**Dynamite Soul**



「椿〜」
「なに」
「なぁ、今日ヒマ?」
「……ナニ?」

 突然、イサギが言い出した。いつもと同じ日曜日。でも特別な日。
「や、ヒマならどっか行かへんかなーと思って」
 珍しいこともあるもんだ。筋金入りの出不精なイサギが自分から出掛けようって言い出すなんて。
「どっかって?」
「どっかはどっか。どこでもええから、日帰りで行けること」
「ええけど……」
「行きたいトコ、ないの?」
「んな、急に言われても」
 イサギがこれまた珍しく大真面目な思案顔になる。今日は珍しいことの赤札大売り出しなんだろうか。
 答えに詰まって、俺は黙ってソファに近づくと、イサギの隣にストンと腰掛けた。
「真面目な話、急に考えて答えるにはちょっと難しい質問やと思わへん?」
「そうかぁ?」
「オマエ、そうでなくても旅行とか嫌いなくせに。なんやねん、急に」
「ま、たまにはそういう気分のときもあるのよ」
 アッケラカンとした口調で言い切って、イサギは気持ちよさそうに大きく伸びをした。
「そんなら、俺にお任せな。そのまんま出掛けるか? 着替える?」
 質問口調なのに体はすでにソファから立ち上がってる。
「ちょぉ、待て、オイ。着替えるって! 俺まだジャージ穿いてんねんぞ?」
「早くしろ〜」
 なんて、すでに玄関の方に移動しているのんびりした声に返事をして、俺は慌てて寝室に飛び込んだ。


 外は快晴と言っていい上天気だ。空はすっきり晴れ渡っていて、真っ白な雲が広いキャンパスをゆっくりユラユラ流れている。
 何気なく隣を盗み見ると、イサギは今日の天気と同じくらい上機嫌で口笛なんぞ吹いていた。
「どこ行くの」
「ん〜?」
 のんびりした口調。いつもと全然変わらない。そういえば出逢ったときからイサギはずっとこんな感じだ。
 いつも飄々としていて、あんまり物に動じないっていうか……
 こうして俺がじっと見ているときに目が合うと、少し驚いたように目を見張って、それから全開の笑顔で笑いかけてくれる。
「いいトコ」
 とぽつりと言って、顔中くしゃくしゃにするダイナマイト・スマイル。
 この笑顔が……俺はこの世で一番好きだと思う。

 俺達はバイト先のカフェで出会った。大学のすぐ側のオーガニック・カフェ。キッチンにオーナーひとり、フロアを俺ひとりでやってるような小さな店だ。
 俺の方がそこで働くようになって半年ほど過ぎたあたりで、キッチンにもうひとり欲しいからと募集して、やってきたのがイサギだった。
「工藤潔、工作の工に藤の花の藤、イサギは漢字だとキヨシって読まれるから、潔いと書いてカタカナでイサギと読む、ということでヨロシク」
「それって、イサギヨって読むんと違うか?」
「ヤなとこ突っ込む人やな、君」
 そう言ってイサギはやっぱり豪快な笑顔を見せた。

 感じのいい奴だな。
 そんなことを思った気がする。その時はまさか自分がこの男に惚れるなんて、思っても見なかった。当時イサギには年下の可愛い彼女がいて、毎日店に現れて一緒に帰るくらい仲が良かったんだから。
 それから一年経った今、……イサギは実家を出て、俺はマンションを引き払って……同じ部屋で暮らす仲になった。
 
 俺は元々どちらかというと女の子より男の方が好きだっていう自覚はあったし、高校生の時、うんと年上の男と付き合ったりもしていたし、言ってみればそういう素養は十分にあった。俺がイサギに惚れたのは、だからまぁ、そんなに不思議なことでもない。
 問題はイサギの方だ。
 俺が思うにイサギは絶対ノンケだ。俺以外の男に惚れた経験があるとは到底思えない。
 …………いや、のろけてるんじゃなくて。
 それなのにイサギは俺に惚れた。少なくとも『惚れた』と言い切った。

 不思議だ。20年生きてきて、こんな不思議な目に遭ったことはないと、本気で思う。
 だって、そんな都合のいい話があるだろうか? イサギは俺のどこを見て好きだなんて思ったのか? だいたい、そういうのってもうちょっと悩んだりとかしねぇのかよ、などなどなど………………
 だから俺はまだ、イサギの言う「好き」って言葉に漠然と不安のようなものを感じていて……そういう自分がちょっと嫌いだったりする。



