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土曜の夜だというのに、する事がないなんてサイアクだ。
暇つぶしに街をぶらついても目に入るのは自分と同じように暇を持て余したバカばっかりで、面白そうなことなんかひとつも無い。昨日までスリリングだと思ってたことが、朝目が覚めたらツマンナイコトに変わってる。そういうサイクルだけがとてつもなく早い。
「なんか面白ェことねぇかな〜」
仲間内で交わされるいつもの会話だ。自分が言わなくても他の誰かが必ず言う。そんな毎日に篠井由貴は心底飽き飽きしていた。
しゃかりきになって勉強したってどうせ先は見えてる。俺たちなんかよりもっと頭が良くて要領も良い連中が寄って集っていじくり回すツマンナイ国に住んで、毎日変わり映えのしない物を食って眠くなるまで街を徘徊するんだ。
そこには昨日もなけりゃ明日だって未来だって無い。あるのは干涸らびて今にも塵になって吹き飛びそうな軽い人間関係だけ、それだって本当にあるのかどうか実際に確かめたことなんて無い。
「由貴さぁ」
由貴の隣に腰掛けてタバコに火を点けていた岩居誠次が口を開いた。目の前でギラギラのネオンがくるくる回ってる。ときどき世界はネオンと同じ速度で回ってるんじゃないかと真剣に思う。
「あの女どうしたのよ、先週連れ回してた女はよ」
「そんなもん終わってるヤロ、とっくに。由貴が1週間も同じ女と保つわけないやん」
「まぁな〜」
由貴の代わりに返事をしたのが古谷真之。どちらも由貴と同じ高校に通う同級生だ。
「ふっざけんな。8日間くらい保ったことあるヤロ……」
言ってて自分で可笑しくなる。所詮女もそんな程度だ。ペラペラの、見るからにバッタもんのアクセサリーと同じ。あれば何かのアクセントにはなるが決してそれは本物ではなく、無ければ無いで別に困るものでもない。
「なんか面白ぇコト、ねぇのかよ」
「あるわけ無いやろ。そんなに面白いことしたきゃ自分で探しに行け、自分で」
「面倒くせぇよ……」
そしてまたいつもの会話に逆戻りする。
ああ、飽き飽きする。また同じ夜の繰り返しだ。
死んでいるような退屈から抜け出せる可能性はひとつも見えない。溜め息と倦怠感を敷き詰めたベルトコンベアにだらしなく寝転んだまま、自動的にまた新しい朝に向かって押し出されていくのだ。
「なぁ、由貴知ってる? 3年の鷹木って先輩」
退屈な昼休み、いつものように屋上で寝そべっていた由貴に岩居が声を掛けてきた。
「鷹木? さぁ、聞いたこと無い。そいつが何?」
「昨日お前が帰った後にクラブで一緒に飲んでた奴らが言うとったんやけど、ウチの学校の鷹木って生徒が最近あの辺りでえらい幅利かせてるんやってよ」
「へぇ」
「俺らの学年にそんなヤツ思い当たらへんし、3年やないかなー思て」
「そうなんじゃねぇの」
上の空で曖昧に相槌を打つと、由貴はもう一度目を瞑った。
賑やかな夜の街で大きな顔をしている高校生の話など別に面白くも何とも無い。そういう奴の噂はしょっちゅう耳に入ってくるが所詮は子供のお遊びだ。学校を卒業すれば何事も無かったように真面目な一般人に戻るか、あまりに目立ちすぎるとそれよりさらに大きな勢力に潰される。彼らの辿る道はどのみち由貴にとってあまり興味を引くものでは無かった。
隣で岩居はまだ喋り足りないように同じ話題を繰り返している。
「なんかえらく迫力あるキレーな兄ちゃんらしいけど、ウチの学校の奴らしいってコト以外詳しい経歴とか全然話が回って来えへんてそいつら言うとった。謎多き美少年ってヤツ?」
