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チカンバナシ 店に現れた珱は明らかに機嫌が悪かった。 普段から決して愛想のイイヤツではないけれど、いちおうは接客業、客にもスタッフにも奴にしては精一杯の努力を払って何とか仕事をこなしている。 『GREEN DAY』のスタッフもそんな珱の性格を解ってるから、少しくらい珱が無愛想でも『逆にそこがクールでいいんじゃない』なんて、気にする様子もない。 でも今日の珱は無愛想とかそういうもんじゃなかった。 「あれ、美帆さん、珱は?」 学校がハネて速攻店に着いた俺は珱の姿が見えないことに気がついた。 店に入るときは必ず5時には来て仕込みを手伝っているはずが、今はもう7時。 厨房には店長の美帆さんとキッチンスタッフのえりかしかいない。 「今日はまだ来てないわよ。いつもならとっくに来てくれてるんだけど」 「だよね」 連絡も無しか。こりゃなんかあったかな、と思った矢先に 「オハヨウゴザイマス……」 蚊よりもか細い声が俺の背後から聞こえてきた。 「すんません、遅れて」 厨房に現れた珱は何となくうつむき加減で元気がなかった。 顔を上げてやっと俺の姿に気がついたみたいで、一瞬妙な顔をして立ち止まった。 「よっ」 「斎」 ホッとしたような困ったような、何とも言えない情けない顔。 おいおい、他の奴がいる前でそんな顔見せたらまずいんじゃねェ? 「遅かったじゃん。何かあった?」 俺の言葉に珱はまた一瞬黙り込んで、それから「別に」とか何とかボソボソ言って俺の横を足早にすり抜けた。 その後の『GREEN DAY』は混乱を極めた。 珱はとにかくよく働く。 性格的に仕事に手を抜けない珱の店への貢献度は大したもので、キッチンのサポートからフロアの接客、ステージのセッティング、はては出演バンドの楽屋の世話まで何でもこなす。 仕事ぶりも実に正確で要領が良くて、美帆さんなんか『克彦のバンドなんか辞めてウチでずっと働いてよ』なんてコトを、冗談半分本気半分でしょっちゅう口にするくらいだ。 その珱が……今日は明らかに壊れていた。 仕込み途中のサラダの材料は床にぶちまける、カウンターでグラスを二つ取り落とす、挙げ句の果てに今さっき出来上がったピザをひとつダメにした。 まさに鬼の霍乱? なんて俺たちが呆れて眺めている横で、さすがの美帆さんが苦笑混じりに俺に言った。 「ねぇ、いっちゃん。悪いけど珱くん、もう上がって貰うから、家まで大事に送り届けてくれる? あの調子じゃ五体満足でお家に辿り着けるか、お姉さんすごーく心配だから」 そういうわけで俺達は中学の頃みたいに自転車に二ケツして、いつもより早く世田谷のアパートに向かった。 今日はたまたまお袋のチャリを借りてきたからよかったけど、俺のチャリだったら二ケツ出来ないから歩きだね……と、ここまで考えて気がついた。 「珱さ、お前バイクどうしたのよ?」 珱はもっぱら原付を足にしていて、バイトの時やバンドの練習の時は必ずバイクに乗ってくる。今日は歩きで来たってワケ? 「今日、ウチ出よ思たらタイヤいかれてて……」 「パンク?」 「バイク屋、放りこんできた」 「何だ、それで機嫌悪かったのかよ?」 ……また返事がない。 ま、いいか。いつものことだし。なんて流そうと思ったら……肩に置かれていた手がまるで背中を抱きしめるみたいに前に回された。 それは一瞬……ほんの一瞬だった。 俺達は紛れもなく人がたくさん歩いてる道を自転車で走ってて、だから人前で珱が俺に抱きつくなんてあるわけないはずで。 珱が俺の背中にギューってしがみついたなんて……俺の気のせいだよな、きっと。 出会った頃に比べればそれでもずいぶんマシになったけど、珱はやっぱり気持ちを表に出すのがひどく下手だと思う。 