「電車、乗るぞ」
 駅の方を指さして、イサギが勢いよく振り返った。
 京福電鉄? またローカルなものに…………。一体、俺をどこに連れて行く気?
「どこ行きたいの」
「だからいいトコやって」
 なんて曖昧な答えを返すだけでイサギは俺に行き先を教えずに、いきなり俺の手を掴んで切符売り場へと突入した。買い物帰りの中年の女の人と目が合って、思わず顔が赤くなる。居心地が悪いというか、いたたまれないっていうか……。
「あほっ、こんなトコで手ェ繋ぐか? 今のオバちゃん、口開けて見とったぞっ」
「仲ええな〜って顔してたやん」
「……マジか?」
 俺が何を言ってもイサギの脳天気バリアには全く通用しない。手を振りほどかないことは最初から知られてるからだ。
 諦めて大人しくイサギの大きな背中を見ながら後に続く。切符を買うために少しだけ離れたふたつの手のひらは、用が済むとまたどちらともなく互いの指を探し当てて繋がれた。








 山奥に向かっているからか、日曜日だというのに車内はびっくりするほど乗客が少ない。二両編成のローカル線に乗っているのは小さい子供を連れた母親、綿のソフト帽がよく似合ってるお爺さん、それにさっき現場を目撃されたおばさんだけだ。
 イサギは広々と空いている席の、なぜか隅っこに俺を押しやって座らせる。
「狭いー」
「文句言わないの」
 咎めるように言って、肩を押し付けるようにして俺の隣に並んで座る。繋がれっぱなしの手は居場所を探して少しだけ宙を彷徨って、結局互いの膝のあいだに収まった。
 目の前にはガラス窓越しの青々とした新緑。ゆったりした速度で走りすぎる建物と木々の切れ間から、ときおり真っ青な空が見える。
「……天気ええなぁ」
「日曜日やからな」
「何でやねん」
 下らない会話がたまらなく心地良い。イサギを好きになったときからずっと、こんな気持ちが続いている。真昼にベッドでウトウトする直前のような、フワフワした満足感。
 これが『シアワセ』っていうものなのかな、なんて恥ずかしげもなく考える。
 と、黙って窓の外を見つめていたイサギがぽつりと呟いた。
「真理がな、」
「ん? ……なに?」
 思いがけない名前を耳にして、思わず聞こえない振りをしてしまった。
 真理っていうのは、イサギの元彼女の名前。
 実際はどうか分からないが、形としては俺が彼女からイサギを奪ったってことになるわけで。今でも彼女のことを思い出すとどうして良いか分からなくなる。

 俺達が一緒に暮らすことが決まって部屋を決めた翌日、イサギは左の頬に、それはもう見事としか言いようのない真っ赤な手形を貼りつけて俺の前に現れた。
 『ぶん殴られた』って、イサギの一言で話は終わったけど、そんな単純な問題じゃないことは、以来ピタッと店に現れなくなった彼女の態度からも容易に察しがつく。
 そりゃそうだ。幼馴染みで子供のころからずっと一緒に育って親同士も仲が良くて、俺がいなければきっと彼女とイサギは幸せな恋人同士でいられたはずで。
 それが突然男に惚れたから別れようなんて、彼女にしてみれば寝耳に水どころか冗談としか思えなかったんじゃないかとすら思う。
 でもそれは彼女とイサギのあいだの問題だから、俺には何も出来ないし何かしようなんて思うのは傲慢だと思って、そのままずっと忘れた振りをしてきた。
 その一方で、グーで殴らなかったのは彼女がまだイサギのことを好きだからなのかも、なんて埒もないことを考えたり。
 だから―――『真理』って名前を聞くと、未だに心が揺れる。
「わり、……ナニ?」
 ドキドキしながらもう一度訊いた。
 イサギは身動ぎもしないでまっすぐ前を見つめたまま、
「や、……何でもないわ」
 何にも言わなかった。



 小さな駅で電車を降りた。駅員どころか、改札すらないような超ローカルな無人駅だ。 一応駅員室らしい建物の窓に古ぼけた木箱が据え付けてあって、そこに切符を入れて駅を出た。
 目の前は道。と、森。遠くにぽつんと一軒、民家らしきものが鬱蒼とした木々の隙間から見えるだけ。
 あまりに壮絶な風景に思わずため息が洩れる。
「なんか……スゲェくない? なーんもないぞ。木、だけ?」
「キッレイな〜」
 相変わらず気の抜けるような反応が返ってくる。
「……そんだけ?」
「うん」
 言って、一瞬離れた俺の手を握り直して歩き出した。
 こうなったらイサギの気が済む所まで、覚悟を決めてついて行くしかない。ため息を吐きそうになるのをぐっと我慢して、目の前に続く地道をまっすぐ進み始めるイサギの後に大人しく従った。


