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† 5万ヒット サンクス&メモリアル † 
Ep.3
その日、静乃を交えた瀬田家の夕食はとても楽しいものになった。
俺からの電話で美帆さんと一緒に実家に顔を出した兄貴と、珍しく仕事が早く終わった親父も加わって、いつも大人しい珱も驚くほど屈託無くよく喋って笑う、本当に楽しい夜だった。
初めは一緒に東京について行くという静乃に驚かされたけど、これで良かったのかも知れない。何より静乃が楽しそうにはしゃいで大きな声で笑っている様子を見られたのは、大きな収穫だったと思う。
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「いっちゃんちってお父さんもお母さんもすっごく面白いな。あたし大好きやわ。一緒に連れてきてくれて、いっちゃんホンマにありがとうね!」
風呂から上がった静乃は、お袋がうきうきしながら買い物に連れ出して買ってやった新品のパジャマを着込んでご満悦だ。俺のベッドにちょこんと腰掛けて長い黒髪を丁寧に拭きながら、嬉しそうにうふふと笑った。
「いえいえどういたしまして」
「リーダーってやっぱかっこええよね〜。大人ーって感じ。もちろん珱の方が格好良さはちょっと上やけど」
静乃がリーダーと呼ぶのはもちろん兄貴のことだ。デビューと前後するくらいの頃からメンバーがみんな兄貴のことをそう呼ぶようになって、ファンの間でも自然にその呼び名が定着しているらしい。何というか、メインギターのくせにライブで派手なパフォーマンスをするわけでもなく、飾り気がなくて面倒見の良い兄貴にぴったりだと思う。
珱だけじゃなく期せずして憧れの『リーダー』とその彼女(ここは結構重要なポイントらしい。ファンの考えることはよくわからん…)にまで会えたことは、静乃にとって本当に嬉しいことのようだった。部屋に入るなりずっと、珱や兄貴や『JUDE』のことを夢中で俺に話して聞かせている。
明るいけれどどこか他人を斜めから見るような醒めた部分を持ってる静乃も、所詮はただの女の子、というか『JUDE』ファンだって事か。
何にせよ静乃がご機嫌なのは、いろんな意味で俺にとっても有り難い。
「友達がめっちゃファンなん。雑誌とか絶対2冊買って、リーダーの写真切り抜いては毎日持ち歩いてるんやから。あたしがリーダーに会うたって言うたら、やっぱ怒られるかなぁ」
「友達って、…学校のか?」
「ううん、『JUDE』のファンクラブのサイトで知り合うたコ。青森だか秋田だか、なんか東北の方に住んでる子なん」
「あ、そっか。ファンクラブの、ね…」
驚いて思わず聞き返したことにヒヤリとした。静乃の言動に注意してやらなきゃいけないことを、俺はコロッと忘れていたからだ。 静乃も浮かれているからか、俺の失言に気づいていないらしくけろっと返事を返してきて、ホッと胸を撫で下ろした。
やばいな。やっぱり住み慣れた自分の家だからか、俺も少し油断してるのかも知れない。
「お前そろそろ寝ろよ。明日起きられねぇぞ」
「いっちゃんは? まだ寝ないの?」
「大人はいろいろ忙しいんだよ」
これからは夢にまで見た珱との時間だ。子供に邪魔をされちゃかなわない。
静乃はぷっと頬を膨らませると、いかにも不満そうに唇を尖らせた。
「ええ〜。いっちゃんが起きてるならあたしも起きてる〜。珱とももっと話したいし」
「バッカやろ。珱は明日も仕事なんだよ。丸々一週間休みの俺たちと違って、芸能人は連休中も忙しいの。そうそうお前に付き合ってられるかよ」
「えー!! うっそ、もうバイバイ? やぁやそんなん。せっかくこんな間近で珱を見られるのに、もうバイバイ? ええ〜〜〜っ!?」
「黙りなさい、このワガママ娘」
「何? なに大声で揉めてんの」
居間で兄貴と明日の打ち合わせをしていた珱が、ひょっとドアから顔を覗かせた。
「きゃあっ、珱や! きゃあきゃあ」
「きゃあきゃあうるさいよ、静乃」
「そんなに怒んなや、斎。静乃ちゃんがかわいそうやろ」
珱は可笑しそうに目を細めると、肩を竦めて軽く微笑んだ。どこから見てもやっぱ綺麗な顔だよなーと、思わず惚れ惚れ見とれてしまった。バカと言われようが構うもんか。俺は珱のすべてに惚れてるんだ!
それにしてもなんだな。馬鹿馬鹿しいと思いつつ何となく静乃と張り合ってしまう俺って、もしかしなくてもちょっぴり哀れか?
「もう帰るか? 送ってくよ」
「ん、頼むわ」
ごくさりげなく俺が言うのに、珱も顔色ひとつ変えずにさらりと答える。内心は二人とも空を飛んで帰りたいくらいだが、静乃の手前でれでれした顔を見せるわけにいかないし。
と突然、しばらくボケッと珱に見入っていた静乃が声を張り上げた。
「あたしもついてったらあかん? ね、ダメ? あたしも珱のおうちに行きたいっ。ねっ、お願い!」
「はぁ!?」
「は…」
この静乃の発言には、珱だけでなくさすがの俺も絶句した。んなこと出来るわけねぇだろ! っていうか、させられません、ソレだけは!
