気の済むまでキスをもらってちょっとこのまま終わらすのは無理そう、なんて思いかけた時、俺はやっと本来の目的を思い出した。
「な…………、ばーちゃん家、それで一体、ドコなん?」
「あ」
イサギが、如何ともし難い表情で俺を見つめる。視線が俺の顔と頭の後方を何度か往復して…………
「まさか」
「え〜…………っ、と、」
「真後ろかいや……?」
「へへへっ」
へへへじゃねぇだろぉ!?
ゆっくり首を巡らせると、イサギのご神木のちょうど正面に位置する場所が門や垣根すらない広い前庭になっていて、さらに奥に古い、風格のある日本家屋が一軒建っていた。
要するにお前は、や、俺たちはよりによってばーちゃん家の庭先で、人目も憚らず濃厚なキスシーンを披露してたってコトか? …………冗談だろ?
「イ・サ・ギ〜〜っ」
「だって、この木、ばーちゃんのなんやもん」
だからっ、そういう大事なことをなんで先に言わねぇかな、この男は!?
呆れて、言葉もない。イサギはやっぱり明るい顔を俺に向けて、「ま、ええやん」なんて軽く言う。
そして火照った頬とそれと分かる意味を持って上昇する自分の体温をどうしていいかわからない俺は、イサギに抱きかかえられるようにして、目の前に聳える大きな屋敷に連れて行かれる他なかった。
「ばーちゃん! いるか!? 俺、イサギっ」
ちょっと叩いたぐらいじゃびくともし無さそうな重厚な引き戸を、イサギがげんこつで無遠慮に鳴らした。
「なんちゅう乱暴な……」
「これぐらいせんと聞こえへんねやもん、この家」
こんなことは日常茶飯事と言わんばかりにイサギが平然と返してくる。確かにイサギの言う通り、家の中からは返事どころか、物音ひとつ聞こえてこない。イサギはおもむろに厚さ4センチはありそうな古い木の扉に手を掛ける。体重を掛けて思いきり引くとギシっと重そうな音がして、戸が開いた。
「あっちゃ〜」
間の抜けた声。なんとも言えない顔でイサギが俺を振り返る。
「どした?」
「ん〜……」
とりあえずイサギの後に続いて中に入った。
俺たちのマンションのキッチンスペースぐらいはありそうな上がり框。磨き込まれた床が長い年月を思わせる鈍い艶を放っている。寺社の襖絵を思わせる、見るからに時代物の衝立の脇を通り抜けて奥へと進む。
部屋は一体いくつあるんだろう。表から見た限りでは平家建てだけど、隠し階段とか隠し回廊とかがありそうな雰囲気だ。
「スミレさ〜んっ。いないのぉ?」
やっぱり返事はない。イサギが急に足を止めた。人形のようなぎこちない動きでゆっくり振り返って、俺を見た。眉が完全に八の字になってる。
「なに」
「いねぇよ」
「誰が」
「……ばーちゃん」
………………
「ナニ!?」
「いないって、……鍵、開いてたやん」
「鍵なんて掛けへんよ、ここん家」
「マジで? なんちゅう不用心なっ」
「ばーちゃん家に好き好んで泥棒に入るやつなんかおらんもん」
…………それ、どういう意味だよ?
