† 5万ヒット サンクス&メモリアル †  



Ep.5



 もう夜中に近い時間で道が混んでいなかったから、車はものの15分ほどで家の近くまで辿り着いた。もううちは目の前だ。
 隣に目をやると静乃はまだよく眠っていて、一向に目覚める気配はないみたいだ。
 俺が少しだけ長居をしてから駐車場に降りたとき、静乃は助手席で体を丸めるようにしてすうすうと眠り込んでいた。バックシートに置いてある厚手のコットンブランケットを掛けてやると、静乃は何か口の中でむにゃむにゃと呟いて、また静かになった。
 こっちに着いてからずっとクルクル動き回ってばかりだったから、きっと疲れたんだろう。休みに入る直前にも体の調子を崩す事があったばかりだし。

 静乃はこの連休前、中二になってから初めて登校した。
 『GREEN DAY』のスタッフの紹介で静乃の両親と引き合わされて、何だか分からないうちに話し相手を引き受けることになって、4月の始めに俺は静乃と初めて顔を会わせた。
 小学校の終わりあたりから学校に行けなくなって、中学に上がった昨年一年間のほとんどを不登校のまま過ごしたのだと聞かされたのはそれから数日後、彼女と会った後だ。
 会ってみると驚くぐらい屈託が無くて明るくしているのに、線が細くどことなくバランスの悪い体つきが気になって両親を問い詰めたら、夏前に全く食事を受けつけなくなって、栄養失調で緊急入院したことがあるのだと聞かされた。時期を前後して原因不明の発熱が続いたりして、心身共に相当参っていたらしいことも。
 静乃の話は、俺にはとても他人事と思えなかった。不登校の子供は世の中に大勢いるし、だからそういう事じゃなく、静乃はどこか似ていたからだ。…昔の、初めて俺が見つけたときの、珱に。
 こうして安心しきってぐっすりと眠り込む静乃の寝顔を見るのは、だから俺にとってホッとすると同時に、…すごく嬉しいことでもある。
 閑静な住宅街の一角を過ぎると、ウチの門が見えてきた。珱のマンションを出る前に電話をしたからだろう、見るとお袋が門の前で俺たちの帰りを待っていた。
「お帰り。お姫様は?」
「よく寝てる」
「…ホントだ」
 目で助手席を指すと、お袋はガラス越しに中を覗き込んで目を細めた。
 俺からは何も言ってないけど、もしかしたらお袋も静乃の抱えてる事情に何となく気づいているのかも知れない。
 珱の時がそうだった。あいつが本当に望んでいること、この先俺たちがしなければならないことを考えて、最終的に両親の家に帰れるまでになったのは他でもないお袋がいてくれたからだと、それだけはハッキリ言える。
 俺たちは決して俺たちだけで生きてるわけじゃない。お互いのことで手一杯で周囲に目を向ける余裕すらなかった俺と珱に、ひとつひとつ手を取るようにしてそう教えたのもお袋だ。
「一階におふとん敷いてあるから、そぉっと運んであげなさい。…乱暴にしちゃ、ダメよ」
「わかってる」
 お袋に車を任せて助手席から静乃を抱え出す。普通サイズよりはるかにでかい男を抱え上げるのに慣れてる俺にとって、やせっぽちの静乃はまるでネコでも抱いてるみたいに軽く感じられる。
 力が抜けてくたりともたれ掛かってくる重みをもう一度しっかり抱き直すと、腕の中で静乃が少し身動いだ。
 こんなこと、そう言えば以前にもあったっけ。春の昔の、緩やかに吹き抜ける風が同じようにほんのり暖かかった夜を懐かしく思い出す。
 真っ暗な公園のベンチに座って、夜空にたったひとつ浮かんだ星を一緒に眺めた。ぽつりぽつりと話す珱の声を聞きながら、俺は今そこに俺たちがいることの意味を考え続けていたように思う。
 気がついたら珱は俺の肩に凭れて静かな寝息を立てていた。そっと肩に腕を回すと静乃と同じように珱の体温と重みを感じて、胸がひたひたと暖かくなったことを憶えてる。

