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† 5万ヒット サンクス&メモリアル † 
Ep.1
窓を開けると、そこは雪国だった…はずはなく、うららかな日射しが波間にゆったり漂うような心地よい浮遊感を運んでくる、 春の朝だった。俺はすうと息を吸い込むと、花の香りまで漂って来そうな甘い甘い風の匂いを
胸一杯に感じた。
およそ文学的な素養と無縁の、即実践型経済学部系(いやこれは俺の単なる偏見だ)である俺がなぜこんな乙女的発想に浸っているかというと、俺はこれからスキップでもしそうな勢いで地下鉄の階段を駆け下り、電車の中で足踏みし改札を疾風怒濤で駆け抜けて、東へ向かう新幹線に飛び乗るからだ。そして一路東京へ。
そうなのだ! 今日からやっとやっと待ちに待った大型連休の約一週間、いわゆる『黄金週間』に突入するのだから。
思えば涙涙の別居から一ヶ月と半分あまり、14歳のみぎわで珱を見初めてからこっち、それまで三日と離れたことがなかった俺と珱は東京〜京都という遠いようで意外と近く、だけどやっぱり死ぬほど遠いその距離にそろそろ参り始めていたところだったのだ。
仕事の忙しさとか欲求不満とか(冗談じゃなくこれにはマイッタけど…)、それまでお互い頭で考えていたことではなく、思いがけなかったことに俺たちはものすごく揺さぶられて、動揺した。
大の男が二人で雁首並べて何を間抜けたことを、と笑わば笑え。
俺たちは、寂しかったのだ。
それまで当たり前のように毎日見ていた大事な人の顔を自由な時に眺められないというストレスに、どうしようもなく、時間の許す限りちまちまと携帯やパソコンでメール何ぞをやり取りしてしまうくらいに、―――――無性に寂しかったのだ。
そして同時に『距離』とは本当に怖ろしいものなのだということも、腹の底から思い知ることになった。
たかが4年と鷹を括っていたら、たった一ヶ月やそこらでこの様だ。
思いついたときに会えないことは物足りなさや不安に繋がる。足りない部分を別の何かで埋めようとする。その『別のもの』が仕事や大学や物や趣味であって、『新しい恋じゃない』可能性がドコにある?
一足飛びにそこまで飛躍するのは大袈裟だとしても、寂しいのが俺だけでなく、俺よりずっとしっかりしてると信じていた珱ですらやっぱりそうだったんだってことに、俺はますます不安を募らせた。
あの珱が、だ。しつこいくらい頻繁な俺からの電話やメールに、多少遅れたとしても必ず返信してくること自体、思えばおかしな事だったのだ。いい加減切れて『電話は三日おき、用事がなければメールはするな』ときつく申し渡されても不思議じゃなかったはずだ。でも実際俺たちの異常なまでの間接的コミュニケーションは、一ヶ月半のあいだついに途切れることはなかった。
そして昨夜のトドメの一撃。
『明日、昼過ぎの新幹線に乗る』と電話を入れた俺に、事もあろうに自分から『会いたい』と言い出したのだ、奴は!
「珱、聞いてる? 仕事終わったら飛んで帰って来いよー」
「……」
「珱…?」
「…(鼻を啜るみたいな音)…斎、あと何時間かな、早よ会いたい……」
聞き間違いかと思って、俺、しばしボーゼン。
珱も自分でびっくりしていたみたいだ。
そう零した一瞬あとにハッと息を飲んで、「なんや俺、何言うてんのかな…」とか、「今のはナシ。冗談、冗談やからなっ」なんて慌てて取り繕ってももはや手遅れ。俺にすら本心を滅多に見せない珱の、心の底から滲んでくるような寂しさは、俺の胸のど真ん中をざっくりと抉ったのだった。
電話を切ったあと下宿先のマンションのベッドの上に蹲って、俺は独りメソメソと泣いた。(そこ、笑うな!)
