ACT.3 Love You, Love Me
Ep.15 瀬田斎の場合
珱はピクリとも動かなかった。でも、さっきまで恐いぐらいに震えていた体は静かになった。たぶん自分でも訳が分からなくて固まってるだけ。
大丈夫。もう大丈夫だから。
「珱?」
声を掛けると肩が一瞬ビクッと上がって、それから人形のようなぎこちない動きでゆっくりと振り向いた。
珱は泣いていた。
大きな目が見開かれて、睫毛もしっかり上を向いて、透明なアメ玉みたいなコロコロした涙があとからあとから溢れてはこぼれ落ちる。
なんて切ない泣き方をするんだろう…………
「いつき…………」
不思議なくらい澄んで、ハッキリとよく通る声。
「なんで、ここにおるん……?」
「お前置いて帰っちゃって、でも気になって、兄貴んとこ電話したらお前来てないって言うから、まさかなーって思って戻ってきたら、ホントにいるし? びっくりしたのは俺の方だって。お前あれからずっとここに居たの?」
「わからん……」
「わからんって、お前ねぇ」
「覚えてへん……、さっきまで、記憶なかった……」
ポツリポツリと話し出す。寝言でも言ってるみたいだ。
「斎が、おらんようになって、どうしていいかわからんくて……ずっとおったかも知れん…………」
それから……珱はその場にストンとしゃがみ込んで、子供みたいに声を上げて泣き出した。
電車でアパートに帰るあいだも、珱はずっと涙を零し続けていた。地下鉄のドアに凭れて俯いて、ときおり電車が揺れて体がよろめくのを気にする様子もない。流れる涙を拭うこともしなかった。放っておいたらそのまま倒れてしまいそうで、俺は電車を降りてからも部屋に着くまでずっと珱の背中に腕を回していた。
ようやく辿り着いて、ベッドに腰を降ろさせる。何か飲むものを持ってきてやろうと思って傍を離れかけたら、腕を掴まれた。
「ここ、おってくれ」
「なんか水とか持ってきてやるから」
珱がゆるゆると首を横に振る。
「もう一回言わなあかんのか?」
ゆっくりと顔を上げる。どれだけ泣いたか分からない目は、少し腫れて赤くなっている。しゃくり上げるのと同時に、瞼を震わせて瞬きをするのが痛々しかった。
「何回言ったらええの? 何回でも言う。ここにおって、俺のそばにおって、離れんといて……他になんて言ったらええ…………?」
俺は水を諦めて、珱の横に並んで座った。肩を抱き寄せたら崩れるように体重を掛けてきた。
「どうした、急に泣いて」
「わからん。胸が潰れる、潰れそうってこういうことかも知れん」
「何があった?」
「知らん女が声掛けてきて急に気分が悪なって、お前の声聞いたら涙が出た。ココらへんが、」
そう言いながら、胸の辺りを庇うように体を丸める。唇を少し動かして、でも言葉が出てこないのか、俺を見上げて何かを訴えるように顔を顰めた。
「痛い?」
「痛い、ような気がする」
「考えて……なんで胸が痛いの。なんで涙が止まんないの。そのままにしたらダメだと思う」
憎たらしいくらい無愛想で綺麗な珱。自分が泣いてる理由すら分からない。
自分の泣く理由くらいもっと赤ちゃんでも知ってるよ?
「胸が、痛い……りゆう、は…………」
「理由は?」
「俺が、斎のこと好きやから、なんやな…………」
嬉しい……けど、ちょっと飛びすぎだと思う。
「そんなこと言っちゃって良いのかよ?」
「ええよ」
「考えてもの言わないと、後悔しても知らねぇよ?」
「もういっぱい考えた。これ以上考えられへん」
「極端ね、お前」
どうしてこうなんだろう、珱って奴は。
突然俺の目の前に現れてどうしようもなく好きにさせて、無愛想で信じられないくらい美人で口が悪くて、嫌いじゃないって言ったり、好きって言ったり。
もう、なんていうか、スゲー大好きだ………………
「俺のこと、好き?」
「ン、好き…………」
「どれくらい?」
珱が瞬きをして俺を見上げる。見開かれた瞳から零れる、大粒の宝石。
「涙が……止まらへんくらい、……スキ…………」
背中に腕を回して、正面から抱きしめた。何の躊躇いもないように珱の腕も俺の背中に回る。体を少し捻って伸び上がるように体を預けてくるのを、両方の腕でしっかり支えた。
「どうしてそんなこと言うの…………?」
言葉が続かなくて―――――口づけた。
きれいなきれいな珱。
触れ合う唇は熱くて泣きたいくらい甘い。初めてキスした日からまだいくらも経っていないのに、もうはるか遠い昔のことのような気がする。
首を傾けて何度も唇を求めた。珱は苦しそうに小さく息をして、それでも一生懸命応えようとする。微かに喘いで喉を反らせた。自然に首筋に唇が降りて鎖骨を掠める。着ているシャツの襟をはだけて、綺麗に隆起する素肌の肩にもキスをした。
俺ら………コイビトみたいなコトするのかなって、ぼんやり思った。どうしたらいいかなんて解らない。ただ珱の体の綺麗と思うところに全部キスしたかった。
「珱……」
「んっ……っ」
薄い胸に唇を付ける。怯えたような声。息を飲む音。
「怖い……?」
胸に顔を伏せたまま訊く。珱が体を強ばらせるのがわかる。そんなこと訊いたのは自分がそうだから。俺は怖いよ。手や足が震えてガクガクしてる。
「ダイジョウブ、斎のすることは全然怖ない……」
首を振る気配が伝わってくる。見上げると、俺に視線を合わせて唇を噛む。眉を寄せて浅い息をひとつ。
何だよ、オマエだって怖いくせに。年上ぶっちゃって。
珱はもう返事をしない。黙って目を閉じている。何も言わないけど、言わないからこそすごく伝わってきた。珱はホントに俺のこと好きなんだなって。信じてくれてるんだって。
「うん。おれはおまえに、こわいコトなんか、しないよ」
だって好きだから。優しくしたいと思うから。
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