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sincere
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誕生日というと思い出す。
まだ大阪にいた頃、小学校に上がったばかりの俺はその日も遅くまで外で働いている母の帰りを待っていた。小さなアパートのボロい階段に座って、ときおり手摺りの間から顔を覗かせては、真っ暗な道路をこちらに向かって歩いてくる母の姿を一生懸命探しながら。
長い時間我慢して待ってやっと母が帰ってきたのが嬉しくて、いつものように飛びつこうと思ったら「ダメっ」と強い口調で遮られた。
びっくりして見上げると、母の手には小さな白い紙ケースが大切そうに握られていた。
中身は生クリームがたくさん乗ったショートケーキ。白くてふわふわしたクリームの城の真ん中に大きなイチゴが飾られている、今思えば本当にシンプルなイチゴショートってヤツで。
俺はめちゃくちゃ嬉しかった。「お母さん、これ美味しい」って何度も何度も言ったことを今でもはっきり憶えてる。
本当に美味かったんだと思う。母の笑った顔がうんと近くにあって、俺のために買ってきてくれたケーキを一緒に食べて。
自分でも不思議だけど、それから後の誕生日のことを全然憶えてないのに、あの日のことだけはずっと忘れられなかった。
◇
「はよっ!」
いつものように大変元気な斎の声がキッチンの辺りから聞こえてきた。今日は平日なのにナゼか斎は朝から俺の部屋にいる。
なぜ、と言うのは正確じゃないな。昨日から斎はココに泊まり込んでるんだから。
斎の言い分はこうだ。
『誕生日は絶対ずっと一緒にいるっ』
とりあえず一週間前にそう宣言するや、いい顔をしないお母さんを拝み倒して説得して、何とか外泊を許してもらったらしい。
なぜだと聞いたら、本当に真顔で『大事な日だから』。
そりゃまぁ、そうなんだけど……
嬉しいくせに素直じゃない俺は何とか思いとどまらせようとしたけど、こればっかりは斎の意思のほうが固かった。
実際には斎は学校があるし俺にもバイトがあるし、朝から晩までべったり一緒というわけには行かないんだけど、普段よりはうんと長く同じ時間を過ごせることになった。
普通ならお母さんもお父さんも、斎が友達の家に泊まりに行くことに反対したりはしない。所在さえハッキリしていればうるさいことは言わないと、斎が以前言っていたことがある。
お母さんが斎を俺の側に置くことを少し躊躇うのはたぶん……俺たちのことをお母さんに話したからだ。
俺の、斎に対する正直な気持ちを。
反対されるかもって思った。もしかしたらせっかく上手く行きかけていたいろんなコトがダメになってしまうかも知れない不安もあった。だけどそれは俺にとって、何より大事なことだから。
お母さんは何も言わなかった。反対もしなければ呆れたり怒ったりもしなかった。ただ一言、「あなたを大事に思ってる人たちに対して恥ずかしいようなことはしないように」って。それだけ。
例えば俺の両親。例えば斎の両親。瀬田兄。「JUDE」のメンバー。「GREEN DAY」のみんな。
落ち着いて周りを見渡せば見えてくる、いろんな人のいろんな気持ち。
そしてもちろん、いつだって一番近い場所にいてくれる斎の気持ち。
まだ早すぎるとか子供なのにとか、普通の大人が簡単に口にしそうなことを言わないで、一番大切なことをハッキリ言ってくれるお母さん。
どう考えても俺にとっての一番は斎のそばにいることで、俺が斎のことを好きだって気持ちは、絶対恥ずかしいコトじゃない。他のどんなことを我慢しても、それだけは絶対譲れない。
そう言ったら、―――――お母さんは「分かった」って笑ってくれた。
だから心配しながらも黙って目を瞑ってくれてるんだと思う。
「早よ行かんと学校遅れる」
なんとなく離れ難そうにぐずぐずしてる斎の足を軽く蹴って玄関に追いやった。
「……休んじゃダメ?」
なおもドアの前で俺を振り返る斎は、行きたくないって顔中で言ってる。俺は力一杯ため息を吐きながら正面から斎の顔を見返した。
「アホか、何言うてんねん」
「お前の誕生日くらい、ずっと一緒にいたいじゃん。去年はまだ俺たち知り合ってもいなかったしさ」
「ガキみたいなコト言うなや。そういうのはナシ。さっさと行く」
「珱、冷たい……………」
でかい図体を丸めてしょんぼりしてる斎を見ていると、俺までつられておかしくなりそうだ。一緒にいたくないわけないんだから。
でもダメ。絶対ダメ。そういうのをけじめって言うんだよっ、アホ斎!