「ちょお、俺電話してくるわ」
そう言い残すとイサギはすたすたと長い廊下を右手に折れて、一番最初の部屋に入って行った。
知らない家の中にずかずか上がり込むのはちょっと気が引けるけど、ココでジッとしてて誰か家の人に会ったらもっと気まずい。仕方なくイサギの後ろについて部屋に入る。
全体の凝った造りとは対照的に、この部屋はずいぶん簡素なしつらえだ。使い込まれた文机がひとつ、違い棚に青磁の華奢な香炉がひとつ。濃い黄色の花が染め付けの花瓶に一輪だけ生けられて、机の片隅に飾られている。
イサギが棚の上に手を伸ばして引き戸を開けると、そこから部屋には全くそぐわない現代的な、要するに普通の電話が現れた。
大きな手で器用に小さなプッシュボタンを押して、俺の顔を見ながら受話器を耳に当てて待つ。ほどなく電話の向こうの誰かと会話しはじめた。
「あ、俺。あんな、ばーちゃんがおらんね、……ん、ふん、…………マジで?」
とかなんとか。
なんだか事情が飲み込めた、ような気がする…………。
間違いない、たぶん、コレって……
相変わらず俺をじっと見つめたまま、イサギがぽつりと呟いた。
「ばーちゃん、俺ん家におるって」
……やっぱりな…………………… そんなことだと思ったよ。
家の主どころか人っ子一人見当たらないだだっ広い屋敷の縁側に並んで座って、ぼんやりと庭を眺めた。そうするより他に、することなんかない。
なにせ、目的の人はここからゆうに20キロは離れた、イサギの実家にいるんだから。
「思い立ったら急なんやもんなー、あのバーサン……」
「家におるかおらへんかくらい確かめぇよ、先に」
「いると思たんやもん」
「……はぁ」
ダメだ。イサギにこういうこと言ったって、通用しないことはすでに知ってる。
気が抜けたら急に腹が減ってきた。初めてイサギのお祖母さんに会う、なんて言うから緊張して、昼飯のことをすっかり忘れていたのだ。
「……腹減ったよな」
「そやな。なんか探して食お」
イサギがパッと立ち上がった。ビックリして思わず呼び止める。
「なんか……ってオマエ、お祖母さんがおらん間に、勝手に食べ物荒らしたりしたらマズいやろっ?」
「構へんよ、俺のばーちゃんやもん」
………そう言う問題じゃなくてさ。
「ええねんて。そういうことうるさないねん、あの人は。椿はほんま気ィ遣いやなぁ」
そういうとこ……多分お前は直結で受け継いでるな、きっと。よぉく分かったよ。
イサギがそこら辺から見つけだした食料をガツガツ食べて腹一杯になって、ふたりで縁側に寝ころんで昼寝した。
といっても本気で眠る訳じゃなくて、俺の髪の毛を引っ張ったり額にキスしてくるイサギを適当にあしらって遊んでいたんだけど。
イサギはこういうところ子供みたいで、胸のあたりに鼻を擦りつけたり、腕を甘噛みしたり、まるで犬みたいにじゃれてくる。けど……
さすがにコレはマズいんじゃないか?
「ばっ……、ヤメっ」
「ん〜?」
間延びした返事とは裏腹に、イサギの手がTシャツの下から滑り込んできて、慌てて腕を掴んだ。
「なに考えてんねん。ここでする気?」
「したくない?」
「やないけどっ」
イサギがどんな気分になってるかなんて顔を見ればすぐに分かる。いつも笑ってる瞳が潤んで、ほんの少しだけ表情が固くなる。これは俺のこと欲しがってるサイン。
今はまさにその状態で、そういうイサギの顔を見ると、俺も条件反射のように体が熱くなって止まらなくなる。でもさ。
「風呂も入れへんとこでするのは、いや」
意外ときれい好きなイサギには、こういう理由は絶対効果がある。
とりあえず正気を取り戻させるのが先決。いくらなんでも、初めて訪れたお祖母さんちをラブホテル代わりに使うのは、……マズいだろ…………
「ふむ」
イサギはちょっと首を捻って、
「ちょっと、待ってて」
と言い残して立ち上がると、縁側を突っ切って廊下の奥へと消えた。あ、なんか嫌〜な予感…………
しばらくして、
「椿っ!」
古い家ごと傾きそうなでっかい声で俺を呼ぶ。ため息を吐きそうになるのを必死で我慢しながら声のした方向へと廊下を進むと、突き当たりの引き戸の奥に、ココは旅館か? と聞き返したくなるほど立派な檜造りの湯船が見えた。
体ごとイサギの胸に預けて寄りかかると、すぐに背中に腕が回る。息が詰まるほど強く抱きしめられながら唇を塞がれて、喘いだ。捲り上げられたTシャツの下の素肌に、イサギの掌の感触を覚える。痛いところをさするような緩やかな動きが乱暴になるにつれて、俺の体温もどんどん引き上げられていく。
昼飯のすぐ後なんだけど……なんてことを言わなかったのは、こっちもソレどころじゃなくなってたから。