 それはひとつの想いが生きる意味に変わる瞬間だった。他に欲しいものなんて、何一つなくなってしまうくらいに。

 まだ15にもなってない春の夜、あの時俺の腕の中には、他の何を失っても絶対に失うまいと願った―――――たったひとつの宝石が眠ってた。






 独りになって急に静まり返ってしまったリビングはいつもよりずっと広々として見えて、そんな季節じゃないのに少し肌寒くさえ感じる。初対面の静乃ちゃんと話したことでやっぱり緊張していたんだろう、濡れた髪を拭きながらソファに体を投げ出すと、思っていたよりずっと手足が重くぐったりした。
 斎がやっとこの家に帰って来られたってのにやっぱり実家に帰らなくちゃならないのは、仕方ないと分かっていてもがっかりする気持ちがどうしても拭えない。あと1週間のうち、二人だけで過ごせる時間はどれくらいだろうなんてことを思わず考えてしまう。
 三日? 半日? それとも…
 そんなわずかな時間じゃ次に斎が東京に帰ってくるまで、俺は待てないかも知れない。そうしたら、どうすれば良いんだろう?
 オフの前夜に最終の新幹線に飛び乗るか、電車に間に合わなければ夜中じゅうひたすら高速を飛ばすか。それでも会えるならまだ良い。もし何かの手違いでそこまでしても斎に会えなかったら? ああもう、そんなことを今考えてもしょうがないのに。
 下らない考えに嵌り込んでしまう前に酒でも飲んで寝てしまおう。こういうときは酔っぱらってさっさと寝てしまうのが一番だ。
 そう考えて立ち上がったら、ベル音と共に来客を告げるインターフォンのランプが点滅した。それもエントランスではなく、玄関の方の呼び鈴が。
 空耳…じゃないし、もちろん 見間違いでも幻でもない。
 …まさか。そんなはず、ない……
 だけどこんな時間に他に誰がウチに来る? しかも玄関前まで自由に入って来られてるんだから。
 斎かな。…きっと、そうだよな。
 …それともまさかと思うけど、コウさんが帰国の挨拶に?
 そんなギャグみたいなことが本当に起きたら、俺はたぶん立ち直れないな。
 ぐるぐると考えを巡らせながら、ふらふらと頼りない手付きでドアフォンを取って、 ゆっくりと耳に押し当てる。
「…斎?」
 返事はない。抑えた息遣いとか、気配は感じるけど。
 玄関にダッシュして焦ってドアを開けると、―――――思った通り、大きな影が腕を組んで廊下の壁にもたれ掛かっていた。
「遅ェよ」
「自分で鍵持ってるのに、何で入って来えへんねや」
「つまんねぇの」
 斎が悪戯っぽく頬を緩ませる。
「勿体つけた分、感激して抱きついてくれるかなー…とか思ったんだけど」
 俺はぽかんとしたまま動けない。斎はそんな俺を、クスクス笑いながらじっと見た。
「静乃が帰り道でぐーぐー眠っちゃってさ。コレは蹴っても殴っても明日の朝まで絶対起きないと思って、ソッコーでUターンして来た。お袋にも『消えても良い?』って一応聞いて来たし」
「したら?」
「大学生にもなった息子がドコをほっつき歩こうが、ハハにはもう関係ないそうです。好きにしな、ってさ」
「お母さんらしいな…」
「静乃のこと、悪かったな。アイツって言い出したら聞かないトコあるから。俺が出てる間に静乃と何か話した?」
「何かって…?」
 斎は言いにくそうに少し詰まった。
「友達のこととか、学校のこととかさ」
「少しだけな。学校、行けてへんかったこととか…」
「そっか。アイツ…お前にも話したか」
「俺は聞かん方がよかった?」
「いや…、静乃が自分から話したんだろ? ならもう大丈夫なんだよ。お前は心配すんな」
「そ…」
 斎が静乃ちゃんのことを本気で心配していることがよく解った。
 俺が彼女の事情のどこまでを知っているのか気になるんだろう。ソコが違うと後のフォローも当然違って来るだろうから。
 こんなふうに静乃ちゃんのことを気遣う斎はとても格好良く、…ちょっと憎らしい。俺と二人だけの時に他の奴のことを考えるのは、それが例え静乃ちゃんのことだと分かっていても面白くないなんて、実は俺の方が嫉妬深い性格なのかも?
 そこが斎の良いところだ。よくよく分かっているつもりなんだけどな。
「珱…。こっち、見て」
 見ると斎は大きく腕を広げてこっちを見ていた。笑みを堪えてるような顔をしてこっちへ来いとばかりに手招きしてる。
 ああそうだ、この感じ。
 本当に久しぶりだから心臓がもうバクバクいってる。いつでもしっかり抱きしめられていたから、斎の腕の感触は触れていなくても思い出せるけれど。
 斎の腕の中。俺が一番自分に還れる場所。
 例えどこかに置き忘れたとしても、ここに戻ればいつでもなりたかった自分に戻ることが出来る。どんな時でもこの暖かさだけは変わらない。
 目の前に立つと、厚みのある胸にあっという間に体ごと吸い込まれた。
「お帰り」
 肩に顎を乗せて耳元に囁く。お互いの腕が同時に背中に回されて、斎の肩がわずかに揺れる。
「どっちが?」
 俺は少し考えて、ゆっくり答える。
「お前も、…俺も、かな……」
 情けないけど、少しだけ声が震えた。