「そういうのはアカンの。お母さんと約束したんやから。俺も、お前もちゃんとせなあかん。分かるやろ?」
まるで自分に言い聞かせてるみたいだ。
「そのかわり、……学校終わったら走って帰って来い。俺もバイト、6時ダッシュで帰るから」
途端に見違えるほど明るい顔になって、
「おっしゃ! 絶対早く帰ってくる。お前より早く着いて待っててやるからっ」
「絶対な」
いつもの元気を取り戻した斎は、今にも踊り出しそうな勢いで家を後にした。
なんて単純、と思いながらも自然に笑いが込み上げる。
サーヴィスついでに通勤時間帯で人通りの多いマンションの玄関まで見送ってやると、走りながら危なっかしく振り返って大きく手を振る。
角を曲がって広い背中が見えなくなっても、俺はしばらくその場を離れられなかった。
時々こっちがびっくりするくらい大人っぽい顔を見せたり、今みたいにどうしようもなく子供だったり、斎というヤツは本当に不思議だ。
一瞬ごとに表情がくるくる変わって、目が離せなくて、心臓が壊れそうになる。
抱き締められたいって素直に思えることが、……俺を今までと違う場所に一歩踏み出させてくれる。
何かが変わっていく。俺の周りで。俺の中で。それを拒み続けていた自分が少しずつ消えて、心がうんと軽くなっていく。
斎がいるだけで。
◇
その日のバイトは楽しかった。今日は早く帰るつもりだから「GREEN DAY」の仕事は休ませてもらって、コンビニのほうを12時から6時まで。あと20分で終了だ。時間までに散らかり気味の商品棚を並べ直そうとし始めたところに後ろから声を掛けられた。
「ね、窪塚くん今日時間ある?」
顔を上げると、俺がこのバイトで一番世話になってる斉藤さんが立っていた。
「どうかしたんですか?」
今日は6時ダッシュ……なんて言い出すのは少し恥ずかしい。なんでって聞かれても困るし。斉藤さんは言い出しにくそうな表情で俺を上から覗き込んだ。
「明日からのキャンペーン用のポップとオマケ、手違いで6時過ぎてからしかこっちに届かないってさっき本部から連絡入ってさ。しかも仕上げが8割だって。どうも袋づめをこっちでしなきゃなんないみたいなの。もし時間あったらちょっとシフト延長して手伝ってもらえないかと思って」
「あ………」
思わず口ごもってしまった。学校から一直線でマンションに向かう斎の姿が浮かんだ。絶対走ってるに違いない。
「あ、今日は都合悪いか。誰かと約束とかしてる?」
「や……斎と、メシ食いに行こうかって」
とりあえずウソじゃないよな。ソレだけじゃないけど。
「じゃあまずいよね。わかった、ゴメンね無理言って。あたしらでなんとかするから」
「あの……」
思わずレジを振り返ると、店長の上田さんが申し訳なさそうな顔で片手を上げるのが見えた。
…………で、結局残って仕事をしてしまった。
急いでやれば1時間ぐらいで済むだろうと、電話もしないで黙々と作業して、……気がついたら時間はもう8時を回ってしまっていて。
明日必要な準備をやっと終えて飛んで帰ったら、斎は完璧に怒っていた。
「……早く帰って来いって言ったじゃん」
玄関を開けると、いきなりでっかい壁が目の前に立っていた。当たり前だけど見るからに頭に来てる顔をしてる。
「悪い。バイト、どうしても終わらんかって」
「じゃあ電話ぐらいすればいいだろ? 連絡もナシで、なんかあったんじゃないかって俺がすっげー心配すんの、知ってる?」
それを言われると何も言い返せない。そうでなくても正月にも勝手なコトしてすごく心配させて、怒られたばっかりなのに。
電話すればよかったって気がついたのは、ほとんど仕事が終わりかけた頃だ。とにかく早く仕事を終わらせて帰ることしか頭になかったから。
「だからゴメンって」
俺の言い方はいつまで経っても下手すぎて、思ってることが半分も斎に伝わってないに違いない。ホントはどうしていいか分からないくらい動揺してるのに。
斎はそれ以上何も言わなかった。
きっと呆れているんだろう、大きなため息をひとつ吐いたあとそのまま靴をつっかけて、俺が止める間もなく部屋を出てエレベーター横の非常階段から駆け下りて行ってしまった。
体が全然動かなくて声も出なくて、俺はその場に突っ立ったまま斎の背中を見送った。
扉が閉まる瞬間オートロックのカチャリという音が、誰もいなくなった玄関に大きく響いた。
◇
心臓が嫌な音を立てて走り出す。鳩尾の辺りが痛んでふらふらと床に座り込んだ。
頭の中に斎の顔が繰り返し浮かんでは消えて行く。目の前がぐらついて気持ち悪くなった。こんな感覚は本当にひさしぶりだ。
今まで斎に放っておかれたことなんて数えるほどしかない。振り返るといつでも目に入るところにいてくれて、それが当たり前だと思ってた。