よろけながらイサギの体重を全身で受け止める。木肌の壁に背中を押しつけて、着ているものを剥ぎ取ろうとするのを手伝った。
片手で首筋から肩を撫でながら、体を屈めて胸に舌を伸ばしてくる。軽く啄むように乳首を含んで舌で転がす。それだけで下半身にジンと痛みが走った。
「コラ、風呂はあっち…………」
笑いながら頭を両手で遠ざけると、
「む〜……」
不満そうに見上げてくるイサギの顔は、とても子供には見えないけれど、めちゃくちゃ可愛いと思う。
「は、……ぁ、んっ……」
湯船の縁に両手をついて体を支えているのに、強く揺すり上げられて床に膝をつきそうになる。体がグラグラ揺れるたびに、足下に堪った湯が撥ねてピチャピチャと音を立てる。
後ろを突いてくる激しい律動とは裏腹に、ペニスをまさぐるイサギの指は繊細な動きで俺を簡単に限界まで追いつめる。
「……ぅんっ、……んっ」
擦られるたびに先端からトロトロと粘液が溢れて、乾く間もなくイサギの掌を汚していく。
首筋に絡まる髪を払いのけて、そこにイサギの唇の感触。
「いっ、……!」
痛いほど強く吸われて、思わず声が漏れる。そのショックで一気に上り詰めた。
「あっ、あっ」
「もうイきそう……?」
訊かれて、夢中で首を縦に振る。絡みつく指が速度と強さを増した途端、
「っ、あ、…………っ!」
目の前に走る七色の閃光。腰の辺りがジ……ンと痺れる。
唇から泣き声を漏らしながら、握り込む手の中に自分を解放した。
身体に全然力が入らない。イサギを奥深く飲み込んだままグラリと前に倒れ込むと、内壁が引きずられて、そんな瞬間にすら感じてしまう。ペニスを包んだ掌がヌルついたままあやすような動きに変わって、少しだけホッとした。
「っん……、イサ、ギ…………っ」
かすかに笑うような気配。軽く腰を捻って押しつけてくるのが、堪らなくイイ。
「椿……すっげ、気持ちよさそう……」
「ん、……ウンっ…………」
本当のことだから、正直に頷く。イサギと一緒にいるのは、ココロだけじゃなくカラダもうんと気持ち良い。
もっと深いところまで、来て。もっと俺のこと感じて。イかせて欲しい。たくさんイって。好き。好き? ……もうダメ、飛びそう、………………
イサギのペニスがグイッとねじ込まれて、内側の一点に熱い塊が突き刺さる。瞬間、思考がブッツリ途切れる。
「あんっ! あっ……」
いちばんイイトコロ。瞼がじわっと熱くなる。後孔がギュッと締まって、呆れるくらい貪欲にイサギを感じ取って疼く。
目の前で波打つ透明な液体が斜めに揺れた。
「あ、あっ、……っ、あぁっ」
良いところを全部知られてるから、安心して快感に身を任せる。ソコがいちばん気持ち良いこともイサギはちゃんと知ってる。
どうしてこんなに感じるんだろ?
どうしてこんなに気持ちイイのかな?
「イ、サギ……っ」
呼ぶとそれに応えるように、唇に指が押し当てられる。口に含んで夢中で舐めた。湿った音が脳に直接響いてくる。
朦朧とした意識はイサギのことでいっぱいで他のことなんか考えられない。
「オマエ、もっ、……いっぱい、イって、……っ」
息も絶え絶えで辛うじて声を絞り出すと、
「ったりまえ、やろ……、我慢っ、できるわけない、」
俺がもう一度頂点に上り詰めるのと、イサギが俺の中に欲望を全部ぶちまけるのは、ほぼ同時だったと思う。
ハァ……と息を吐いて、イサギの腕の中に身体ごともたれかかった。まだ思い出したようにブルッと手足が震える。
こんなところも不思議だ。
昔他の男に抱かれていた頃、出してしまったら快感はあっという間に過ぎ去ってさっきまでの熱はあっさり引いて行ったのに、今は違う。
自分の中に残るイサギの名残を繰り返し感じる。熱くて激しい胸を焦がす感情が、体の何処かから溢れてくる。
「椿…………」
快感の滲む掠れ気味の声が耳をくすぐる。……「満足」って感じ? と嬉しくなったのは束の間。
「場所、変えよっか」
いいけどさ……
ようするに帰る気ないんだな? オマエ。
ガラス戸を開け放した縁側から涼しい風が吹いてくる。イサギの肩に頭を乗せてゆっくり目を開けた。髪を弄る指の感触が心地良い。
結局風呂から移動したのは庭の見える居間。俺たちはそこで人の家とは思えない悪行の限りを尽くした。イサギはあとでお祖母さんにこっぴどく叱られるに違いない。
目の前にはイサギの護り神。すっかり暗くなった空に向かって大きく腕を広げて、ふさふさ茂った葉を気持ちよさそうになびかせている。
あれが俺?
ちょっと買いかぶりすぎだよ。俺はあんなに立派じゃないし、堂々ともしてないよな。あ、でもフラフラ揺れてるところは同じかな?
