◇ 一月一日・午後3時 ◇



 窓の外に目をやると、雪がちらつき始めていた。道理で寒いはずだ。昨日から終日降り続く粉雪は、積もることはないけれど確実に地面を濡らし続けている。エントランスの植木は氷が張ってるみたいにキラキラ光って見えた。
 表に人の影はなく、シン、という音が聞こえてきそうな静けさだ。

 昼を過ぎてから起き出して、とりあえずマネージャーに生きてることを連絡した。とは言え、向こうは完全に潰れてたけど。
 簡単に飯の支度をして適当に食った。
 久し振りに風呂を沸かしてゆっくり入った。
 パソコンを立ち上げて、溜まってるメールにすべて目を通した。年賀メールには返事を書いた。
 今しなきゃならないこととか、思いつくことは全部済ませた。散らかってた机の上も片付けたし(散らかしたのはたぶん斎だ)、CDの棚まで整理した。
 これ以上やることなんか思いつかない。…なのに斎が起きてこない。
 もう一度窓際に立って雪が止んでいないことを確かめると、俺はそっと寝室の扉を開けて隙間から顔を覗かせた。
 斎はさっき見た時と同じ体勢でぐっすり眠っていた。深い眠りの表情。すごく気持ち良さそうな。
 俺は目が覚めてから何度目か、深い深いため息を吐き出した。




 ひとりの時間を持て余すなんて、自分で自分が信じられない。昔と違って普段は遠く離れて暮らしてるわけだし、斎が休みの土日祝日に限って仕事が入ったりすることも多く、四六時中一緒に居られたコトなんてほとんど無いし…だからこんなに物足りない気分になるのは、正直言ってかなり面白くない。
 寝室に雪崩れ込んで叩き起こしてやろうかとも思ったけど、ソレだけはしないでおくことにした。斎はたぶん怒らないだろうし、それはいくら何でもかわいそうすぎる。
 最高記録更新中のため息をもう一つ吐いて、ソファに体を投げ出した。
 ヒマだよな…。
 大の男が正月にヒマを持て余すなんて情けないにもほどがある。
 さっき届いたメールでは、えりかは彼氏と真美子とその彼氏の4人で苗場に行っているという。
『珱くん、明けましたよ、オメデトウ! 今年はテレビじゃなくて生珱が見たい。あ、無理言うなと怒る珱くんの顔が見えます。ライヴ中継はスキー場のテレビで観たよ。ぎゃあぎゃあ叫んで彼に怒られた。というわけで(どんなワケ?)今年もよろしく。元気でガンバレ! えりか』
 まんま普段の喋り方そっくりの文章は、放っておいても天然ハウリングみたいなえりかのでかい声で聞こえてくる。
 相変わらずテンション高いな。元気でやってるみたいだ。
 『GREEN DAY』で働いてた頃の懐かしい記憶が甦る。
 あの頃は年末とか正月といえば毎年バイトしてた。斎が高校受験の年は、俺とカテキョの先生がつきっきりで勉強に付き合ったんだっけ。
 次の年は家を出て初めて元旦を実家で過ごした。たった40時間足らずの帰宅。中学の時は一緒に住んでた家なのにとんでもなく緊張して早く斎に会いたくて、だけど俺にとっても、たぶん家族にとっても忘れられない二日間になった。
 その次はデビュー元年だったからおちおち正月気分を味わう余裕はなくて、仕事の間が空くと意味もなく不安になってばかりだった。翌年は逆に正月返上でがむしゃらに働いてて、ようやく休みが取れたのは成人式をすっかり過ぎてからだった。
 その年ごとに違う正月がやって来る。時間は確実に流れてる。一年はあっという間に過ぎて、一日は早かったり、嫌というほど長かったり。
 今年はどんな年になるんだろう?
 先はまだまだ見えない。まだ始まったばかりだ。




 こんなにゆっくりするのはひと月ぶりぐらいだから、ひとりでソファに座っていると、取り留めのない考えが後から後から浮かんで来てキリがない。
 繋がりがあるような無いような思考の所々で斎の顔がちらちら浮かぶ。
 思えば全部斎に繋がってる。歌も、両親も、俺が今まで過ごしてきたたくさんの日々のすべてが、斎というフィルターを通して俺の中に流れ込む。
 ソファの上で膝を抱えて座り直す。
 目を閉じて息を詰めて、ぐっすり眠る斎の姿を想像した。