―――――当たり前なんじゃない。斎がずっとそうしてくれてただけ。いつでも腕を目一杯広げて待っててくれただけだ。
今度は俺から言わなきゃ。「逢いたかった」とか「一緒にいて欲しい」とか、そういうことをちゃんと。
追いかけたらきっと間に合う。もしまだ怒ってたらもう一度謝って、一緒に帰れなくても顔を見るだけでいい。
そう決心して立ち上がったらエレベーターの開く音がして、玄関ドアの鍵が回る。扉が開いた瞬間、反射的に息を詰めて涙が零れそうになるのを我慢した。
当たり前だけど、ホントに斎が目の前に立っていた。
「どこ行くの」
相変わらずムッとしたままだけど、とりあえず帰る気はないらしい。斎はドアを乱暴に閉めると、突っ立っている俺の横をスルリと抜けて部屋に向かった。俺も慌てて後を追う。
リビングに入ると斎は無言でどさっと腰を降ろして、テレビの前にあるテーブルの上にビニール袋を放り出した。中を覗くとコンビニで調達してきたらしい食料が細々と入っているのが見えた。
「……メシ?」
「食ってないんだろ、どうせ」
そうか。これを買いに行くために出て行ったのか。
「コレも」
ぶっきらぼうに机の上に置いてあった紙箱を俺のほうに押し出す。
「これはなに?」
「……開ければ」
逆らう気にはなれないから、黙って紙箱に手を掛ける。取っ手の両方に引っ掛けてある耳の部分をゆっくり外す。この形ってもしかして……
思った通り中身はケーキだった。しかも真っ白なクリームで覆われたショートケーキ。胸の奥にしまい込んだ記憶が鮮明に蘇る。
あの時母が買ってきてくれたケーキもこんな、シンプルなケーキだった。
顔を上げると硬い表情の斎がボソリと口を開いた。
「お前がまだ小学1年くらいの頃、イチゴの乗っかったケーキをすげぇ喜んだって、お母さんが言ってた。それから毎年誕生日っていうとコレが良いって、他のケーキは絶対食べなかったって」
そんなことはすっかり忘れてた。全然憶えてない。って言うか、
「わざわざ聞いたんか? ……あの人、に」
思わず聞き返すと斎は黙って頷いた。
胸のど真ん中が痛い。
心の中で繰り返し斎の名前を呼んだ。その中のたった一回でいいから、ちゃんと斎に届くようにと本気で願う。
体のどこかから溢れてくる想いは際限が無くて熱い。
「あの、な……………」
何を言ったらいいのか思いつかないまま何とか言葉を繋ごうとしたら、妙な感触に遮られた。何を思ったのか、斎はいきなりケーキの箱に指を突っ込むと、生クリームをごっそりすくい取って俺の口元に擦り付けたのだ。
「な、……………」
……にをするっ、なんてこの場面でとっさに言えるわけがない。
見返してくる斎の顔はふざけているように見えなくて、喉まで出かかっていた言葉はまたどこかに引っ込んだ。
その間にも斎は真剣な表情で俺の顔にクリームを塗りつけている。何とも言えない感触と甘ったるい味と匂いにまた頭が混乱した。
「珱」
急にピタッと手を止めて、真正面から見つめられる。
「……珱」
確かめるように何度も呼ぶから瞬きすら出来ない。
と、目の前の顔が少し傾いて、―――――唇のすぐ横に舌が触れて、自分で塗った生クリームを掬い上げる。
目を閉じて顎を突き出すように上げると、今度は唇が頬に触れた。くすぐったくて恥ずかしくて逃げ出さないようにするのが精一杯。
クリームを丁寧に舐め取る湿った音は直接心臓に届く気がする。
なんだか俺ら犬みたい……なんて思いながら、閉じた瞼に少しだけ涙が滲む。
ずっとこうしていたい気もして、結局最後までじっとしたまま。
それからバニラの味がするキスをした。
「……美味い?」
「ウン」
夢中で頷くと斎はやっと笑顔を見せて、
「誕生日おめでとう、な」
って言ってくれた。
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リクエストNo.3 : 江藤サマ
『バイト先でも珱クンのお祝をしてくれて帰りが少し遅くなっちゃう。 けど、斎はそれがどうしても我慢出来ないちょっと子供じみた独占欲で、帰って来た珱クンをケーキのクリームを使ってお仕置きしちゃうお話』(←なんて安易な・笑)でもちゃんとラブラブで斎は途中で我に返って『我がままいってゴメン』みたいな。珱クンは『ちゃんとわかってるから。一緒にいてくれるだけでイイ』とかなんとかはどうでしょう。
抜き書き出来ないほど完璧なリク内容に、キリハラかなり楽させていただきました。
そのまんまやん、という突っ込みにはあえて受けて立ちましょう! そのまんまです。
内容的にちょうど良いので「REAL LIFE」の気持ちで書いてみました。でもやっぱり言わないまま終わる…………。ほんの少し切なくて甘い、16才の誕生日。
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