それは子供の頃から嫌な目にあったり両親と上手くいかなかったりっていう事情があって、自分の感情を押さえ込んで生きてきたからだ。 他人に感情を明かさないことで珱はある意味自分を守っていたとも言える。 悪意や同情が自分に向かってこないよう無口とか無愛想とかになろうと決めて、いつにまにかそれが普通になってしまって……他人に頼るということが無い、というより出来ない。 例えば何か気になることがあったとしても自分からそれを口に出そうとしない。黙って何もかも自分一人で解決しようとする。 俺はそれが気に入らなくて、それでよく珱とケンカする。もっとも珱が言い返してくることは滅多にないから、結局ケンカにならないんだけど。 たぶん今日のこの絶不調の原因も俺がしつこく聞かなきゃ言わないんだろう。 そう思ったから……訊いてみた。 「やっぱさ、お前ヘンよ? バイク壊れただけじゃねぇだろ?」 だって珱はといえば家に帰ってもやっぱりどこかおかしくて、店で貰って帰ったピザをオーブントースターに放り込んだまま忘れたり、風呂の湯を入れっぱなしで溢れさせたり、俺じゃなくてもわかるって。 台所で飯の後片付けをしていた珱がぴたっと動きを止めた。 ホラ見ろ! と叫びたいのをグッと我慢する。ここで怒っちゃ元も子もない。 「何かあったら言えっていつも言ってるだろ? 気になンだよ、お前がそんな風だと」 「別に、なんもない」 「……なんて言い訳が俺に通じると思うなよ? 怒るぞ」 珱が振り返って俺をじっと見つめる。 うう、迫力〜〜。 でも目を合わせてきたら大丈夫。珱が言葉を探してる証拠だ。 案の定、珱はうんと長い逡巡の後にようやく重い口を開いた。 「……今日、電車でチカンに遭うた」 「ハァ!?」 チカンって、若い女の胸触ったりケツ撫でたりする、あの痴漢? 「……ダレが、とか訊いたら怒る?」 「張り倒す」 「あ、ソウ」 珱はあからさまに嫌そうな顔をして俺の質問をばっさり切って捨てた。 ありゃま、そりゃご機嫌悪いはずだワ。よりによって痴漢とはねぇ。 俺は笑い出しそうになるのを必死で堪えながら珱を後ろから抱きしめた。ここで笑ったらスゴクやばい。 出来るだけ優しく感じるように少しずつ腕に力を込める。 珱がわずかに首を傾けて俺に体を預けてきた。ちょっと安心したのか、小さくため息をついた。 ヨシヨシ、力抜いて、俺に甘えなさい。 「バイクイカレたし、しゃあないから電車乗ってドアの前に立っててん。通勤時間帯でギュウギュウに混んでたし。そしたら……」 「したら?」 「後ろからケツ撫でられた…………」 笑うな、俺! 絶対笑うなよ、この場面で!! 「解ってやってたのか、そいつ? 混んでて誰のケツ触ってるか分かんなかったとか」 「アレ、絶対解っとった。だって前にも手ェ、来たもん……」 「マジで!?」 さすがに、ちょっとじゃなくアタマに来た。『俺の』珱のケツくらいなら笑ってやるが、前はイカン、前は! 「で、お前、どうしたのヨ。ソイツ、ちゃんと警察に突きだした?」 「……警察、行ってへん」 「なんでー!?」 俺の大声に珱の肩がビクッと強張った。それでも一生懸命話をしようとする。 「警察行っても俺がこいつにチカンされました、言うて信じてもらえるかワカランし……」 確かに珱の言う通りかも知れない。 いくら顔がびっくりするほど綺麗だからって珱はどこから見たって立派な男だ。普通に考えればまず誰も信じちゃくれないだろう。 俺だったら警察に行く代わりにホームに引きずり出して、足腰立たないくらいボコボコにするかも知れないけど……って、そもそも俺にチカンする奴なんていねぇか。 珱も短気にかけちゃ俺といい勝負なんだけどな、何て思いながら先を促した。 「じゃあ、そいつどうしたの。