バイトから帰ると、斎がわざわざ玄関まで迎えに来た。確かに俺たちは馬鹿かと思うくらい仲が良いと思うけど、こんなことは滅多に無い。
 ちょっとびっくりしてナニ、と問い掛けると、
「明日さ」
「ん」
「お母さんが秀樹を預かってくんないかって、さっき電話があった」
「…は?」


 秀樹は俺が15になる直前に母と義父との間に生まれた、かなり年の離れた弟だ。この4月で3歳になった。
 秀樹が物心つく前から俺はほとんど家出状態で、そのまま斎のところで暮らし始めたから家族にように暮らしたことがなくて、会ってもお互いちょっと遠慮がちな感じで、俺に懐いてるっていう雰囲気はまだ無い。
 母や義父から俺のことそう呼ぶように言われているらしく、俺のことを『お兄ちゃん』って、怪しい発音で呼ぶのがなんだか不思議でかなりくすぐったい。
 明日はバイトも休みだし別にすることもないから良いようなものだけど……
 仕方なく実家に電話すると、母は申し訳なさそうに電話口で何度も何度も同じ話を繰り返した。
「正樹さんのお父様の具合が良うないから…秀樹を連れていったらあちらのお母さんも大変やし、ご迷惑になるやろ? 秀樹はヤンチャやから絶対大人しくしてへんし。珱ちゃんの他に頼める人がおらへんの。ほんまにゴメンね。せっかくお休みやのに…」
 そうまで言われて断れるほど俺は母に冷たく出来ない。これまでさんざん迷惑を掛けてきたんだから、それくらいして当然だと思う。
 でも。
「構へんか、ココに秀樹が来ても?」
「全然オッケー。俺、秀樹好き。可愛い」
「それって…」
「お前の弟だからな」
 やっぱり……。思わず膝がかっくり折れる。斎のこういうトコロ、嬉しいのは嬉しいけど、面と向かって言われるとウレシイより先に恥ずかしい。
「お前な、そういうこと言うの、やめぇ」
「ダメ?」
「ダメ」
 斎はちょっと拗ねたようにチェッと言いながら、俺を安心させるためにか、顔を近づけて耳元に軽くキスしてきた。





*




 弟は翌朝9時きっかりに、両親に連れられてウチにやってきた。
「秀樹、ほらお兄ちゃん」
「お兄ちゃん」
 腕を伸ばして抱き取ると素直に俺の首に腕を巻きつけて来て、正直言ってホッとした。ここで泣かれでもしたら、今日一日先が思いやられる。
「今日はなぁ、秀樹、夕方までお兄ちゃんと一緒にいてくれる?」
 母が言い聞かせるように話し掛けるのに秀樹は大きく目を見開いて、俺の隣に並ぶ斎の顔をじっと見つめている。
「秀樹?」
 軽く揺すると首をくるりと回して嬉しそうに笑った。
「いー兄ちゃん」
 びっくりした。斎のこと、ちゃんと覚えてるのか?
「よく覚えてたな。前に会ったの、まだ寒い頃だよな?」
 斎も笑いながら、身を屈めて秀樹の顔に自分の顔を近づける。
 と、秀樹が急に体を伸ばして身を乗り出した。
 くいっと顎を上げて、斎の鼻の頭にチュッとキス。周りの大人達はみんな呆然。秀樹はひとりご機嫌で、斎の顔を小さい手のひらでパシパシ叩いている。
「この子ったら、保育園でちょっとおマセさんになったんやろか…」
 母が困ったように呟いた。
 ……果たしてそういう問題なのか?
 なんだかよく分からないが、秀樹は義父や母と別れるときもぐずったり泣いたり全くしなかった。いたってご機嫌で、遠ざかる深い緑色のチェロキーの後ろ姿を俺の腕の中で大人しく見守って、それから一緒にマンションに入った。
 斎は先に部屋に帰って、早速母から受け取った秀樹のお気に入りのおもちゃを床に広げて待ち構えている。斎は年の離れた瀬田兄との二人兄弟だから、弟のいる俺がうらやましくて仕方ないのだと言う。
「秀樹、ほらっ、おもちゃ出しといてやったぞ!」
 もう、まるでお前のほうが子供みたいだぞ? 途端に腕の中の小さな暴れん坊が騒ぎ出す。
「秀樹のでんしゃ! でんしゃ!」
「ほら、でんしゃ、ここだぞ」
「コレいちばん早いんだよ! いちばん好きなのっ、あおいやつ!」
 屈んでそっと床に降ろすとまだ足も着かないうちに、斎とおもちゃに向かって走り出した。
 ああもう、いくら暖かいからって、二人とも床に転がるなっての! 朝から掃除機掛けといてヨカッタよ。
 なんだか斎と秀樹の方が兄弟みたいだ。額がくっつくぐらいに身を寄せ合って、二人で同じ物を見て笑って……それを後ろから見てる自分が、いつのまにか微笑んでいることに気がつく。
「お兄ちゃん!」
 秀樹が急に振り返って俺を呼んだ。
「どうした?」
「コレ、」
 見ると、俺や斎の半分ほどもない小さな手の中に、オレンジ色とコバルトブルーの電車の模型が握られていた。
 目を細めて秀樹の頭を撫でていた斎が顔を上げる。
「やるって、ソレ。秀樹の一番好きなヤツ」
「電車?」
「お兄ちゃんの」
 緊張してるのか、大真面目な顔つきで、短い腕を俺に向けて目一杯伸ばす。
「…くれるの? 秀樹の宝物なんと違うの」
 声が震えてなきゃ良いけど。斎にはバレバレだな。
「あげる。これな、ママがくれた。秀樹の」
「そっか、アリガト。すげぇ嬉しい…」
 膝をついて出来るだけ目線を低くして、ほんの少し俯いた顔を覗き込む。精一杯のプレゼントを両手で受け取ると、秀樹はようやく恥ずかしそうに顔を上げた。
「大事にするってさ、良かったな。お兄ちゃん、秀樹には優しいな。アリガトだって」
 からかうように斎が俺を見上げる。
 俺の足元で幼い弟は肩を竦めて、うふふ、と笑った。