 






 息が苦しくなるくらい長い間塞がれていた唇が離れていく頃には、もう乱れ始めていた。内臓が好き勝手に動き出したみたいに体の中で暴れ回ってる。下腹が熱く腫れ上がっていて、斎の太腿がそこに触れる度に俺はみっともなく高い声を洩らした。
 名前を呼びたいのに、唇が震えてそんなことすら出来ない。
 下肢を割り開かれて斎の大きな体が真上から覆い被さってきた。
「ゴメン、重い?」
 珍しく照れた顔を見せて、そんなことを言う。
「久しぶりだから、すっげー緊張してるかも…」
「アホか…」
 思わず笑ってしまったら斎はちょっとムッとして、顔中にキスを落として来た。
「アホはないだろ、アホは。今日一日俺がどんなに我慢したか知ってる?」
 項から鎖骨に沿って唇が滑っていく。その軌跡をなぞるように、皮膚の表面にピリピリと微かな刺激が走る。少しくすぐったく感じるのは、自分の肌がいつもより敏感になっているからだと思う。
 我慢なんか俺だってしてたんだよ。たぶんお前よりずっとたくさん。
 バスローブの襟元に手のひらが滑り込んで大きくはだけられると、平らな胸が薄暗いライトに照らされて斎の目の前に晒された。
「斎…」
「待ったはナシな」
 呼ぶと間髪入れずに言い返してくるタイミングの良さに、また笑ってしまった。
 違うって、そうじゃなくて。
「手加減、…すんなよ」
「ん? …何を?」
「何でもしてええから」
「無茶言うなよー」
 斎は困ったように言って軽く笑顔を見せた。
「そう言うわけにもいかないだろ。明日も仕事あるんだし」
「何しても文句言わせへんのちゃうかったん?」
「気持ちだけは、な」
 何言ってるんだ、コイツは? 格好良すぎだろそれじゃ。

 そんなに優しくされたら我慢出来なくなる。もっと激しく求めて欲しいのに、与えてもらえない焦れったさで気がおかしくなりそうだ。
 悔しいくらい穏やかに笑う斎の頬を両手で包んでキスを強請る。それでも軽くしか触れてこないことがまたいっそう切なさを募らせる。
 焦っているのは俺だけか? そんなはず無いと思いながらも、何となく面白くない。手を伸ばして乱暴に斎の髪を掴むと、さらに奥を味わおうと重ねた唇の間から舌を差し込んだ。
 抵抗しない温かく柔らかな塊を絡め取って強く吸う。舌先を遊ばせながら口内を丁寧に愛撫していると、ようやく応える気になったのか斎の方から深く口づけてきた。タイミングを計るようにいったん離れて、頭を振り振りはあっとため息を吐く。
「せっかく紳士的に行こうと思ってたのに、あんまり挑発するなっての。俺が好きなようにしちゃって明日起きられなくなったらどうすんだよ…」
「何とかなるやろ」
 我ながら呆れるほど呑気な答えだと思う。
 でもしょうがないだろ、欲しいものは欲しいんだから。