実際に涙こそ出なかったけど、それは「こんなことでいちいち涙なんか流しててどうする!」というやせ我慢でどうにか堪えられただけで、情けないことに変わりはない。
大切なものを手に入れることの嬉しさと困難を、『距離』という努力とか愛情とかでは埋めきれないどうしようもない事情によって、俺たちは違う意味で改めて知ることになった。
†
京都駅の新幹線改札口は、西へ東へ向かう人の行列でごった返していた。南北に跨って聳え建つメインターミナルにある3箇所のうちの、在来線から乗り換える人が利用する改札に、俺は15分ほど前からぼんやり佇んでいる。
乗車予定の列車の発車時刻まであと10分、そろそろホームに上がりたい時間だ。俺はもう一度在来線の改札あたりに目を向けて、目的の人影を探した。
彼女はいつも遅刻してくる。約束の時間に約束の場所に正確に現れたことはそう言えば今まで一度もなかったな、と数回あった待ち合わせの悲惨な結果を思い出す。
やっぱり家まで迎えに行ってやれば良かったのかも知れない。新幹線なんてそんなに頻繁に利用したことはないだろうから、この改札口がよく分からなかったのかも。
ポケットから携帯を取り出して番号を呼び出す。イライラしながら発信音が途切れるのをじっと待つと、ほどなくあっけらかんと明るい、可愛らしい声が聞こえてきた。
「ハロ〜?」
「ハローじゃねぇだろ、静乃! てめー今どこにいる!?」
やばい俺、すでに切れかかってる。落ち着け、ここで彼女の機嫌を損ねたら新幹線に乗り遅れるくらいでは済まなくなる。俺は深呼吸をすると出来るだけ優しく聞こえるように、精一杯の猫なで声を出した。
「あのな、もう時間がないんだよ。迷ってるなら迎えに行ってやるから、近くに何があるか言ってみろ。改札か? ポルタか? タワーの100均ショップか?」
これから新幹線に乗るのになんでそんな所にいるのか、とは聞かないでくれ。訊いてる俺にだって分かんないから。彼女は時々その場の事情をキレイさっぱり忘れ去って、とんでもない寄り道をしていることがあるのだ。
電話の向こうに、コロコロと鈴を転がすような甲高い笑い声が響いた。
「後ろ、さっきから後ろにおるのに、いっちゃん全然気がつかへんのやもん。もう少しで電車乗り遅れるか思たわ」
こンの、クソガキ…。
奥歯をガリガリと擦り合わせながら振り返ると、いつもより少し大人っぽく全身をモノトーンで纏めた彼女が、電話片手ににっこりと俺に向かって手を振っていた。
「ね、ね。お弁当は? 買うた?」
「買った、ほら、サンドイッチ」
「げぇ、サイアク! なんでお弁当やないのぉ? つーまんなーいぃーっ」
「文句言わないの。ウチについたらお袋に嫌でも腹一杯飯とかケーキとか食わされるから、がっつくのはそれまでの楽しみにとっとけ」
「ぶぅー…」
手渡された薄っぺらい野菜サンドの並んだプラケースを受け取りながら、静乃は思いっきり不満そうに唇を尖らせた。それでも腹が減ってるのか、パリパリとケースを開けて食料に食らいつく。そうそう、少なくとも何か口に入れてる間は大人しいだろうから、2時間あまりの車中、ずっと食ってろ。というか、むしろ食っててくれ。
「旨いか?」
「不味い」
「あっそ…」
生意気な減らず口にはいつも閉口させられるけど、静乃は全体的に大人しい感じの京都の女の子にしては、はきはきと明るくて俺は好きだ。
それに憎たらしい口をききながら、満更でも無さそうに綺麗にパンを平らげていく静乃の真っ黒なロングヘアを見ていると、何となくだけど横顔がちょっとアイツに似てる気もするし。
あと2時間でアイツのいる東京に辿り着く。
―――――まぁ、多少の問題はあるにしても、だ。
†
玄関の呼び鈴を鳴らすと、アッと驚くスピードでお母さんが表に走り出てきた。相変わらず元気がいいって言うか、俺はお母さんの、こういうパワフルなところがとても好きだ。
「お久しぶりです。すいません、なかなかこっちに寄れなくて。急に仕事が空いて休みにしてもらったんで、早めにこっちに寄らせてもらおう思って…」
ぺこっと頭を下げると、お母さんはきゃあっと声を上げて俺の目の前でぶんぶんと手を振った。
「いらっしゃい! 元気そうねっ。この間の雑誌の特集見たわよ。写真、すごく綺麗に撮れてたから、切り抜いて額に入れてあるの。可愛いわよ〜」
「それは、勘弁してください…」
苦笑しながら、勝手知ったる家の中に上がらせてもらう。
久しぶりに顔を見たお母さんは相変わらず明るくて楽しい人で、だから俺は彼女の笑顔を見るたびに、15で初めてこの家に来たときのホッとした気持ちを思い出す。
あれからずいぶん経った。その間に俺はミュージシャンとしてデビューして、アイツは今年京都の大学に進学して、それぞれの道を歩き出している。それをずっと見守って、励まし続けてくれたのは間違いなくこの人だ。
