺にとってこの家はやっぱり『特別』だから、斎が東京を離れてからは特に、ここに人を呼ぶことを極力避けてきた。
 だから静乃ちゃんは俺たちの最初の『お客様』。奇しくも斎が一緒にいる時に初めてこの家に人を上げることが出来て、これで良かったのだと思う。
 静乃ちゃんは言われた通り大人しくソファに座ってるなんてコトはなく、珍しそうにリビング中をうろうろと歩き回っている。
 テレビの上に置かれた玩具を手に取ったり、棚の上の写真立てを背伸びして覗いたり。時折「コラ、人の家の中をあんまりじろじろ見て回るんじゃないの」なんて、斎に後ろから小突かれたりして。
「なぁ珱、この電車の模型って珱の?」
「そう。弟にもらったん。格好いいやろ?」
「うん、っていうか可愛いわ。なんか良いね、こういうの。男の子やね」
「静乃、お前言うことがめちゃくちゃ生意気だっつうの」
 いっぱしの大人みたいなことを言う静乃ちゃんに、斎が笑った。
 静乃ちゃんが指差したのは俺の宝物だ。まだお互いに兄弟だって言う自覚が薄かった数年前に一緒に遊んだ時に、弟が俺にくれた、大切な思い出の品。早いものでずっと赤ちゃんだと思っていた秀樹も、この春小学校に入学した。

 知らないうちに時間はゆっくり流れて、誰もが少しずつ変わっていく。
 ちょうど今の静乃ちゃんと同じくらいの年に俺と斎は出会って、あの頃は二人ともどこから見ても子供だったはずが、今ではすっかり大人として扱われる年齢になってしまった。
 生きて行くって、きっとそういうものなんだと思う。
 自分では気がつかないうちに、いつのまにか大人になっていく。あの頃は泣こうが喚こうがどうしても上手く行かなかったことが、自然に出来るようになっている。
 そして俺は今も変わらず斎のそばにいる。斎がそばにいてくれる。たったひとつ心から望んだことが、それだけはずっと変わらず同じであることが、今の俺にとって何よりも大切なことだ。
 『好きだ』って気持ち。俺たちは本当にそれだけでここまで来たんだ。
 ふと斎を振り返ると斎も俺を見ていてくれて、俺はそんな小さなコトが嬉しくてしょうがない。
 斎がそこにいてくれる。それだけでもう充分だから。







 部屋を一通り探索し終えたらしい静乃ちゃんがソファに戻ってきて、斎の隣にストンと腰掛けた。そのまま黙って上目遣いでじっと斎を見上げてる。これは絶対何かあるね。次は何だろ?
「いっちゃん、お腹空かへん?」
 案の定だ。また突拍子もないことを言い出した。彼女、何が何でも斎を困らせたいらしい。
「空かない」
 横を向いたまま相手にしない斎にしがみついて、静乃ちゃんは長い手足をバタバタと振り回した。
「いっちゃーん、お腹空いたよ〜お」
「お前なぁ…」
 大きな赤ん坊みたいに甘える静乃ちゃんを抱えたまま、斎が深々とため息を吐いた。
 斎はこういう悪気のないちょっとしたワガママにめっぽう弱いから、なんだかんだ文句を言いつつ結局最後は言うことを聞いてやることになる。それは俺でとっくに証明済みだ。
「だーめ。こんな遅い時間に物食ったらニキビの元だぞ。太るぞ。彼氏も出来なくなるぞ」
 最後の一言は全く根拠のない意見だと思うけど。
 静乃ちゃんはけろりとしたものだ。
「いいの、彼なんかいらんもん、いっちゃんがいるし。なぁお腹空いたぁ」
 そしてやっぱり最後は斎が折れた。
「へいへい、ったくしょうがねぇな。何か買ってきてやるからお前はここで珱と一緒に大人しく待ってろ。いい?」
「うん! ヤッター! フライドチキンやろ、ポテトやろ、それから…」
「うるさいっ、このワガママ娘。黙って待つ!」
「はぁ〜い」
 しおらしく返事をして斎を玄関まで見送った静乃ちゃん。
 玄関のドアが閉まるなり、今までケラケラと明るかった表情をさっと引っ込めてリビングに戻って来た、大人のような子供のような不思議な女の子。