 目の前にあるのは数え切れないほど何度も抱いた体なのに、何故か今夜は全く知らない人のように感じる。艶めかしく上気する褐色の肌も汗ばんで頬に張り付く髪もスッと伸びた指先も知らないところはないはずなのに、いたずらに胸がざわめいてしょうがない。苦しそうに空気を求めて開いた唇を見ているだけでぐらっと視界が揺れて背筋がヒヤリとした。
「っ、あっ…」
 珱が堪らず、と言ったふうに声を漏らして軽く身を捩った。勢いに任せて強く噛みすぎたのか、見ると胸の尖りの周囲に色濃い噛み痕がくっきりと残っていてびっくりした。
「あ、ワリぃ…」
 傷口を舐めるようにぺろっと舌で触れると、
「んんっ、ちがう、から…」
 俺に視線を合わせて、ゆるゆると首を振る。
「いい?」
「ン、いい…」
 腰も砕けんばかりに甘やかな声で囁く。
 熱っぽい体がうねるように身動いで、片方の足を高く上げて俺の腰に絡ませてくる。温度の上がった部屋の空気にゆるいため息が紛れていく。さらに深い快感を求める指がするりと背筋をなぞっては、背中を何度も往復する。
 触れている部分から珱の肌が崩れ落ちるように解けていくのが、手に取るように分かる。隠してるものを全部晒け出して請うように俺を求めてくる、腕の中の大切な宝石。
 いつのまにかそんなことが、当たり前に出来るようになってた。
 繰り返し口づけながら高まりに震える中心に手を添えると、珱はゆっくり首を揺らして、満足そうに息を吐き出した。
 逸る気持ちを懸命に抑え付けて、すっかり形を変えた昂ぶりを丁寧に指で擦る。珱も同じように俺のそそり立つモノを手のひらで包んで、愛おしげに何度も何度も撫でさすり、緩く握り込んでは、情熱を煽る。
 神経中枢を直撃する鋭利な快感を貪り合うのもいいけれど、日溜まりの中でゆったりと手足を投げ出して眠りに落ちるような、こんな穏やかな愛撫もすごくいい。
 絶え間なく噴き上がる快感にただ押し流されていく激しいセックスじゃなく、 惜しみなく時間を掛けてお互いを隅々まで確かめながら、心と快楽とをたっぷり注ぎ込むような。
 もっととろとろに熔けて欲しい。俺の腕の中でゆっくりと解かれて、堪らないように身悶える珱は本当に綺麗だと思うから。
 そして、その色づく姿を目にすることが出来るのは自分だけなのだという幸福感に、俺はまた違った欲望を刺激されるのだ。

 感じる?
 んっ…、すげぇ…そこ、いい…
 俺もすごいの、分かるだろ?
 うん、分かる……すげぇな
 お前の方がすごい、…止まんないもん
 アホ…っ、言うなよ、んなコト……