見逃しちゃったわけ?」 「ケツくらいやったらあと一駅やし睨んで降りたろ思て我慢してんけど……前まで触られて気色悪くてアッタマ来て……そいつの手掴んで正面向いて睨んだまま、膝で思いっ切りタマ蹴ったった」 うわッ、やるやる! 思わず声に笑いが滲む。 「それで、そいつどうだった?」 「何か、死にそうな顔してた……死んだかもしれん、加減せえへんかったもん」 俺はとうとう堪えきれずに爆笑した。 だからこいつは侮れない。見た目は美人だけど凶暴なんだから。 俺は目に涙を浮かべながら珱の背中をもう一度ギュッと抱きしめた。 「やったじゃん。いいよ、許してやれば? そんだけやられりゃそいつも懲りただろ」 「よかねぇよ」 一瞬黙ったあとに、拗ねたように呟いた。ン?と聞き返したらポツリと、 「……他の奴に触られんのなんか、死んでも嫌や」 びっくりして一瞬言葉が出なかった。 『他の奴』って俺以外ってコト? ……なんて間抜けな質問しなくて本当にヨカッタ。多分歯ァ向いて怒られたね。 とかそんなことより珱がコウイウこと言うの、滅多にないから単純に嬉しかったり。 珱の肩に手を置いて俺の方に振り向かせる。 珱は下を向いたまま、それでも素直にストン、と俺の肩にもたれ掛かってきた。 肩口に顔を埋めて 「ゴメン…………」 だめだ、完全にヘコんでる。 「なんで珱が謝る? お前全然悪くないじゃん」 「でも、なんか……メッチャ嫌ぁな気分……」 「何でよ?」 繰り返し、珱が答えるまで聞き返す。 落ち込んでるとこにつけ込むなんて俺ってもしかして性格悪い? でも……もう少し、もう少しだけ珱の素直な言葉が欲しい。 珱はうつむいたまま何も答えない。 でもしばらくして、そぉっと俺の腕に触れてきた。 「あのボケ、お前とおんなじトコ触りよった……」 そこまで訊いてやっと気がついた。 上手く出てこない言葉を必死で探しながら珱が言ってるのはこのことだって。 『俺はオマエのもの。だからオマエ以外には触れさせない』 痴漢に遭ったって事実よりも俺以外の奴に同じように体を触られたって方が、珱にとってはショックなんだってこと。 俺って何て間抜け、じゃなくて大馬鹿野郎だ!! 「馬鹿なこと気にすんなよ」 ……バカは俺だよ。ごめんな、珱。 珱が俺だけって覚悟を決めて全部許してくれてること、俺が一番知ってるってのに。 俺の腕に沿わせた腕ごと珱の背中に腕を回した。 実際に出来なくても、気持ちだけはすっぽり腕の中に包んでやりたくて。 「んなこと、何でもねぇから。同じじゃねぇよ、全然」 こんな言葉で伝わるだろうか。 他の奴が触るのと俺が触るのは全然意味が違う。心だって違う。そんなの当たり前すぎて比べようもない。 それは珱が一番よく解ってるだろ? 軽く抱きしめると珱は遠慮がちに俺に体を預けて何度も小さくうなずいた。 「バッカ……」 頭を撫でてやると「やめぇや……」と言いながら、満更でもなさそうな声。 胸がギュウって痛くなった。 いいじゃん。俺の特権、なんだろ? もうちょっと触らせといて。 スキとゴメンの気持ちを一緒に込めて、俺はうつむく珱の耳元で小さな声で言った。 「じゃ、今日はその気持ち悪いトコ、俺が全部気持ちよくしてやるからさ」 珱がパッと顔を上げてまじまじと俺の顔を見つめる。ド迫力のハイビジョン対応、距離約20センチ! そして、少しだけ口元を弛ませて 「アホか」 と言いながら、俺の首に腕を回してそっとキスしてきた。 じゃれるような遊びのキスがいつもよりちょっと長い気がしたのは、俺の気のせいじゃないよな? おっと忘れるところだった。 オイ、顔も知らないどこかの痴漢野郎! まあ、珱が一矢報いたし今回は見逃してやる。けど、今度やりやがったら生きて帰さねぇから……そう思えよ?
とゆうわけでオマケつき。 |