 道の両側を覆うようにひしめき合っている木々のあいだをゆっくり歩くと、遠くからでは見えなかった森の表情が見えてくる。
 ただの緑の大群だと思っていたそれは、実は色々な種類の木々の連なる見事な集合体なのだということが、中に入ってやっと分かった。
「……すげぇな。メッチャたくさん種類あんねんな、木って。なんか、一本ずつ全部違うく見える」
 イサギが振り返って少し笑って、それから腕を伸ばして大群の一本を指差した。
「あれが杉。あれがブナ。……あの大きな葉っぱがホオノキ、かな」
「オマエ、よお知ってんな」
 思わずイサギの顔を見つめてしまった。
 大学に通うまで大阪の中心部で育った俺は、造られた緑を見たことはあっても、こうして縦横無尽に枝を伸ばす自然に触れる機会は滅多になかった。もともとアウトドア派というわけでもなく、だから山とか川とかには本当に縁がない。
 同い年のイサギも同じようなものだろうと勝手に思ってたから、……びっくりした。
「俺、小学校までここで育ってん」
「マジで?」
「マジで。学校がやたら遠いんで引っ越したけど。7、8キロあんねん、学校まで。シャレならんやろ?」
「ほんなら、まだ誰かここにいんの」
「ウン。ばーちゃんが一人でまだ住んでる。今からそこ行くしな」
 それならそうと、早く言えよっ!!
 そのままへたり込みそうになるのをすんでのところで我慢した。
 本当にコイツと来たら、たまにナニを考えてるのか俺にはサッパリ分からないことがある。イサギの中ではちゃんと筋道が通っているのかも知れないが、その回路は時として俺の想像をはるかに超える道を行く。
 そういえば、俺達が出来上がったときもそうだったよな。
 酷い風邪を引いてぶっ倒れた俺を寝ないで看病してくれて、口移しで薬を飲ませてくれたりして、「何でそんなコトする」って暴れたら、ケロッとした顔で返された。
「だって俺、お前のこと好きなんやもん。知らんかった?」
 知るわけねぇだろっ、ふざけんなってまた暴れて、さらに熱が上がってワケ分かんなくなって、俺もだって叫んだらまたキスされて、そのまま………………

 今気がついた。ひょっとして、口説かれたのは俺の方なのか?

 とまで考えて、そんなこと思い出して浸ってる場合じゃないことを思い出した。
 お祖母さんに会うぐらいは構わない。行儀良く挨拶して自己紹介でもして、あとは大人しくしていれば大丈夫だろう。
 ただ俺にイサギの思考回路はイマイチ読めないから、なぁ……、不安………………。








 電車を降りてからどれくらい経ったんだろう。左腕の時計に目を落とすと、針はすでに2時半をとっくに廻っていた。
「イサギ〜。もう1時間以上歩きっぱなしやぞ?」
 やっぱり心配になって、俺の手を引いて前を行くイサギを呼ぶ。でもイサギはちょっと振り返っただけですぐに向こうを向いてしまった。
「もう少しやって。ホラ、ブツブツ言ってないでさっさと歩く」
 なんて、全然取り合う様子もない。おい〜、この調子じゃばーちゃん家に着くのは夕方か?と諦めかけたら、
「ここ!」
 イサギが突然、叫んだ。