「どこが謎なんや。ガキやて分かってるだけでもうつまらんやろうが」
「そうでもないやろ。今まであの界隈で目立ってた奴らとはちょっと違うんや。やばい世界と繋がってるって噂もあるらしいし。なんかいろんなトコに顔が利くって」
「モノホン予備軍? ……もっとつまらんわ」
「ほんまクールやね、お前は」
何の反応も見せない由貴に諦めたのか、つまらなさそうに呟いてから岩居は噂話をそこで切り上げて由貴の隣に寝転んだ。
「なんかタルいよな〜。このままフケてぇ」
「次、俺選択科目と自習やしオッケーやで。ゲーセンでも行くか?」
「あ、俺あかん。5限目オニ原なんや。出とかんと後がうるさい」
「ご愁傷さま」
「うるさいよ」
からかうような由貴の言葉に岩居は心底嫌そうに口を尖らせて見せた。
午後の早い時間だからか、街は閑散としていた。人通りはそこそこあるが活気がなく、心なしかダラリとした空気が流れているように見える。車道を背にして腰高の柵に凭れていると、緩い速度で車が走り抜けるたびに風が起こって項を覆う由貴の髪を揺らして行った。
こういう風景は嫌いじゃない。湿気を帯びて全身にまとわりつく生温い温度は、どことなく人間の体温を思い起こさせる。
たまにそれが恋しくなるのは何故だろう。欲しくもないそこらの女を思い出したように引っ掛けるのはそのせいだ。
時折自分でも不思議になる。それほど渇いているわけでもないのに、無性に人肌が恋しくて堪らなくなる時があるのだ。
顔もロクに見ない女の中に自分を埋めてその温度を確かめる。女の熱ではなく自分の熱さをだ。
その時だけは生きてるって感じる。ああ、俺は生きている。
ザワザワと蠢く無数の襞に包まれまがら射精する―――――高まる快感を自覚するその瞬間だけが由貴に感情を呼び起こすのだ。
セックスしてぇな。何となくそう思った。
まだ昼間だ。補導員の目を誤魔化すために私服に着替えてはいるけれど、こんな時間にナンパしたところで引っ掛かるほど暇な女はそういない。由貴は仕方なくズシリと重く感じる腰を上げて裏道沿いの公園に向かった。
四条通を少し北に上がると中心部とは思えない場所に公園がある。小さなホール横に広がるその面積は街中とは思えないほど広々としていて、時間が余ると由貴はそこでぼんやり時間を潰すことが多かった。
別に深い意味はない。何となく人目から逃れられる気がするからだ。
俯いたままブラブラと足を運ぶ由貴の瞳に何かが映った。
「へぇ……」
知らず知らず由貴の唇から声が漏れていた。
取り立ててどうということなく配置されたコンクリート製のベンチに、見知った制服姿の少年が腰掛けていた。由貴と同じ高校の制服だ。
随分度胸がある奴だ。―――――一目見てそう思った。
由貴の学校は市内でも上から数えられる進学校で、その制服のデザインは一般に広く知られている。夏服に替わっても上着を着なければならない学校はさすがに珍しいからだ。そんなものを堂々と着込んで真っ昼間にこの辺りをぶらついたりしたら、それこそ補導して下さいと言っているようなものだ。
少年は身動ぎもしないでベンチにじっと座っていた。風に髪を攫われるのが気になるのか時折小さく首を振るが、それ以外はほとんど指も動かない。
後ろから眺めた感じは華奢な雰囲気だ。骨格が細いのだろうか。どことなく不安定な、触れるとポキリと折れてしまいそうな印象を受ける。
その少年の顔を見てみたいと思った。有無を言わさず肩を掴んで強引にこちらを振り向かせたい。見ず知らずの由貴にいきなり見下ろされて少年はどんな表情を見せるだろう?