 さて、―――――ここからが本題ってとこなのかな。
 何が出るかはお楽しみだ。







 行儀がよくて礼儀正しい彼女からは考えられないようなわがままを言ってまで静乃ちゃんが俺の家に来たがったのは、ミーハー気分で俺の家を見てみたかったからなんて理由じゃない。静乃ちゃんは俺に何か話したいことがあるんじゃないだろうか、俺のことじゃなく、…斎に関することで。
 何となくそんな気がしたのは単なる勘だ。でもそれが俺の思い過ごしでなかったことは、リビングに戻ってきた彼女の顔にはっきり現れていた。
 静乃ちゃんはゆっくりソファに戻ると、唇をしっかり引き結んで大袈裟に感じるほどまじめな顔で俺の前に立った。
「どうしたん? ここ座って待っとき。斎ならすぐ帰ってくるから」
 俺が言うと、小さく頷いてぽすんとソファに腰を降ろす。何となく心許ない表情だ。仕事柄自分より年下の女の子と直接接する機会が少ないから、俺もちょっと落ち着かないかも。
 昔の俺から比べるとずいぶんマシになったとは思うけど、斎がいないだけでやっぱりどこか不安な気持ちになってしまう。こういうところは俺もまだまだだなって思う。
 しばらく沈黙を守っていた静乃ちゃんがとうとう覚悟を決めたようだ。すっと息を吸い込むと、俺の肘に手を置いてそっと揺らした。
「なぁ、珱」
「ん?」
「珱な、先生の彼女って会うたことある?」
「…彼女…?」
 いきなりガバッと詰め寄られて、思わず怯んでしまう。
「そう彼女。東京におるんやろ、先生の彼女って」
「彼女…はいないと、思うけど…」
 こういう場合どう答えて良いものか全然分からない。
 斎に『彼女』はいない…はず。っていうか、いないだろ。それは保証できるけど…問題はそんなコトじゃない…よな。
「嘘。先生があたしに言うたんやもん。東京に大事な人がおるって」
 ムッとした顔で静乃ちゃんがぐっと拳を握る。
 万事休すだ。ああもうアホ斎っ、どうしてそんなことを正直に静乃ちゃんにバラすかな!?
 だって、これってやっぱりソウイウこと、だよな。
「静乃ちゃん、斎に彼女がいるかいないか、気になるんやね」
「すっごく気になる」
 静乃ちゃんは俺の目をまっすぐ見上げながら、全然迷いなく頷いた。
 なんて正直に、堂々と言うんだろう。
 心に思うことを正直に言える強さを持ってる静乃ちゃんに、羨ましさすら感じる。
「あたしな、こんな脳天気に見えるけど、実は去年ほとんど学校行かへんかったん。実は登校拒否児やったりして」
「えっ…」
「あはは、珱がびっくりしてる〜。とってもそうは見えへんやろ、あたし」
「そうやね、驚いた…」
「登校拒否、自律神経失調症、拒食症で緊急入院。けっこう忙しかったのよ、これでも」
 二度びっくりして言葉に詰まってしまった俺に、静乃ちゃんは余裕の表情で微笑んで見せた。 

 それから静乃ちゃんはどうして登校拒否をするまでになったのか、神経が参ってしまってどんなに苦しかったかを淡々とした口調で話してくれた。
 4月になってクラス替えがあったことと斎が家庭教師に来てくれたことでようやく学校に行く気になって、この連休前初めて新しいクラスに登校したのだと言う。
「すっごい大変やったぁ。あんなに緊張したん生まれて初めて。て言うても結局途中で気分悪くなって早退してしもたんやけど。でな、すっごく自分が情けなくって家に帰りづらくてどこで時間潰そうかなってウロウロしてたら、いきなりいっちゃんからメールが入ったん、『どこに行った、ほっつき歩いてないでまっすぐ帰って来い!』って。びっくりして急いで家帰ったら、いっちゃん、大学にも行かんと家におるん。なんであたしん家にいるのって聞いたら『新学期の初日は昼までって決まってるだろ?』やて。もう呆れて、口なんかぱかっと開いて、ぶわーって思いっきり泣いたぁ。いっちゃんがいてくれてヨカッターって思った。いっちゃんがいてくれたらもうちょっと頑張れるかなって思って、やから…彼女さんのこともちょっと知りたいかなーなんて」
 軽い冗談みたいな顔で、ぺろっと舌を出してみせる。ふざけているように見せて、実は自分で言うよりずっとずっと本気なんだろう。ちょっと目を離すと別の表情に変わっていそうな彼女の笑顔を見ていると、その気持ちは痛いくらい伝わって来た。
 そして斎がどうして単なる生徒って感じじゃなく、静乃ちゃんのことをここまで可愛がるのかも。
 斎って奴は相変わらずだな。本当に、あの頃から変わってないんだ。
「斎のコト、好き、…なん?」
「うん、めっちゃ好き」
 コクンと頷く静乃ちゃんを抱きしめたいと思った。



 彼女と同じ年頃に、俺はこんなに強くなかった。自分の思うように行かないことに、他人から突き付けられる様々な思惑に翻弄されて自棄になって、自分が本当に大切にしたかったものから目を背けて逃げてるだけだった。
 だからあの頃の俺より静乃ちゃんの方がはるかに大人で、はるかにしっかりしてると思う。
「すごいな、静乃ちゃんはすごい。かっこええな」
 正直に言うと静乃ちゃんは弾かれたように笑い声を上げた。
「なにそれ。珱って変なの〜」
「そう? 変かな…」
「わかんないけど」
 そうだな、俺にもよく分からないかな。
 でも会ったときより君のこと、うんと好きになったのは間違いないから。