 目を上げると……視界の端から端までいっぱいに、大きな樹が聳え立っていた。

 
 でかい。とにかくでかい。
 様々な種類の樹木がひしめき合う森の中でひときわ大きく枝葉を延ばすそれは、夏の明るい陽射しをちょうど良く遮って俺達の足下に斑の影を落としている。
 樹齢はいったい何年くらいなんだろう。100年じゃきかないかも知れない。根っこはところどころ地面から盛り上がって縦横無尽に張り巡らされて、気をつけないとつまづきそうだ。幹の太さといったら、俺やイサギが目一杯腕を伸ばしても全長の半分も届かないに違いない。それぐらい立派にでかい樹だ。
「すっ、げ〜…………」
「だろ?」
 圧倒されてそんな感想しか浮かんでこない俺を見てイサギが笑う。
「この林ん中で俺の一番好きな木。俺の護り神なん。ガキのころからよく一人で、この木の下で暗くなるまで遊んだの」
「へぇ」
「全然飽きひんていうか、木の顔が……表情とか言うんかな、毎日変わんの。優しかったりちょっと厳しかったり、ここに来る度にコイツのこと、どんどん好きになんねん」
 そう呟くイサギの顔はほんとに嬉しそうで、俺もなんだか嬉しくなる。
「大事な思い出がいっぱい詰まった場所なんやな」
「……思い出だけやないよ?」
「ん?」
「お前に早くこの木見て欲しかってんけど、えらい遅なった。一年も経ってもうた」
 イサギがゆっくり振り返った。正面切ってじっと見つめられて、胸の鼓動が速くなる。
「……なに?」
 イサギは俺を見つめたまま、何も喋らない。こんなに真剣な顔で見つめられるのなんか初めてで、恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
 なんだかいつもの、のほほんとしたイサギとは別人みたいだ。
「なんやの」
 声を詰まらせながらなんとか言葉を絞り出す。イサギは腕を伸ばして俺を抱き寄せると、片方の手で頭を軽く撫でて…………髪に、そっと―――――キス。
 それから、耳元に鼻の頭を擦りつけて、俺をギュウッと抱きしめる。
「ほんまにそっくりやなぁって、見蕩れっとた」
 少し遅れて、ため息みたいに掠れた音が頭の上で響き出す。
「俺な、お前に初めて逢うたとき、……この木を思い出してん。コイツ、アレによお似てるなーって。木に似てるなんて……怒るかもしれんけど」
 頭が急にクラクラして、言葉が出てこない。だって、それって…………
「お前のこと毎日見るたんびに違う表情が見えて、どんどん好きになった。最初はなんでこの木ィ思いだしたのか自分でも不思議やったけど、よう考えたらちっとも不思議やないんやなって気がついた。だって俺にとってはどっちも同じ、大事なもんやねんから」
 ちょっと待って。そりゃないんじゃない? いきなりそんなコト言われたら俺、平気な顔する自信、ちょっとないかも。涙出たらどうするよ? それって、……かなり情けないよな。
「真理にこの話したらえらい怒られて。お前にそのこと言ったんかって聞くから、まだ言うてへん言うたらもう、ボロカス。『なんちゅう根性無しや』たら、『このヘタレ』たら、言いたい放題言いよった」
「真理、ちゃんが?」
 びっくりして思わず聞き返してしまった。
「真理ちゃんに言うたんか? ……いつ?」
 目の前の明るい顔がくしゃっと崩れて、イサギが人さし指で自分のほっぺたをつん、と突つく。
「ほら、引っ越しの前に俺、真理に張り飛ばされたことあったやん」
 そりゃもう、めっちゃ恐かった、なんて言いながら、ニカっと笑う。

 信じられない。あの時……そんなことがあったなんて。俺はてっきりあれは真理ちゃんの俺へのあてつけか、イサギに対する怒りの鉄拳なんだとばかり思ってた。

「そういう大事なことはちゃんと言うたらなあかん、てよ。アイツ俺らより三つも年下やのに、ときどきびっくりするくらい大人なこと言いよる」
 言いながら細められる目が、あっという間に霞んで揺れる。
「イサギっ………………」
 だめ、俺もう泣く。絶対泣く。止まんねぇよ。
 そしてやっぱり……涙は止める間もなく俺の瞳からこぼれて落ちる。

 こういう涙は自分では絶対止められない。しゃくり上げないように息を詰めたのに、それさえも上手く行かなかった。
「泣くなよ」
「っ、オマエの、せい、…………っ」
「泣くなってば」
 笑いながら抱き締めてくれる優しい腕。
 みっともない顔を見られたくなくて、誰も見ていないのをいいことに恥ずかしげもなくイサギの首に思いきりしがみついた。

 だって、こんなのってないよ。すげー反則だと思わねぇ? 
 俺はずっとずっと不安だった。誰かを傷つけて好きな人を手に入れた罪悪感とイサギを離したくない気持ちとが心の中でせめぎ合って、自分のコト、最低なヤツかもなんて思ってた。
 それが実は、俺一人の思い込みだったなんて。


「このっ、アホたれ……っ。なん、で、もっと早く言わんかった、」
「ゴメン。お前が真理のこと気にしてるの知ってたのに……どうしてもこの場所、お前に見せる時に言いたかって、ずっと言えんくて」
 もう一度ゴメン、って言いながら、背中に回された腕が弛んで、顔を上げると吸い込まれそうな瞳と目が合って、そこには、俺のこと好きで好きでたまらないって表情がクッキリと浮かんでて。それから、
「椿、好き。メッチャ好き、……好き」
 なんて声が聞こえたとたん、本当に全身から力が抜けた。

 目を閉じるより一瞬早く、唇が重なる。
 キスなんてもう何度もしたのに、唇に残る感触だけで体が震えて熱くなる。持て余して行き場のない感情が体中をグルグル駆け回る。
 もっともっとキスして欲しくて、体を押し付けてイサギの首に縋りつく。
 触れて離れて、また触れて、何度目かに唇が離れたときイサギの舌が頬に触れて、流れ続ける俺の涙を掬い上げた。



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驚いたことに続くんです……。
また性懲りもなくこんなバカップルを作ってしまい、途方に暮れるアタシ。人前で堂々と手を繋いだりキスしたり、イチャイチャ出来る彼氏たちを書いてみたくなって…………
そして書き始めてやっと気づく。憧れは憧れのまま終わらせるべきなんだってことに。後半もラヴ全開です(笑)