●◎ 映画みたいな恋。…020610



 俺は自分でも笑ってしまうくらい、大勢の人の中から珱の姿を見つけるのが上手い。今日も何気なく目を上げると、ごった返す人混みの中から自然に見慣れたシルエットが目に飛び込んできた。
 俯き加減でポケットに手を突っ込んだまま、信号が変わって雑踏が動き出すのを待っているスラリとした長身は間違いなく珱だ。
 キャップを目深に被って顔に少し陰が出来ているからか、いつもよりは目立っていないみたいだ。思わず立ち止まったり振り返ってまじまじ見つめる人はほとんどいない。それは珱にとってちょっとは気が楽なはずだ。
 珱はまだこっちに気づいていないみたいで、俺は横断歩道の反対側から綺麗なシルエットをぼんやり眺めている。





 

「なぁ、明日シネマライズに映画観に行かへんか?」
 昨日の晩、珱が急にそんなことを言い出した。
「めっちゃ観たいのがあんねん。音楽とか良かったって飯田さんが教えてくれた。明日学校終わってから時間あるか?」
「俺は大丈夫だけど……、あの時間の渋谷にわざわざ出んの?」
「平気。なに心配してんの」
「や、別に。じゃあ、待ち合わせの時間決めろよ」
 俺がそう言うと珱は小さく頷いて、俺の隣にストンと座った。







 街中に出ると珱はとにかく目立つ。すらっとしていて頭ひとつ分人の波から飛び出ている上に肌色も日本人とは違うし、何よりあの顔だ。
 俺だってよくぼーっと珱の顔を眺めてて「ナニを見ている」ってしょっちゅう怒られるけど、他の人間だって同じ。綺麗なものはやっぱり思わず見てしまうものなのだ。
 珱は人混みが大の苦手だ。ふだんは仕事だから仕方なく渋谷に通ってるけど、賑やかな場所に行くと神経が参るからだ。
 さすがに声を掛けられることは滅多にないが、とにかく見られる。それこそ上から下まで舐めるようにだ。それから小さい声で「きゃーっ」とか何とか、珱の周りの空気が揺れてひゅっと人の姿が少なくなって、ポカっとエアポケットみたいな空間が出来る。
 横で見てる俺は他人事だから落ち着いてるけど、本人にとってはやっぱり堪えるみたいで、顔付きが急に険しくなったかと思うとそのまま目的を達成することなく家に逆戻り、なんてこともたまじゃない。
 それで帰ってから何となく落ち込んでたりすることもたまーに、ある。

 個性があるから人目を引く。誰かの感情を強く揺さぶる。
 それは珱のようにいずれ中央のステージを目指す人間にとって必要不可欠な要素だと言うことは本人も分かっていて、今は自分の中でそのことになんとか折り合いをつけようと苦労してるって感じだ。
 こればっかりはどうしてやることも出来ないから、いつか珱が自分でちゃんと決着をつけることを願いながら、黙って見守ることしか俺には出来ない。



 気がつくと珱は隣に立つ女の子二人組に声を掛けられているようだった。長身を屈めて腰を折って、女の子が両側から珱の進路を防ぐ格好で何やら熱心に話しかけるのを聞いてやっている。
 ここからは遠くて見えないけど、珱の表情は手に取るように分かる。
 ちょっと困ったように眉を顰めて、視線は絶対アサッテの方向を向いてる。そしてこっちが投げかける3言ぐらいの質問にようやく1言返ってくる、みたいなのんびりしたペースで会話が進む。
 本人は内心とてもじゃないがのんびりなんて余裕かましていられる心境じゃないけど、幸か不幸かそういうのがほとんど顔に出ない奴だから、初対面ではホントにただの無愛想だ。あの女の子達も気軽に声を掛けたはいいが、あまりの反応のなさにビックリしてるに違いない。
 ごめんな、ホントは優しい奴なんだけどさ。

 しばらくじっと話を聞いた後、珱はゆっくり頭を振った。女の子達の誘いをなんとか断ろうとしているんだろう。それでも埒があかないらしく、今度は首と一緒に胸の前で手を軽く振る。
 女の子も負けてはいない。何とかウンと言わせようとあの手この手で食い下がってるみたいだ。
 そりゃそうだろう。あれだけレベルの高い男は、どこの街を歩いてたってそうそういるもんじゃない。何とかゲットして一緒に歩きたいってのが人情ってものだ。
 やがて信号が青に変わる。と同時に人波がゆっくり動き出した。
 珱が顔を上げて道路の反対側に視線を向ける。体はもう半分歩き出してる。

 と、珱が手を伸ばしてこっちを指差したかと思うと、そのままの体勢でいきなり走り出した。
 女の子達は呆然と突っ立ったまま動かない。
 珱の姿がどんどん近づいてくる。
 一瞬見失って思わず目を凝らすと、―――――まだ眩しい夕方の日差しの中に、スラリとした影が現れた。

 もう顔がハッキリ見える位置まで来てる。
 陰になっていた表情が見えてくる。
 俺の姿を探すように視線が動く。目が合った途端、その顔にほんのちょっぴり笑顔が浮かぶ。この瞬間はたぶん誰も知らない。
 誰にもやらない。

 珱と並んで歩き出したときふと後ろを振り返ったら、女の子達はまだ名残惜しそうにじっとその場に突っ立ったままだった。 

 映画館に向かって歩きながら、からかい半分に珱の目を覗き込む。
「逆ナン?」
「見てたんなら、助けに来いよ」
 珱が少しムッとする。
「こっちは上映開始に間に合わんかったらどうしようって、めっちゃドキドキやったんやぞ」
「7時からだろ、余裕っしょ。それよりスキルアップの方が大事」
「何のスキル?」
「ナンパの断り方」
「……アホか」
 珱は呆れたように大きな瞳をくるりと回して苦笑した。
 
 
 少し並んでチケットを買って、早々に席に着く。場内はまだ明るく、座ってる観客はほとんどいなくてがらんとしていた。
 少し落ち着いてから、隣で大人しくウーロン茶を飲んでる珱に聞いてみた。
「何て言って断った? さっきの女の子達」
「……別に」
「言えよ」
 珱がようやく白状する。
「無視してもイヤ言うても聞かへんし、言うこと無くなって」
「それで?」
 諦めずにしつこく聞くと、珱はやっぱりそっぽを向いたままボソリと一言。
「……俺これからデートやからあかんて、言った…………」
 ボトッ。
 俺の手からドリンクのカップが落っこちた。
「そりゃまた大胆な……」
 振り返って見たとき、確かに道路を隔てた向こうから彼女たちは肩を並べて歩き出す俺たちのことをじっと見てた。
 ということは、お前が誰と待ち合わせてるか分かったんじゃないか? 俺の方からもお前の姿がハッキリ見えてたんだから。
 珱が横目でチラッと俺を見上げる。さすがにマズいと思ったのか、心持ち口を尖らせて言い訳口調でポツリと言う。
「それしか思い付かんかったんやから、しょうがないやろ」
 そんなカワイイ顔したってこのショックは消えないって。
 たしかに俺とデートなんだけどさ…………

 っていうか、ガラにもなく照れてるよ、俺。


 落としたカップは思ったより根性持ちで、ひしゃげず零れず蓋も飛ばず、そこら辺の床が大惨事にならなかったのが不幸中の幸い。

 そして俺と言えば―――――
 珱の口から「デート」なんていう慣れないカウンターを食らったおかげで、思考回路はこっぱみじん。映画の内容なんてこれっぽっちも頭に入って来なかったことは言うまでもない。



◎ ヲワリ ◎


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