 精悍な顔を穏やかな眠りが覆っている。腕を胸の下に巻き込んで苦しそうな体勢で眠るのは昔からの癖だ。時々小さくため息を吐いて、自分の立てた呼吸音に驚いて寝返りを打つ。
 斎は体温が高いから、羽布団の中は汗をかくくらい暖かいだろう。だから隣に寝ていると俺は冬でも寒い思いをしたことがない。
 腕を解いてその下に潜り込む場面を思い描く。
 胸にぴたっと頬を押し付けて斎の心臓の音に耳を澄ます。
 初めて抱き合った頃、トクトクトク…と刻まれる心音を聞いているだけで、不眠症気味だった俺はあっという間に眠りに落ちた。意識が閉じる寸前はいつも少しだけ涙が出た。
 抱きしめられてキスされるのは身が竦むほど恥ずかしかった。だからいつも最初は嫌がるフリをして斎をがっかりさせてたんだっけ。あの頃の自分を思い出すと、あまりの恥ずかしさに今でも頬が赤くなって背筋がヒヤリとする。
 いつも屈託無く笑ってアッケラカンとしてるのに、ふとした拍子にいきなり強引に求めてくるところにも戸惑った。あくまで明るく、あくまでガキっぽさを装いつつ、だけどいったん始まったが最後、俺を抱く時の斎はクラクラするほど男っぽかった。
 …体ってホントに正直だ。そこに思い当たった途端、にわかに熱くなるんだから。
 体の芯から溶かされていく不思議な感覚。全身の神経が全部麻痺して、斎に触れられている部分だけが切り取られていくような。どんなに我慢しても、見えない力に操られているみたいに自分の喉から声が漏れてしまうのも不思議だった。
 開かれていく身体と受け入れていく心。死ぬほど恥ずかしくて、とんでもなく気持ちよくて。
 変わっていくことに戸惑いはしても恐怖を感じなかったのは、触れているのが斎の腕だったからだ。怖さよりも『欲しい』という正直な欲求の方がずっとずっと強かった。

 斎がしてくれるところを思い浮かべながら、身体を丸めて膝頭に自分の唇を押しつける。膝の内側とか腕とか手首とか、届く範囲のあらゆる場所を舌と唇で何度も辿った。
 両方の掌を首筋にひたと当てる。
 鎖骨の窪みをゆっくり撫でる感触は違うものだけど、斎の手の感触は肌がはっきり憶えてる。
 こんな時斎は何て言うんだっけ?  教えてくれよ。お前、いつも言ってくれるだろ。

 珱…って呼ぶ声がする。
 『珱』
 俺の名前を繰り返し呼びながら、唇だけじゃなく、体の隅々まで丁寧なキスをくれる。

 『珱』

 ……それから?

 『アイシテル』

 ん、俺も―――――、…




「愛してるよ。…なーんてな」


 後ろから突然声が聞こえたから、眩暈がするほどびっくりした。肩がびくっと縮こまって体がソファから10センチは浮き上がった感じ。
「び、っくり…したぁ」
 まだ目の前がチカチカしてる。心臓が破裂するかと思った……。
 いつのまにか斎が後ろに立って俺を見下ろしていた。
「何してんの」
 顔が意地悪くニヤけてる、と言うことは今の絶対見られてたな。
「何って…別になんも、して…へん…」
 思わず語尾が小さくなってしまった。 今の今まで待ちぼうけ食らわせてたくせに、こんなトコロだけ目撃するなんてタイミングが良すぎると思わねぇ?

 大きな手がゆっくり両肩に乗せられる。そのままするりと滑って、胸の前で止まる。もう一度掌を返して、今度は首筋へ。まるでマッサージでもしてるみたいだ。
 斎が耳元に囁いた。
「さっきの続き。してもいい?」
「…何の続き?」
 もしかして、それってからかってる?
 ムッとして振り返ろうと思ったら、肩をがっちり押さえられてしまった。
「ウソ、もう忘れたのか? どこでも触っていいって言ったじゃん」
 ああ、そうだったな。確かに言った。
 その間にも斎の手はどんどん浸食を始めていて、Tシャツは今や腹より上まで捲り上げられている。そろそろと動く手のひらと指はあと数センチで胸の突起にたどり着きそうだ。
「さっきは途中で眠っちゃって惜しいことしたしなー」
「ソレは残念」
 呑気なことを言いつつもちらっと本気が見え始めた腕を両手で掴む。万歳しながらぐいっと押し退けると、斎は「えぇー」と情けない声で抗議した。
「そういうコトするのは、メシと風呂を済ませてちゃんと人間に戻ってから。起き抜けの犬っころのうちはヤラシイ接触は全面禁止。オーケー?」
「へいへい…」
 しょうがねぇなって感じでクスクス笑う、優しい声がくすぐったい。不覚にも一回くらいなら流されてやっても良いか、なんて気分にさせられたけど、悔しいからそれは黙っておこう。
「んじゃ、お前が惚れ直すくらいぴかぴかに磨いてくるかぁ」
 斎は呆れるような冗談をサラリと言うと、俺を腕ごと引き寄せて頭の天辺にチュッと音を立ててキスをした。




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