目が覚めたら航平の様子がおかしかった。
 昨日の今日だからやっぱりどうしていいか分からなくて、気を紛らわせているのかも知れないとも思ったけれど、それを考慮に入れても今朝の航平の行動は僕にしてみればどうにも納得が行かないものだった。
 休日に航平が僕より1時間は早起きして朝食を作ってくれるのは特に珍しいことでは無いけれど、何を思ったのか航平はまだ半覚醒でベッドにぼんやり横になっている僕の枕元に、こんがり焼けたママレードつきのトーストとハムエッグのアスパラ添えと湯気の立っているカフェオレの乗ったトレイをいそいそと運んできた。いくら航平が細々と動くことが苦にならない性格だと言っても、これはやりすぎだと思う。
 僕としてもこれはきっと何かあったな、と気付かずにいられない。

「ほら起きなさい、真尋。こんなに天気が良いのに目を瞑ったままだなんて勿体ないよ」
 航平は時々こういう、よく分からない見解を披露する。
 せっかく遊びに来てるんだから、本ばかり読んでちゃ勿体ないよ。
 ふたりで一緒に休めるなんて滅多に無いんだから、真尋から目を離すのはつまらないよ……
 正直言うと以前は「何を言ってるんだバカモノ」と思うこともあったけど、昨夜の出来事で僕の心は少し変化した。
 次の朝目が覚めたら航平は隣にいないかも知れない。僕がどこかに連れ去られているかも知れない。
 事実ジョシュアはもうこの世にはいないのだから。
 何も変わりない日常でそのことをあまりにも突き詰めて考える必要は無いのだろうけれど、航平が「勿体ない」とぼやく気持ちが少しだけ解った気がした。もしも起こりうるその瞬間まで僕は航平を見続けていたいと思う。触れていられるだけ触れていたいと思う。
 それは僅かな痛みを伴って僕の心に新しく刻まれた感動だ。
「起きるけど……どうして食事を運んでくれたりするの? それは変だよ」
 けれど僕のナーバスな気持ちは、航平の奇妙な行動を見過ごしてやれるほど深刻じゃなかった。
「何でもないよ。何となく、……してあげたかったから」
 それでは理由になっていない。僕は航平のことを航平が思っているよりずいぶん詳しく知っているのだから、そんな曖昧な言い方では許してやるわけにはいかないのだ。
「隠し事はナシにしようよ。航平が変だと僕は心配でご飯なんか食べられない。僕に言えないようなことが何かあったの?」
 僕にここまで言わせたら、さすがの航平も折れないわけにはいかない。航平は今心の中で涙を流しているんじゃないだろうか? だって僕が航平に対してこんなに愛情深く接することは滅多に無いから。
 案の定航平はトレイをサイドボードの上に置くと、少しだけ顔を歪ませて寝そべる僕の上から大きな体を被せてきた。
 額を擦り合わせてじっと僕を見つめてくる。半分目を閉じて促すと航平は一瞬ためらってから、そおっと僕に唇を寄せた。
 今日1回目のキス。僕らは今日全部で何回キスするんだろ、なんて航平が聞いたらため息を吐きそうなことを考えた。
 唇を離してしばらくして、
「……昨日さ、最後にジョシュアにキスしたんだ」
 と航平がポツリと呟いた。
「うん、それで?」
 それがどうした、と思わず言いそうになって何とか思い留まった。航平の大切な家族は、僕にも僅かばかりの寛容と忍耐とを残して逝ったのか。
「それが何か?」
 もう一度聞き返すと、航平はとうとう諦めたのか、急に滑らかな口調で言葉を繋ぎだした。
「真尋と逢ってから、ジョシュアとキスをするのをずっとやめてたのに、ああもう本当にこれが最後かも知れないと思ったら寂しくて愛おしくて、最後に一回だけジョシュアにキスをしたんだ。キスは真尋とだけにしようって、心に決めてたのに」
 それから航平は困ったように微笑んで、「ごめんね」と言った。
 その時の僕はと言えば、申し訳なさそうな航平の顔を間近で見ながらぽかんとしたまま、
 航平にとって、僕とのキスとジョシュアとのキスは同じなのか? とか、それはジョシュアが航平にとって恋人だからか、僕が航平にとって家族だからか、どっちなんだろう?
 なんてことを一生懸命考えていた。
 考えても仕様がないことを懸命に考えているうちに、目尻に涙が滲んできた。
「真尋? ゴメン、泣くほどショックだった?」
 ああ、航平のバカヤロウ。
 そんなことはこの際どうでもいいことなのだ。だって僕は情けないことに、そんな間抜けなことで真剣に思い悩む航平を……心から愛おしいと思ってしまったんだから。
 最後のキスはジョシュアにあげよう。惜しみなく、喜んで彼女に感謝して、また会える日を待ちながら、生きてる僕らはこれから何度もキスしよう。
 うんと広いこの地球上で愛する人とキスを交わそう。
 
 さよなら、ジョシュア。
 万にひとつの奇跡のような偶然で君と出逢えて本当に良かった。
 ―――――またいつか何処かで。
 

end


 この話は載せない方がいいのでわ〜?と迷いに迷った挙げ句、やっぱり載せてしまいました。まったりと実話だったり。

020708


close