 小さな子供は不思議だ。
 まだ自分では何にも出来ないはずなのに、ちゃんと好きなものがあって、好きな人も愛してくれる人も知ってて、自分だけの世界を持ってる。
 知りたいことがいっぱいあって、それを掴み取ることに夢中になる。
 ママが好きでパパが好きで斎が好きで……俺のことも、きっと。俺が今みたいに好きなものを好きと言えるようになったのは、つい最近のことなのに。
 忘れていただけなのかも知れない。そう思うと少し楽になる。
 思い出せばいいだけだ。昔、大好きなものを素直に大好きと言えた自分。たぶんそれはまだ、俺の中にきっといる。
 ふと目を上げると、斎の膝の上にちょこんと収まった秀樹が、斎と同じ顔で笑っているのが見えた。



*


「秀樹っ、ほら、こぼれる!」
「うわっ! こら、出すな。ニンジンも食べないと大きくなんないぞ!」
「きらーいっ」
「出すなっつーのっ」
 食事の時がまた一騒動で。
 母が秀樹のことをヤンチャと言った意味がよく解った。本当に一時たりともじっとしていない。3歳児ってのは皆こんなもんなのか?
「コイツ、すげーきかん気」
「誰に似たんやろ…」
「お前だろ?」
 斎がニヤリとするのを横目で睨んで、すぐに秀樹の方に向き直る。それこそ一瞬でも目を離したら、テーブルといい洋服といい、米粒だらけなってしまう。
 大人と同じ物で大丈夫という母の言葉を信じて、チャーハンを作った。
 一応食べやすいようにと、中に入れる具をいつもより小さ目に切ったつもりなのに、ニンジン嫌いの秀樹は信じられないくらい器用にニンジンをよけて食べる。仕方がないから皿に点々と散ったニンジンの欠片を拾い上げて無理矢理口の中にスプーンを突っ込むと、世にも哀れな顔をしてそのままテーブルの上に吐き出した。
「最っ悪……」
「壮絶だな。潔いって言うか……」
「誉めてる場合やないやろ……」
 為す術もなく顔を見合わせる俺たちを見て、満足そうに秀樹が笑う。その顔は悪魔みたいに可愛かった。



 さすがにはしゃぎ過ぎたのか、昼飯を済ませるとほとんど同時に秀樹はぐっすり眠ってしまった。それはもう事切れたように、パタンというか、コテンというか…。
 呆気に取られたように斎が振り返って俺を見つめる。
「……起きない?」
「さぁ…………?」
 そんなこと俺に聞かれても解るわけないよ。
 とりあえず、ぐったりと眠り込む秀樹を斎がベッドに運び込んだ。
「疲れた……」
 思わずため息が出てしまう。よろけるようにベッドから離れて床にへたり込んでしまった。
「お疲れさん」
 斎も並んで床に座ると、俺の頭を引き寄せて肩を貸してくれた。
 いつもなら照れくさくてちょっとした抵抗をするはずが、今はさすがにそんな気になれない。ホッとして身体ごと斎に預けて、……唇が重なったとき馬鹿みたいにドキドキした。
「ん……っ」
 自然に腕が伸び上がる。斎の首にしがみ付いて足の間に乗り上げる。角度を変えて何度も唇を重ねるうちに……あっという間に後に引けない雰囲気になって。
「ココじゃマズいよな…」
 斎の呟きに思わず振り返って秀樹を見てしまう。傍若無人の無邪気な天使は、本当に天使のような顔でしあわせそうな寝息を立てていた。
「ココじゃ、とかいう問題やない。…っていうより、落ち着かん………」
 もう一度顔を見合わせると、やっぱりその後はキスになってしまう。マズイよな、弟が眠ってる顔が目に入る場所でセックスするのは……、やっぱ兄としてどうかと……。
「あ」
 突然斎が変な声を上げた。びっくりして顔を覗き込むと、目の前に広がる満面の笑み。
「…風呂場っ」
 リビングとバスルームは離れてるから、廊下のドアを閉めて風呂のドアも閉めて、換気扇回してシャワーでお湯でも流せば音は聞こえないかも知れない。
 確かに名案だと思うけど……、そもそもそれを名案と思う俺たちって、やっぱりどうかしてると思うよ?

