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既にお読みの方がいらっしゃるので、「ちょっとしたイタズラ」を加えてみました。 メチャメチャ分かりやすいのですぐ見つかります。 本文中、気になる言葉にカーソルを合わせてポインタが出たらアタリ。
個人経営のライブハウスにしては『GREEN DAY』は広い方だと思う。 客席は20を越えてるしテーブル席の後ろと二階にスタンディングスペースまで確保してある。 テーブルはもちろん可動式。ライブの内容によってセッティングを変えられるよう兄貴がデザインを考えた特注品だ。 オールスタンディングでギッシリ詰めれば300人ってとこだろう。 それが、今日のライブのチケット発売日にこの『GREEN DAY』の入り口前には200を越す人が並んだ。 やっぱり専門機関に任せた方が良かったね、なんて美帆さんが弱音を吐くくらい、人人人で大混乱。チケット売りの手伝いに来た珱がこれ以上混乱に拍車を掛けるなっと理不尽な命令を受けて、早々に引き上げるハメに陥ったのはほんの1ヶ月半前のことだ。 そして当日はやってきた。 演奏開始1時間半前から客はどんどん増えだして厨房が戦争状態に突入。楽屋で珱にちょっとしたイタズラをしていた俺も愛する人と引き離されて労働者と化した。 二年半の沈黙を経て新生JUDEが始動する。 それはファンのあいだでも音楽業界の中でも大変な話題になったことは間違いない。 前ヴォーカルが絶大な人気だっただけに、素直に楽しみにする奴、意地悪く様子を見に来る奴、他のヴォーカルなんて絶対認めない奴など、賛否両論入り交じって周囲がうるさいったら無い。 ふざけるな。珱の歌を一度聴いたらお前らみんな口も利けなくなる。 楽しみに待ってろよ。 「いっちゃん」 「あ、美帆さん、なんすか?」 「ここ、もういいからフロア行っといで」 「えっ……」 実を言うと俺は今日の主役のピンチヒッターなわけだから、のんびりライブ聴いてる場合じゃないと思ってた。 正直言ってその方が気が楽かも、なんてことも一瞬考えたりして。 「いいんすか?」 「何いってんのよ。いっちゃんが観てやらないでドウすんの?」 そういうわけで俺はさすがに混乱のるつぼと化した一階を避けて、ホール中央のミキサーブースに席を作ってもらった。 音響の安藤さんと雑談しながら開演を待つ。やっぱりもう一回楽屋に行ってやれば良かったかな。 「ヨシ、そろそろキューだ……行くぞ」 安藤さんの声が一変する。 場内がゆっくり暗くなっていく。 パーティの始まりだ。 最初にドラムの正木さんがステージに姿を現した。顔馴染みのファン数人が口々におかえりとか、ユウジ、とか声を掛ける。 続いてベースの飯田さん、ギターの高崎さんと兄貴がそれぞれの位置にスタンバイすると、客席から待ちきれないように声が上がった。 兄貴の合図でドラムがリズムを刻み出す。 うなるようなベースの音がそれに見事にシンクロする。 二本のギターが同時に走り出して会場内の空気の質量を一気に引き上げてゆく。 熱気が噴き上がった。 ステージの奥にゆらりと影が現れた。 音を作り出すメンバーの間をゆっくり踊るような足取りですり抜けて、マイクの前に立った。 左右のスポットが一斉にその姿を映し出す。 すらりとした長身はマイクスタンドに左手を引っかけて少し呼吸を整えると……興奮しきった会場のど真ん中にいきなり爆弾を叩き込んだ。 うわっ、信じらんねぇ! あいついきなりシャウトしやがった! 耳をつんざく信じられない声量。 細い体を二つに折ってスタンドをいきなり後ろにぶん投げる。飯田さんが目を丸くして珱を見た。さ、さすが音は止まってねぇ、えらいっ! ちょっと、珱ってばスタジオんときと性格変わってナイ?! 隣で仕事してるはずの安藤さんの手が止まってる。おいおい、大丈夫なの、みんな? 珱の声がビンビン耳に響いて、まるで鼓膜を直接弄られてるみたいだ。 息が詰まって鳥肌が立った。 声が、低音から高音へ不思議な音程で捻り上がって限られた空間に充満する。 会場が文字通り箱になってもうどこにも逃げられなくなる。珱の声しか聞こえなくなる。 珱は黒のパーカのフードを目深に被っていて、顔は半分も見えていない。フロントに立つには大きすぎる身長は細い体と相まって見るものを何となく不安にさせた。 ギターの音が軽く撥ねるような曲調に変わった。高崎さんが悪戯っぽく笑いながらピックを滑らせてノイズを重ねる。兄貴が苦笑いしてコードはそのまま、いきなり違うメロディを重ね始める。 ステージ後方に張り巡らされたライトが一斉に光って視界がハレーションを起こす。 飯田さんが頭を前後に振りながらベースを抱えるようにかき鳴らす。昔からのファンが愛情を込めて『イカレベース』と呼ぶ、暴れん坊の本領発揮だ。 