「あっ…」
 柔らかく解け始めた内奥に指を滑り込ませると、珱はびっくりしたように声を上げて忙しなく動かしていた手を止めた。
「どうした? まだダメか?」
「や、ないけど…」
 掠れた声で遠慮がちに呟く。視線を落ちつかなげに揺らしてから、珱はようやく素直になった。
「ひさしぶりやから、あんまり強くされると、イク、かも…」
 怒ったような困ったような、見慣れた表情がわずかに覗く。
 ああなるほど。オッケー、よぉく知ってるから安心して任せなさい。
 それ以上文句を言わせないように唇をしっかり塞いでからさらに内側の指触りの違う襞にグイと指を押し当てると、珱はビクンと仰け反って喉の奥で声にならない声を上げた。
 頃合いを見計らって唇を解放してやると、
「アホ、いつきっ…! あかん…ってソコ、」
 何言ってんだよ、ダメじゃないだろ?
 精一杯の憎まれ口を叩いて、それでも嫌がる素振りはない。ぎゅっと強張った両足を緩めると、強請るように大きく広げて腰を浮かせた。
 そこは柔らかく脈打ちながら、際限なく俺の指を飲み込んでいく。
 蕩けて流れそうな内側の感触が指先から全身に流れ込んで、俺もどんどん目の前の身体にのめり込んで行く。
 この熱さに埋もれながら高みに駆け上がる様を想像する。仕返しのように珱が俺を追い上げると、待ちきれない雫がじわりと滲み出すのがハッキリ感じられた。
 するとわずかに残っていた理性や余裕が一瞬で粉々に吹っ飛んで下腹がズキズキ痛み始めるのは、とんでもなく情けないけど……仕方ないコトだよな?


 あかん、もうっ……
 
 快感で潤んだ悲鳴に、なぜか俺まで泣きたくなる。
 
 いつっ…ぁ…あっあっ


 緩やかに開きかけていた花の蕾がやわらかな春の日射しを目一杯浴びてある日突然綻ぶように、世界でたったひとつの宝石は涙を零して震えながら、俺の手の中にこの夜最初の熱を吐き出した。







 ゆらゆらと揺れていた意識が何かに揺り起こされて、徐々に視界が明るくなった。瞼がまだ上がりきらなくて、重い。隣で眠る斎の体温を肌で感じていると、またふうっ…と夢の世界に引き込まれそうになる。
 もう起きなくちゃいけない時間なんだろうか。もう少しだけこのまま、この温かさの中で微睡んでいたい。
 もう少しだけ… もう、少し………

 体ごとグラグラと揺さぶられて、それまでの心地良いゆらゆらからいきなり引きずり出されてしまった。
「おいっ、珱! 起きろ!!」
「…なんや、朝っぱらからやかましい…」
 渋々目を上げると青ざめた斎の顔が真上から目に飛び込んできて、ぼんやりしつつも思考が緩く回り始める。
 何をそんなに慌ててる? 今、何時なんだろ…
「やばいって、もう8時回ってる! 9時すぎに坂口さんが迎えに来るって言ってなかったっけ!?」
 一瞬何のことか分からなくてキョトンとしてしまった。

 そうだな。坂口さんが来るまでゆっくりシャワーでも浴びて、差し向かいでのんびり朝飯でも食って……。
 …って、アホか俺は。惚けてる場合じゃないだろ―――!!!

 ざあっと嫌な音を立てて血の気が引いていく。
 今日は夏前から始まるツアーのリハ初日、スタッフの顔合わせから始まって連休返上でこれからのスケジュールを全員で摺り合わせる大事な日だ。この日に間に合うようにコウさんも昨日帰国してるはずだし、仮にも『JUDE』のヴォーカルである俺が遅刻なんてしようものなら、怒り狂ってどんなペナルティを食らわされるか分かったモンじゃない。
「あと何分? げっ、40分切ってる!? サイアクっ」
「急げっ、とにかく朝飯の用意しといてやるから速攻でシャワーして、今ならまだ何とか間に合うって!」
「サンキュっ! 悪いけど、頼んだっ」
 叫ぶように言い捨てて、俺は慌ててシャワーブースへと駆け込んだ。

 後から思うと、前の晩散々イカされてヘロヘロになってた身体のことを出掛ける直前までキレイさっぱり忘れ去っていられたことは、不幸中の幸いだったかも知れない―――――。