 もしかしたら初恋なのかな。だとしたら静乃ちゃんの初恋は報われない。俺がそれをかわいそうなんて思うのは、きっと間違ってると思うけど。
 斎は静乃ちゃんと同じ年に俺を見つけて、体当たりで『好き』って言ってくれた。俺も斎だけを見つめて無我夢中で今までやって来た。
 俺が斎の腕に守られながら何とかここまで来られたように、俺が側にいることで斎も変わってきたんだと思う。
 いつか誰もがそういう人と巡り会う。時間とか、年齢とかに関係なく。静乃ちゃんもそうあって欲しいと心から思う。
 でも斎は譲ってあげられない。静乃ちゃんのまっすぐな気持ちに、斎は本当の意味で応えてやれない。応えてあげて欲しいなんて、絶対に思えない。
 だから、ホントにごめん、な。
「えっ、なに? なんで珱が謝るの?」
 思わず声に出ていたらしくて、なんとか慌てて取り繕う。
「あ、やから…、俺が斎のこと色々言うのは、違うかなと思って…。静乃ちゃんがホントに聞きたいんなら、斎はきっと答えてくれると思う。だから自分で聞いてみな?」
「あ、うん、そうかな」
 俺が言ってあげられるのはここまで。あとは静乃ちゃんがしたいようにすればいい。静乃ちゃんが真剣にぶつかったら、斎はきっと真剣に答えるはずだ。アイツはそういう奴だから。
 だから安心して甘えたいだけ甘えたらいい。大丈夫、俺もそれくらいは目を瞑っているからさ。
「うん、珱の言うとおりやね。今度聞いてみようかな」
 独り言みたいに頷いて、それからぽつりと「あぁびっくりした…」と呟く。
「えっ?」
「ううん、何でもない、」
 勢いよく首を振ると、静乃ちゃんはお得意の大人びた顔でクスッと笑った。







 あまり胃に重くない食べ物を選んで部屋に戻ると、静乃が待ちかねたように飛びついてきた。
「いっちゃん、家帰ろう! 珱な、明日のお仕事10時集合なんやって。あたしのわがままでこんな遅くまで邪魔したら、珱、明日起きられへん。な、帰ろっ? 今すぐ帰ろ」
  何だか分からないが、俺がいない間に静乃を充分満足させるに足ることが起こったらしい。手の掛かるワガママ娘はしおらしいことを言って、えへへと笑った。
 珱は意味深な顔でふっと笑うだけ。今回はどうも保護者の立場に徹することを決めたらしい。
 不穏な未来予想図が突然頭に浮かんできて、思わず笑いそうになって、ちょっとマイッタ。
 あ〜あ、この調子じゃ俺は残りの数日間、オアズケ食らったまま寂しく独り寝かもな。ため息と笑いが同時に込み上げてくる。
 身も心もちょっとじゃなくせつないけど、珱が楽しそうに笑ってるのなら、たまにはこういうのも良いかも知れない。
 これは決して負け惜しみなんかじゃないからな!







「あ、いっちゃん。携帯鳴ってる」
「ホントだ」
 玄関先で珱と別れて車に乗り込んだ途端、ポケットの中身がブルブル震え出した。液晶を見ると『珱』の文字。
「もしもし、どうした?」
『斎、忘れ物してるからちょっと上がって来い』
 早口でボソボソと話す、いつもの声だ。
「なに? 俺なんか忘れてる? なによ」
『ええから、早く早く。ドアの前で待ってるから』
  訳が分からないまま、静乃に『絶対車から出るな』と言い残して慌ててエレベーターに引き返す。一気に最上階まで上がると、珱は待ちかねたように扉にもたれ掛かっていた体を起こして手招きする。
「なんだよ。俺って何忘れたの?」
「時間がないんやから、急げ」
 ぐっと手を伸ばして俺の腕を掴むと、薄く開けた扉の中に体半分だけ引っ張り込む。
「だから、なんだっての…」
 全部言い終わらないうちに、頭の後ろに細い腕が回って―――――

「んっ…」
 小さく声を漏らして珱の腕が首筋に、唇が俺の唇に絡み付く。急かすように唇を押し付けては離して、舌で口角をぺろっと舐める。
「…ひょっとしてこれが忘れ物?」
 訊くと真顔で、
「コレ以外なんやと思った?」
 なんて、しれっとした顔で言う。
 信じられない奴。時々考えられないようなことをしでかして俺を困らせ…いや、喜ばすんだから、珱って奴は本当に。
「ホンっト性格悪いよ、お前って…」
「んなの昔から知ってるやろうが?」
 フフンと鼻で笑って、強請るように長い睫毛を伏せる。

 そりゃもう、力一杯存じてますとも。惚れてますから。
 わざと口に出さないで、うっすら開いた形の良い唇に唇で全部返してやった。

 


† to be continued †



 さて、次回は最終回。斎は晴れて本懐を遂げられるのか?(微笑)


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