ここでぼんやり眺めていても少年が振り返るとは限らない。由貴は足早に少年の背後に近づくとその肩に軽く手を置いた。
「なぁ、こんなとこでなにしてんの?」
白々しいほど明るい由貴の声に反応して、少年がゆっくり振り返った。
―――――息が止まるかと思った。
吸い込まれそうなほど澄んだミルクティー色の瞳。『抜けるような』とはこういうことを言うのだろうと納得してしまうほど白く輝く肌色。しなやかな弓のように綺麗に整えられた眉は左右に自然に伸びて、その表情に見事なアクセントを醸し出している。
綺麗だ。尋常じゃない綺麗さだ。
見上げてくる瞳が僅かに伏せられると睫毛が頬に濃い影を落として、その度に由貴の心臓がドキリと鳴る。
と、熟れた果実を思わせる唇がそろりと動いた。少年が何か言葉を発するのだ。由貴は息を飲んでその瞬間を待った。
「―――――あんた、誰?」
良い声をしている。
乾いて抑揚が無く、これ以上は無いほど無関心。誰だと聞き返してくるだけマシというものか。
「誰やろうな?」
口の端をわずかに引き上げて見せてから、由貴は低い柵を跨いで少年の目の前に回り込むと隣に腰を降ろした。
「そんなこと気にしてる場合やないんやないか? その格好でここら辺を彷徨くのは賢い奴のする事やないやろ。面倒な奴らに止められるぞ」
「ああ……」
フワリと笑う気配がする。
「心配してくれんの? おかしな人やな」
「おかしいか?」
「とりあえず、ここに座ってて声掛けられたのは初めてやな」
数回瞬きをして少年が由貴を見上げた。思いがけなく子供っぽい表情だ。心から不思議がっているような。不意に発作のような笑いが込み上げた。
「確かに……、声掛けにくいやろな」
「そうか?」
「じっとしたまま動かへん。得体が知れん。……驚くほど顔が綺麗」
「なんやそれ」
「あんたに声を掛けにくい理由」
由貴がことさら明るい声を張り上げる。
「真っ昼間やのに幻でも見てる感じ。幽霊みたいな? な、聞くだけで怖いやろ?」
少年の唇が上向きの曲線を描いた。微笑みの形だ。
「アッホくさ…………」
額に軽く手を当てて肩を小刻みに震わせる。そんな何気ない仕草すら惚れ惚れするほどの優雅さだ。本当に人間じゃないのかも知れない。笑ってしまうような下らない考えが由貴の頭の端を掠めた。
「ならそのウルサイ奴にいちゃもんつけられる前にさっさと帰るわ」
それだけ言うと、少年はいきなり腰を上げた。
「マジか? そんなんで彷徨いたら思いっきり目立つて言うてるやろ。ほらコレ、」
その無造作な言動に驚いて、気がついたときにはパーカを脱いでいた。由貴は立ち上がるとそれを少年の目の前に突き出した。
「着てけ。ブレザーが見えへんかったらまだマシやろ」
返事も聞かずに少年の手にスウェットを押しつける。
少年は凍り付いたようにピクリとも動かない。
「なんや?」
さすがに不思議に思って下から顔を覗き込んだ。
体を屈めて首を捻ると、―――――大きく見開かれた瞳と目が合った。
暗い影の下でも透き通って見える淡いブラウンが由貴の視線を追って左右に動く。
その瞳がスローモーションで閉じられる。
長い睫毛が由貴の目の前で小さく震える。
途切れ途切れに繰り返す浅い呼吸音まで聞こえる気がする。
周囲の空気が突然その色を変えた。
これってまるで…………
「サン…キュ、……じゃ、借りるわ」
均衡を破ったのは少年の方からだった。瞳はすでに開かれて、由貴の顔にじっと視線を据えたまま体が徐々に後ずさりする。
由貴もそれ以上動かなかった。瞬きしない視界の中で少年のほっそりした背中が遠ざかっていく。
その姿が完全に見えなくなってから―――――
由貴は自分がずっと呼吸を止めていたことに気がついた。
あの顔。あの表情。
そうだ、あれは…………
肩に力を込めてゆっくり息を吐き出す。と同時に自分の心臓の音がやけに耳についた。
吸い込まれるかと思った。
見覚えがある。そんな風に感じたことは一度も無かったが。
―――――あれはキスを待つ女の顔だ。