「それで静乃ちゃん、ちゃんとご両親に会えたんか?」
 久しぶりに珱が手ずから作ってくれた夕食が並ぶ食卓を挟んで、珱が言った。
「ああ、夕方静乃から電話があった。パパママがちゃんと空港まで迎えに来てたからすぐに会えたらしいぜ。もう、すげぇご機嫌でさ。ったく最後まで人騒がせな奴だよな。いきなりお前の仕事場にまで電話させるし。俺、また兄貴にどやされんじゃねぇかってヒヤヒヤしたよ」
「ちょうど休憩中やったから全然構へんかった。俺も静乃ちゃんと話したかったしな」
「キミら、何を話したの。教えてよ」
 途端に珱は意地の悪い顔で目を細めた。いかにも得意そうに心持ち顎を上げて、よく光る真っ黒な瞳でじっと俺を見つめてくる。
「ヒミツ。お前には教えられへんな」
 はいはい、そうでしょうとも。
「くっそ…。すっげー気になる。ハミにされるのって、なんか悔しい…」
「妬いとけ、妬いとけ」
 ニヤニヤと笑うだけの珱は憎たらしいほどイイ顔をしてる。
 珱と静乃は俺が思っていたよりずっと気が合ったらしく、知らないうちにすっかり共犯者になってしまったらしい。


 静乃は結局丸2日間を東京で過ごして、いきなり両親の待つ札幌へ行くと言い出してまた俺たちを驚かせることになった。
 『あれ、言ってなかったっけ? 同じ飛行機は取れなかったけど、いっちゃんちに遊びにいった後遅れてパパとママに合流する予定だったんだよぉ』なんて、大きな目を悪戯っぽくにや〜っと細めてサラリと言って。
 言っておくが静乃は絶対確信犯で、最初から俺を驚かせるつもりだったことは見え見えだ。一筋縄ではいかない大人のような子供のような生意気な女の子
 ―――――それが静乃なのだ。
 俺はきっと京都にいる4年という間中、最初から最後までこのこまっしゃくれた中学生に振り回されることになるんだろう。そんな予感をひしひしと実感する慌ただしい五月のある日、静乃というミニ台風は見送りに行った俺とお袋に向かって颯爽と手を振って、羽田発札幌行きの飛行機に乗り込んで東京の地を飛び立って行った。
 搭乗時間が迫ってから珱と話をしたいと言い出して俺に電話を掛けさせて、仕事中の珱を捕まえてずいぶん長い時間話し込んでいたけど、何を話していたのか、俺は結局教えてもらうことは出来なかった。
 もしかすると静乃はまたひとつ、俺を困らせる悪戯を思いついたのかも知れない。珱と静乃の二人だけが知っている秘密という、最高最強の作戦を。








 静乃ちゃんという台風の目に斎が良いように振り回されたコトから始まり、俺はいつもと変わらず過密スケジュールに追い回され、時間が空くとすかさずじゃれついて遊んだりして、初めての休暇は結局最初から最後まで慌ただしく過ぎて行った。
 最後の電話で俺と静乃ちゃんが話した内容を言えないまま、一週間の短い帰京を終えて斎はまた京都へと戻って行った。

 そしてまた、あいかわらずの日々。
 俺は東京に残り、長丁場のツアーに向けてリハーサルや打ち合わせ、メディアへの露出と宣伝活動に追われて毎日馬車馬のように働いている。
 斎は連休明けにいきなり教授からレポート提出を命じられ(何をやらかしたのかは謎)三日完徹で昨日まで悲鳴を上げていたらしい。静乃ちゃんは今のところ順調に学校生活に復帰しつつあるそうだ。

 今度休みが取れたら俺が向こうへ行ってみようかな。
 斎には内緒だって言われたけど、いつか静乃ちゃんと京都でデートするって約束をさせられてしまったこともあるし。それはそれで俺としてもちょっと楽しみだったりする。
 そしてもう一つの秘密。
 
『斎のコト、好き、…なん?』
『うん、めっちゃ好き』
 斎センセイにはばらしちゃダメだよって、静乃ちゃんは俺にそう言った。

 これはたぶん永遠に、―――――斎には秘密のままになるんじゃないか、と思う。




† end †



波乱含みの初めての帰京編。5万ヒット、本当にアリガトウございました!


back / close