とりとめのない考えが頭をよぎる。
ずっと眺めていたい気分。ざわめく木々も夜の庭も、俺をしっかり抱き締めてくれるイサギのことも。
「そういえば、なんで急にお祖母さんちに来ようと思ったん? お祖母さんの話なんかしたことなかったのに」
「あ〜……」
「正直にな?」
言い渋るイサギを脅すように上目遣いで睨むと、仕方なくというのがありあり分かる口調でボソッと呟いた。
「バラしよったん……」
「誰が? っていうか何を? 全然わからん、それじゃ」
「だから……真理が、ばーちゃんに、オマエのこと…………」
「あっそ、俺の……なにーっ!?」
目が点になってしばし呆然とした。
俺のことって、つまり俺が、……俺の、……あれ?
「アイツな〜、なんであんなシャベリなんやろな」
瞬きも出来ないままの俺をイサギが苦笑しながら抱え直す。
「椿っていう俺の恋人は、素直で可愛くてちょっと気にしぃで泣き虫で……めっちゃくちゃキレーな男やて。そしたらもう、絶対連れてこい、連れて来えへんかったら俺らの家まで押し掛けてお前を拉致するってよ」
「マジですか…………?」
肩に頭を乗せたまま見上げるご神木がクルクル回る。
「やる言うたら絶対やるしな、あのバアさん。冗談みたいやけど冗談と違うねん」
さすがのイサギも参ってるみたいだ。呟く声に、困った調子が正直に滲み出てる。
けどな。ため息を吐きたいのは俺のほうだよ。
「なんで俺に会いたいの。見たって面白ないやろ。だいたい自分の孫の恋人が同性やなんて、普通やったら倒れるぞ? たぶん」
「普通やないから、俺のばあちゃん」
……それってどういう意味?
「キレイな男に目ェないねん。ゲイジュツカやから美しいものには敏感やとかなんとか言うてるけど、アレはただの趣味やね。お前なんか、もろタイプやと思う……」
さいですか…………
「でな、今日は1周年やし、俺の守り神も見せたかったし、ちょうどええかな〜、思て」
……びっくりが重なりすぎて、俺はとうとう声も出なくなった。
「覚えて、……たんか……? 今日、」
イサギが笑うと肩が震えて俺ごとゆらゆら。間抜けだけどちょっとシアワセ。
「信用ないやね、俺。忘れるわけないやろ?」
「ぜーったい忘れてると思てた……」
「ショック……」
イサギが店のバイト募集に応募してきたのが、ちょうど去年の今日。
それからきっかり365日―――――長くて、いろいろあって、あっという間の。
「今度は引っ越し記念でもするか。あ、そのまえに真理のビンタ記念か〜?」
「……どうせ祝うなら、ぶっ飛ばされた日より付き合い始めた日やろな…………」
やっぱりコイツの考えてるコトは分からん…………。
向かい合わせで抱き合ったまま、真夏の夜の風に吹かれる。
背中に回される腕もぴったり重なった胸も、どこもかしこも、熱い。少し汗ばんだ喉に噛みついたら、いつもと違う石鹸の香り。そんなものにまでドキドキする。
このままずっと、空が明るくなるまでこうしていよう。
イサギの腕の中がいちばん好き。どんなふかふかのベッドより、ここがイイ。
「あ」
イサギが突然声を上げた。
「なに?」
「忘れてた…………」
相変わらずののんびり口調だけど呆然としてる。ほら来た。……次はなんだよ?
「……俺ら明日、バイト10時からやなかったっけな?」
ここはドコだ?
市内から隔離された山の中、駅まで歩いて1時間。電車はたぶん……1時間に1本くらい。おまけにさんざんセックスして、俺なんかとっくに腰が抜けてる。
しかも最悪なことに…………
ただのイタズラが次第に熱を帯びてくると、落ち着きかけていた体が反応し始める。
……まぁ、ようするに、ソウイウコトだ。
「椿、まだいけそう」
イサギがクスクス笑いながら直接ソコに触れてくる。
「ヒトのこと言えンのか?」
口調はあっさり。アタマはクラクラ。
ダメだ、もう止まんねぇ。
俺、死ぬな。絶対…………
翌日、バイトの最中何度も腰を押さえて蹲る俺を見て、店長は申し訳ないくらい心配してくれて、まさか「ヤリすぎで……」なんて言うわけにもいかず、ハハハと笑って誤魔化した。
俺をコンナにした張本人はといえば、昨日あれだけしたい放題したくせに朝もキッチリ起きてピンピンしてて、まったくバケモノとしか思えない。
ちょっと恨めしい気持ちになって、オーダーを取り終えてキッチンに戻ってきたイサギを睨むと、声を出さないで唇を動かして、
『アイシテル』なんて……真夏のお日様より明るい顔で宣った。
>>>>> Neverending
End...