「斎はね、たぶん3時半くらいに着くと思う。さっきもね、今新横だって電話掛けて来たのよ。その前は豊岡を通過したとか言って電話してきて、男の子なのに斎は何であんなに電話魔なのかしら。それで最後に必ず珱くんはいるかって聞くのよぉ。お仕事あるんだからいるわけないって言うのに、もぉしつこいったら…」
「すみません、今日休みになったって斎に言うてへんから」
「急に決まったんだからしょうがないわよ。早く会いたくて気が焦ってるだけなんだから、あの子ってば」
誰に、と言わないのはお母さんの配慮だろうかと思ったけど、自然に顔が赤くなってしまう。
斎がそれほど会いたいと思っているのは、…たぶん、俺だ。おそらく俺の自惚れでなく。
「実は今日の取材が流れそうになった時、俺もちょっと無理…言うたかも。今日予定してた衣装合わせとか、明日に延ばされへんかなって、ちらっと。そしたら瀬田兄がフォローしてくれて」
正直に告白すると、お母さんは額に手をやって首を大きく左右に振った。
「もうー、二人とも大きなナリしてなっさけなぁい! わずか二ヶ月足らずでその調子じゃ、夏休みにはあの子、大学辞めてこっちに帰ってくるとか言い出すんじゃないかしらね」
「それは…さすがに、ないと思うけど…」
我ながらかなり情けなくて照れ臭くて、曖昧に笑うしかできない。
お母さんはちょっと笑って、「ま、しょうがないか」なんて言いながらくるりと瞳を回すと、中学の頃と同じように俺の頭をポンと撫でた。
昨夜斎と電話で話をした。
久しぶりに直接斎の声を聞いて、すごく嬉しくて、気がついたら俺は自分から『会いたい』なんて口走ってて。
言った直後は穴があったら入りたいくらい後悔したけど、今さら隠しても仕方がない。
斎が京都に行ってしまって、本当のところ俺はかなり落ち込んだ。
急に片足を失くしたみたいに頼りなくて、仕事だけは何とかこなしていたけれど他のことにはさっぱり気が向かなくなったりして、かなり情けない状態だった。それは今でもずっと続いている。
だから正直に。
『会いたい』気持ちは、多分俺の方が強いから。
「どうしたの、黙っちゃって? お茶が冷めちゃうから飲んでね」
にっこり微笑むお母さんの顔を見ながら、心の中でそっと願う。
斎が帰ってきたら、こんなふうにちゃんと顔を見て言えるように。
『お帰り』とか、
『会いたかった』とか。
考えるだけで頬が熱くなって目を逸らしたら、お母さんはまたケラケラと楽しそうに笑った。
†
「なぁいっちゃーん。まだぁ?」
「うるさいよ。黙って歩く。もうすぐだから」
「うにゃーん」
電車を降りてからずっとぼやきっぱなしの静乃を何とか宥めながら、俺は一目散に家へと向かった。珱のマンションに直行したいのは山々だけど、静乃をお袋に引き渡してからでないと安心できない。
珱は夜まで仕事で家を空けてるだろうからその間に静乃を騙くらかして、後は珱とふたりっきり、水入らずであーんなことやこーんなことを…
「いっちゃんてば!!」
よからぬ妄想に引きずり込まれかけてた俺を、静乃の大声が容赦無く現実世界に引き戻した。
「なんだよっ?」
「いっちゃん、今すごくヤジュウの顔してる」
「ななな、ナニをぅ!?」
一応凄んでみたものの声はあっけなく裏返るわ、頬はひくひく引きつるわ、どこからどう見ても挙動不審な顔をしていることだろう。くそぉ静乃の奴、思い切り痛いとこ突きやがる。
静乃はくりっと丸い目をわざとらしく細めると、年齢に似合わない大人びた顔でフフンと鼻を鳴らした。顎を斜めにキュッと上げて、視線だけで目の前の建物を指し示す。
「…さっきの説明で言うと、いっちゃんちって多分ここやと思うんやけど。なにボケェっと涎垂らしてんのォ…?」
こまっしゃくれた女なんて、俺は大っ嫌いだー!!
†
聞き慣れたベル音が、突然リビングに響き渡った。
「あ、きっと斎よ! 珱くん、出てくれる?」
お母さんがあっさり言うから、みっともなく狼狽えてしまった。
「お、俺が?」
「ほら、ぐずぐずしない。いるはずないと思ってる珱くんの顔見たら、あの子泣くかもね〜」
うふふふと今にも笑い出しそうなお母さんに背中を押されて、どきどきしながら玄関の扉に手を掛ける。
ナニ緊張してんだ、俺は。どうってことない、だろ。
夜会うか昼会うかの違いだし、ちょっと早く顔を見られるからってこんなに緊張しなくても…
なんて、自分でも意味不明の言い訳が頭の中を流れていく。
鍵を開けて扉を押したら、きっとそこには斎の大きな影が立ってる。俺を見てたぶんすごくびっくりして、それから全開の笑顔を見せて…
うわっ、まさかと思うけど抱きつかれたりしないだろうな?
下らないことを思いついたから、心臓が飛び上がってぎゅっと縮んだ。
がちゃり、と扉を押し開ける。
目の前に懐かしい、大切なアイツの瞳が―――――
なかった。
† to be continued †
遅ればせながら、5万ヒットサンクス短編を。気合い入れてラヴラヴ、甘々、バカップル。謎のオンナは誰だ? |