この曲はCDにも収録されているから知ってるファンも多くて、会場のあちこちから嬌声が上がった。 珱は相変わらず顔をほとんど見せないまま、モニターに足を引っかけて客席を見ていた。 他のメンバーのお遊びに気がついてるのかいないのか、アレンジがどんどん変わっていくのに平然としている。 何かを探すようにゆらゆらと頭を巡らせて……次の瞬間、すうっとライブモードに戻っていった。 そのとき珱が笑ったのに気がついた人間がこの中に何人いるだろう? 「今日は新しい『JUDE』の初めてのライブです。来てくれて……アリガトウ」 あんなに嫌がっていたMCも心配していたよりずっと滑らかだ。 以前一度だけここで歌ったときのことは、珱にとって数に入っていないらしい。アレはアレですげェいいステージだったんだけど。 「俺にとっても、このメンバーで揃って演るのは初めてで、スゲー緊張……して、ます。歌詞飛ばしたりしたら後でシメられそうで……」 兄貴が思わず苦笑する。そんなことねぇよ、と高崎さんが笑った。客席にも声が届いて笑い声が上がる。 いい空気が出来てる。マイク無しの声が客席に届くってのは客がステージに引き寄せられてる証拠だ。 「初めましてのヒトも、ずっと待っててくれたヒトも……今日はいっぱい楽しんで、いい夜に、しような………………」 リズム隊が正確な音を刻んでメロディを誘導する。個性の違うギターの音色が重なって分厚いハーモニーが作られていく。 その間珱はずっと、まるで空気を抱きしめるみたいに両腕をいっぱいに拡げていた。 天井を駆けめぐるドラムが止んで会場が急に静かになった。曲の間中、珱はステージに膝をついて歌い続けていた。 糸が切れたように体が前に折れてモニターにぐったり倒れ込む。 フードが後ろに落ちて真っ黒な長めの髪がフワリと腕にかかる。 顔を上げて…… 「キレ〜イ………………っ」 シンと静まりかえった会場に最前列の女の子の声が異様に響いた。 珱が目を細めてその声を追うように頭を巡らせた。 ふと一点に視線を止めて―――――口の端を引き上げてフワリと笑う。直後、 ドン、という歓声と共に会場の床がマジで揺れた。 珱……お前、顔のこと褒められるの、嫌いじゃなかったっけね……? 珱の体が折れるほど反って細い首筋がライトに浮かび上がる。空気を求めるように唇が開いてそこから喘ぐような声が漏れた。 何かを堪えるように眉がきつく寄せられて、撓る体が前方に崩れる。ユラリと顔を上げると汗で頬に張り付いた髪がキラキラ光った。 見た目の印象よりずっと低く感じる声は不思議なくらい明確に耳に届いてくる。 体に溜まった熱を振り払うように幾度と無く首を振る。 切れ切れに息を吐きながら薄く目を開けて視線を揺らすのを後方からの強い光がシルエットに変えた。 あ……これって、珱のイイときの顔だ……………… 「最後の……」 整わない息に、低い声がさらに掠れた旋律を奏でる。ポツリと呟くのに不思議なほどはっきり耳に届く声。 「『I Miss You』…………」 初めて耳にする曲だった。 それは切ないバラードで、ドラムのリズムで始まった。 床にぺたんと座り込んだまま顔を伏せて歌い始める。ギターも打ち込みもなく珱の声だけが楽器のように震えながら響き渡る。 偶然が信じられなくて 乾いた胸に突き刺さる…… 許されるなら堕ちてもいい 遠いところまで 兄貴のギターが珱の声を抱きしめるように鳴った。 抱き寄せて口づけて全てを投げ出して 何も要らない 君以外は 何も…… 喉を限界まで反らせて絞り出すような声を上げる。 今まで俺しか見たことの無かった珱がそこにいた。 何も要らないから…… 君以外は、何も……………… 機材が跡形もなく撤収されたステージに、珱は一人で寝転んでいた。 店はとっくに引けてもう誰も残っていない。 「大丈夫か?」 声を掛けると目が覚めた直後みたいな緩い動作で俺を見上げた。 「みんな、帰ったんか?」 「もう誰もいねえよ」 「そ…………」 それだけ言ってまたゆっくり目を閉じる。長い睫毛がライトに照らされて揺れるのが見えた。 「気分は?」 「わからへん、すげ……」 言いながら腕を伸ばした。俺の手を取って自分の唇に押し当てる。 「セックスしてぇ…………」 「とんでもないこと言うね、お前。イったすぐあとみたいな顔して」 「……かもな」 「そういうカオ他の奴に見せんの、ちょっとムカツク」 俺に視線を合わせて目を細める。薄い笑みが零れた。 「ジェラシー?」 「うるせぇよ」 憎たらしい唇を自分の唇で乱暴に塞ぐ。 ふと思いついて訊いてみた。 「俺とHすんのとライブとどっちがいい?」 珱の瞳が考え込むように俺の顔を彷徨って、 「5回に1回くらいなら、ライブもええかな…………」 ため息のように霞む声。 そんなにヨカッタのかよ?と思ったら、やっぱりちょっとムカついた。 オワリ |