「お前さ、ワガママもいい加減にしろよ。俺んちはともかくお前みたいなファンが珱の家に行って良いわけないだろうが。ちょっとはもの考えて喋れっつうの」
「だっていっちゃんは珱の友達やんか。いっちゃんからも頼んで。ね? お願い!」
「絶対ダメ!!」
あまりにもしつこく迫る静乃に腹が立って強い調子で怒鳴りつけると、さすがの静乃もビクッと肩を震わせて黙り込んだ。あったり前だ。あんまり調子に乗るんじゃないの。
俺が珱と早く二人きりになりたいってのももちろんあるが、本当に重要なのはそんな事じゃないからだ。
確かに珱は俺の大事な恋人だけど、それと同時に、世間一般に顔を晒して生きる人間でもある。例えば自宅に人を招くといった、普通に暮らす人間なら別にどうと言うこともない些細なことでも、細心の注意を払わなければならない時もあるのだ。
静乃にはまだその重大さが理解出来ないだろうし、それは仕方ないことだと思う。だからこそ、珱のことを誰よりも大事に思ってる俺がほいほいと静乃の我が儘を聞いてやるわけには行かなかった。
俺は出来るだけ優しく聞こえるよう気をつけながら、黙って俯いてしまった静乃の顔を覗き込んだ。
「明日お前の行きたい所、どこでも連れてってやるから今日は我慢しろ。解るよな? 俺の家は俺の家、珱の家は珱の家。全然別だろ?」
静乃がクスンと鼻を啜る。いつもはあんまり煩いことを言わない俺が真剣に怒ったことで、相当堪えたらしい。胸がちくっと痛むのは仕方がない。譲れないことを貫き通すのに痛みが伴うことはよくあることだ。
「…ええよ」
ずっと黙って話を聞いていた珱が、急にびっくりすることを言い出した。
「…ハイ?」
珱さん、今何と?
「静乃ちゃんも一緒に行こ、俺んち。寝に帰るだけの合宿所みたいな部屋やから、見てもあんまり面白ないと思うけど」
「うそ…、ほんま? 珱」
「珱〜っ。お前何を言って、」
どうして俺がこれほどムキになって静乃を叱りつけるのか、珱にだって分からない訳じゃないはずだ。むしろ性格的にも珱の方が嫌がって当たり前、それが、一体どういう風の吹き回しなんだ?
俺の抗議もどこへやら、珱は仰け反りそうなほど綺麗な顔で俺と静乃に向かってニッコリ笑った。
「ほんま。ほら、決まったらさっさと着替えて、髪の毛もよく乾かさへんと風邪引くから。それから、先生のお母さんにもこんな遅い時間から俺んちに行ってもええかどうか、自分で聞いてくること。出来る?」
「うん! 待ってて、今すぐ聞いてくるし!」
半泣きの情けない顔をパッと明るく輝かせて、静乃は勢い良く部屋を飛びだして行った。「お母さーんっ」と叫ぶ声が信じられないスピードで階段の向こうに消えて行く。
俺はただただ呆然。これから珱と差し向かいで溜まりに溜まった欲求不満を一気に解消!と、よこしまな期待でぐるぐる踊り出しそうだったのに、どうしてこうなるわけだ? …んなのってアリかよ……。
「珱…お前〜…」
「ゴメン…」
静乃と同じく半分泣きべそをかきかけの俺を見つめながら、大事な恋人はストンと隣に腰を降ろした。
「マジ、ごめん。小さい子に泣かれるのは辛い、っていうか、…なんかただの我が儘って感じやない気がしたし…。悪い…」
「それって、…どういう意味?」
「なんかわからんけど。俺んちに来ること自体より、言うこと聞いてもらうのが大事って言うか…」
思わず溜息が出てしまった。決して呆れたワケじゃなく、びっくりして…そして嬉しかったから。
珱は感じてる。静乃の、表には決して出さない心の中の隠された部分を。
上手く言葉に出来ないだけで、会ったばかりの静乃の心を敏感に感じ取れるほど、珱は他人をまっすぐ見つめられるようになったんだと思った。それは俺にとって泣きたいくらい嬉しい事実だ。何だかそれだけでもういいやって気になるくらい、珱は変わった。人間として、―――――男として。
だいたいあの珱にこれだけ素直に謝られて、めちゃくちゃ申し訳なさそうに上目遣いで見つめられて、俺にこれ以上何を言えって言うんだ? 昔っから俺はこの目には完敗なんだよ、からっきしなんだ。
あああ自分でも分かってんだよ、もういいよ!
ドアの外に耳を澄ませて静乃の声が聞こえないことを確かめてから、珱の肩に腕を回す。珱も自分から擦り寄って俺の膝に手を乗せると、うっすらと目を閉じて「キス…」と小さく呟いた。
精一杯のお詫びの印? 慣れないことするから耳まで真っ赤だぞ、お前。
「おあずけ食らった犬の恨みは怖いからな。覚えとけよ? 俺が切れて何しても文句言わせねぇからな!」
次に二人っきりになった時、どんなにお前のこと欲しがっても知らねぇぞ。泣いても恥ずかしがっても絶対許してやらねぇ。わかったか!
なんて、強気なことをバンバン言えたら俺も苦労はしないって。
実際俺がしたことと言えば、珱の長めの髪をゆっくり撫でながら珱と俺の望み通り触れるだけより少し熱っぽいキスを、時間の許す限り何回も繰り返すことだったんだからな。
† to be continued †
相変わらずお父さんのような…。本物のお父さんはこんな不埒なことはしませんが。 |