 湯船の縁に座らされて足を思いきり開かれる。俺のペニスはすでに限界まで反り上がって、斎の目の前に無防備にその姿を晒す。先端から溢れる粘液を舌で丁寧に舐め取られると、自分の口から信じられない嬌声が上がった。
 ちょっと広めの独身者用1LDKだから風呂とトイレはセパレートだけど、どちらもそんなに広くない。
 腕を伸ばしたら壁に楽に手が届く広さのバスルーム中に、とんでもない声が響き渡る。しかもごていねいにエコー付き。恥ずかしくて気が狂いそう。こんな場合じゃなかったら、出来れば風呂場なんかでセックスしたくない。
 斎はまるで平気なふうに、俺の欲望の塊を高めることに専念している。同じところを何度も責め立てられると、我慢できなくて勝手に腰が浮き上がった。
「んっ! あ、あっ…」
 自分だけ先にイカされるのは堪らなく恥ずかしい。必死で抵抗しても斎は絶対に許してくれなくて、いつも必ず俺の方が先に音を上げる。
 で、結局今日も俺の負け。
「アカン、いつきっ、…出るっ……」
 泣き声とも悲鳴ともつかない声が、絶頂感よりほんの少し早く狭い浴室に反響した。
 こんな声出して、秀樹が起きたらどうするんだと思うのに、体は斎に促されるまま腰を高く上げてアナルを奥まで石鹸で綺麗に洗い上げられるのをじっと待つ。
 やっと斎を受け入れる頃には、頭は半分靄がかかったようにぼんやりと霞んでいた。

「っ…ぅん、ん…、あ……」
 自分の声が唇から絶え間なく漏れ続けるのを、止める術はない。後孔に深く侵入する斎のペニスが大きく引かれると、無意識に腰を浮かせてそのあとを追いかける。まるでもっと深い快感をねだるみたいに体が勝手に動いてしまう。
 これ以上奥まで受け入れるなんて無理と思うのに、斎のソレは信じられないところまで届いて俺の弱い部分を正確に責め立てる。
 前はもう何度いかされたか覚えてない。それでも後ろを抉られるたびに放ったばかりの俺はまた硬さを取り戻して、新しい欲望の発露を斎に知らせる。
「大丈夫か?」
「…やっ、もうっ……」
 イキ過ぎでおかしくなりそう、なんて口が裂けても言えないと思うのに、優しく揺すられると安心して素直に言葉が零れ出した。
「斎……俺もう、死ぬ…………」
「ウソばっか」
 笑いながらさらに腰を押し付けてくる。小刻みに揺らすように内壁を擦られて、体の奥深くから押し出されるような声がまた洩れた。
 気持ち良さでドロドロに溶けた思考回路が自分の声に反応して、手放しかけている理性をわずかに取り戻す。
「秀樹はっ…、起きて、へんか?」
「ん?」
 動きを止めて耳を澄ます気配。ほっとするのと同時に物足りなく感じる自分がちょっと情けない。
「大丈夫、みたい。物音しねぇ」
「そう、よかっ、……あっ、あっ」
 油断したらいきなり突き上げられて、極まった声と快感が室内と体内に同時に迸った。
「んっ、は…あ、あ……っ、」
 ここまで来たら躊躇う気持ちはカケラもない。斎の動きに合わせて自分から腰を突き出して、体の中を掻き回される快感だけを追いかける。
「い…つきっ、……ああっ…………」
 三歳児って、昼寝が長くてホントに良かった…………
 数えることをとっくに諦めた何度目かの絶頂を迎える瞬間、そんな考えが頭の中に浮かんだような気がしたけど……ホントのところは憶えてない。





