ACT.4  snow drop

Ep.17  瀬田斎の場合

 俺には好きなヤツがいる。名前は窪塚珱。
 まっすぐな黒い髪に褐色の肌。どこから見ても非の打ち所のない美人で、睫毛なんかそこらの女の子が泣いて悔しがるくらい、きゅーんと長い。短気で無口で愛想がなくて、信じられないことに…………俺のことを好きって言う。


「だからさ、ここ。ここの8小節、全部削っちまおうよ。その方が絶対スッキリするって」
「それはいいけど、切ってそのまま繋げちゃうんじゃ、芸ないだろ」
「じゃ、お前なんか入れろよ」
「なんかって、アナタね……」
 いつもと同じ『スパークス』での練習風景。
 兄貴と高崎さんを中心に、トラック隊が新曲の構成のことで頭付き合わせてるから、歌専門の珱はちょっとお休み。緑茶のペットボトルを片手に俺のそばに寄ってきた。
「これ、美味い」
「お茶?」
「昨日から入荷してんけど、よう売れてる」
 ヒョイ、と俺にボトルを差し出す。受け取ろうと手を出したら何故かボトルを引っ込めて、蓋を開けてから手渡した。
「ホラ」
「ん」
 俺がボトルに口を付けるのをじっと見てる。こらこら、そんな大きな目で見つめられたら照れちゃうでしょ?
「あ、美味い」
 緑茶にはちょっとうるさい珱が褒めるだけあって、それは確かにいける味だった。珱の表情が少し緩む。片方だけ器用に眉を上げて、二回瞬きした。
「返して」
 で、何だか嬉しそうに手を出して俺からボトルを取り返すと、またスタスタとマイクに前に戻っていった。


 最近、珱は明るくなった、ような気がする。
 というより、珱の周りを取り巻いていた電磁波みたいな目に見えない何かの威力が、少し落ちたと言ったほうが近いかも知れない。

 それは俺が思うだけじゃなく、兄貴や他のメンバーも同じように感じているらしくて、
「コラ、窪塚、そんなトコで斎といちゃついてないで、ちゃんと話に入れ」
 なんて冗談が出てくるようになった。以前だったらこんな軽口は絶対に言えなかった。……出逢った頃の珱になら。
 高崎さんが声をかけると、真っ黒な髪を揺らして顔を上げる。大きくてよく光る目を少しだけ細めて、口元をマイクに引っかけた左手に隠して。
 珱が笑ってる。
 まだまだ全開とはいかないけど、人前でそういう顔も見せられるようになったよな。自分で気付いているかどうかはわからない。気付いてなくてもいいと思う。
「ここ、お前の出がズレたらシャレになんねぇんだから。カウント、頭に叩き込んどかないと、」
「……コウイウの」
 珱は軽く息を吸い込むと、マイクから一歩下がって歌い始めた。アカペラの、シンプルなメロディ。普通に話すときの声からはちょっと想像できない高い旋律が、シンとしたスタジオの中に響き渡る。
 すげー、いいメロディ……だけど、誰の曲?
 聞き覚えのないメロディをリプレイしようと首を捻ったら、歌い終わった珱と目が合った。口元をキュッと結んで、じっと俺を見る。それからぼそりと
「…………とか?」
 とだけ呟いて、目を逸らした。
 なに? なんなの?? 分かんないって、それじゃ!
 と、兄貴がいきなり立ち上がった。少し離れた場所にあるキーボードの前に立って、おもむろにさっき珱が口にしたメロディを弾き始める。
「窪塚、もう一回」
 素直に頷いて、珱がもう一度同じ曲を歌う。高崎さんは楽譜に何か書き込んでいる。カウントを取るようにペンの先でなぞってから、兄貴のほうに差し出す。
「……オーケー、はまるな。いいんじゃね?」
「歌詞は? 繋いじゃうか?」
「アリだな。いっそのこと全部書き直す、とか」
「珱に書かせる?」
「それもアリだな」
 高崎さんの言葉に、兄貴がニヤッと笑って肯く。そうか、わかった! さっきもめてた、切っちゃうトコの間に入れるのか。珱の即興のメロディが兄貴の心を捕らえた。そういうことだ。
 難解なパズルが解けたみたいに、スタジオ内に勢いが戻った。目の前でどんどん原曲が変化していく。取り出したばかりの原石を少しずつ磨いていくように、最初は薄黒く硬い岩に囲まれていた輝きが、やがて誰の目にも目映い光を映し出していく。

 それはまるで、出逢った頃から今日までの珱を見ているみたいだった。


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