*




「珱…エイ?」
 しっかり抱き締められる感触に、遠ざかっていた意識がようやく戻って来た。
「ん………」
「立てるか?」
 聞かれて体を動かそうとして……腰が抜けたみたいに全然動かないことに気がついた。さすがに頭が真っ白になる。
「あかん、ような、気がする……」
「待ってろ」
 冷たいプラスティックの床に降ろされて、小さく笑う声が次第に遠くなっていく。
 あれ、また気が遠くなりかけてるのかなと思ったら、しばらくして腋の下に腕がゆっくり差し込まれる感触。続いてフワリと体が浮き上がる。
「暴れんなよ?」
 斎は「ヨッ」という掛け声と共に俺を横抱きにして抱え上げた。
 マジで俺をお姫さま抱きで運ぶつもり? あとで腰いわさなきゃ良いけど。
 驚いたことに斎は思ったより軽々と俺をリビングのソファまで運ぶと、いったん降ろして着替えをさせてから、すやすやと寝息を立てる秀樹の横に静かに降ろした。
「到着〜。快適な旅でしたか?」
「……マジ、びっくりした。大丈夫なん? 重ないの」
「軽いよ。いつも腰は鍛えてるじゃん、おかげさまで」
 だからさ、そういうこと言うの、やめようや。恥ずかしいし、ちょっとオヤジ入ってるし。
「それよりお前、迂闊に寝返り打つなよ。秀樹潰すから」
「ハイハイ……」
 ま、いいか。オヤジだろうとなんだろうと。
「斎」
「ん?」
 俺、おまえのこと、
「……スキ」
 クスっと小さく笑う声。なんとなく物足りなくて、もう一回。
「大…好き」
「知ってるよ」
 言いながら近づいてくる唇を待ち構えて唇で受け止める。その時俺は隣で眠る弟のことを、一瞬、完璧に忘れていた。


 晩飯にハンバーグを作って、また大騒ぎしながらなんとか食べさせて、食い終わると同時にまた遊んで……秀樹と斎と俺は本当の兄弟、…それ以上に、家族にみたいな時間を過ごした。
 秀樹は終日ご機嫌のまま、両親が迎えに来る頃には疲れ果てて斎の膝の上でぐったりと眠ってしまっていた。毛布にすっぽり包まれた小さな手で、しっかり斎の手を握り締めながら。
 丸一日小さな子供に付き合って絶対疲れてると思うのに、斎は全然嫌がる様子もなく空いたほうの手で大事にそうに秀樹を抱え直したりして、俺はそんな斎の優しさを心の中でちょっとだけ自慢する。斎が傍にいてくれることに本気で感謝する。
 斎の腕から秀樹を抱き取りながら義父が振り返った。
「よく眠ってるから、このまま起こさんと帰るな」
「そうしたって。起こしたらかわいそう」
 満足そうな笑みを浮かべてぐっすり眠る我が子の顔を覗き込みながら、母が言った。
「起きたら、泣くから」
「なんで?」
「お兄ちゃんとバイバイするの嫌がって、大泣きすると思うわ」
 俺の方が泣くかもしれない……。
 両親に分からないようにそっと斎の手を握った。

 自宅に戻る三人をマンションの玄関まで見送って、テールランプが見えなくなってからようやく口を開く。
「…今日、アリガトウな」
 途端に笑い声を上げて、俺をしっかり抱きしめてくる。
「ばっか。俺の方が楽しんでただろうが?」
「そやな」
 お前のそういうところが俺を切なくさせるんだよ。憎まれ口は精一杯の照れ隠し。本当は飛びついてキスしたいくらい感謝してる。
 何度言っても足りないくらい、お前のこと好きだよ。





*




 次の日の夕方、母から昨日の礼の電話が掛かってきた。
「朝から大変やったんよ。お兄ちゃんはどこ、言うて泣いて泣いて…」
「えらく斎のこと気に入ってたしな」
「違うよ、珱ちゃんのことよ。斎くんのことはいー兄ちゃんって呼ぶもん」
 また心が揺れて言葉に詰まる。黙ったままの俺に気がついたのか……母はそれはそうと、とすぐに話題を変えてくれた。
「保育園の先生におかしなコト聞いたん」
「なんて?」
「それが秀樹ったら向こうに着くなり、仲良しのお友達に片端からキスして回ったんやて」
「…は?」
「それもちゃーんと唇に。なんでそんなことするのって聞いたら、『大好きはこうするの』って、大真面目に言うんやって。どう思う? どこでそんなこと覚えてきたんやろ……」
 一瞬本当に目眩がして、最後の方は耳に入ってこなかった。


 斎にそのことを話すと、さすがに目を丸くして、「マジで?」とかなんとか言ったきり黙ってしまった。
 考えてることはたぶん俺と同じ。
「………ひょっとしてアイツ、起きてた?」
 真偽のほどは気が狂いそうなほど気になるけど、それを秀樹に確かめる勇気は……俺には一生ないだろうな。




end



斎16(高二)、珱18の春、「今年の計は二日から」と同年のある日のお話。

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