Sunday Park  <<< 020306



 友達の兄貴の追悼会に参加した帰り、近所の公園に寄り道した。外は生暖かい風が吹いている。もう季節は初夏といってもいいくらいだ。東京の空は相変わらず星が少ないけど、こうして珱と並んでぼんやり眺める夜空は悪くないと思う。

 そういえばここで足を止めるのは決まって夜だ。昼間はこの辺り一帯の子供やお母さんたちに占領されて近づける雰囲気じゃないこの場所を、俺はとても気に入っている。
 冬にはさすがに色を落として寒そうだった木々は季候が良くなるといきなり枝葉を伸ばし始めて、今ではうっかりすると視界を遮るほど鬱蒼と茂っている。と言っても何か出そうな暗ぁい雰囲気じゃなく、『ノルウェイの森』とでも呼びたいような趣だ。
 電灯が通電しているジジッという微かな音のほかに、周囲に物音は無い。隣で黙って並ぶ珱の、時折思い出したように身体を動かす気配以外は。

 夜になるとここは俺たちの場所になる。静かな住宅街だからか、12時を過ぎると外を歩く人はごくまばら、公園に立ち寄ろうなんて言う奴はほとんどいない。
 だからかどうかは知らないが、この公園に来るといつも気難しい珱の態度が何となく和らぐような気がするのは、俺の気のせいじゃないと思う。
 ふと、珱がこっちを見ている気配がした。振り向くと目が合った。真っ黒の大きな瞳をまっすぐ俺のほうに向けている。

 珱を好きになってから俺は自分でもびっくりするくらい変わったと思う。
 人の話を聞くのが苦にならないし、友達から相談を受ける回数もめっきり増えた。人に言わせると、他の奴より話しやすい雰囲気があるのだと言う。「お前にはなんとなく聞いてもらいたくなるんだよな」なんて台詞をいろんな奴から言われるようになった。
 それは偏に珱のお陰だ。
 こっちからしつこく聞かなきゃ絶対に口を割らない恋人の心を知りたくて、黙っていても俺だけは解ってやれるようになりたくて、珱のやることなすことを神経を研ぎ澄まして見つめているうちに、自然とそうなってしまったらしい。
 少なくとも2年前の俺はこんなじゃなかった。もっと短気で怒りっぽくて、相手の気持ちなんて考えたことすら無かったかも知れない。とにかく、とんでもなくガキだった。頭に来て悲しくなって、珱を渋谷に置き去りにしてさっさと家に帰ってしまったこともあったっけ。

 あのころは知らなかった。大人とか子供とかそんなことは関係なく、誰かを好きになったら人はとことん優しくなれるんだってこと。本気で誰かを好きになったことなんてなかったし、第一『好き』って気持ちがどんなものなのかすら知らなかった。
「なに?」
 珱は相変わらず黙ったままじっと俺のことを見ている。何か言いかけてる証拠。心に浮かんだ気持ちを言葉にするのにこんなに困る人間がいるなんて、珱に会うまで想像もしたことがなかったけど、今は少なくとも珱のことに関しては少しずつ解るようになってきた。
 珱は今なにか言いかけてるとか、すごく動揺してるとか。実はウレシイ。照れてる。気持ち良い。それから今は、……何だろう? やっぱ分かんねぇや。
「なんだよ?」
 見ても分からないときははっきり聞く。それも珱と付き合い始めて学んだことのひとつだ。
「や、……」
 何を躊躇ってるのか、珱は言い淀んだままなかなか口を開こうとしない。時折顔を顰めて小さく首を振る仕草を見せる。
「言えよ?」
「……ん、やから、」
「ん」
「俺は……恵まれてんねんな、……って、思て」
 ようやく言葉が見つかったのか、珱は声を途切らせながらも少しずつ話し始める。思っていることを、自分の言葉で。
「大事なもん、自分から手ェ放したくせに……、もう一回欲しいて思ったときにまだ、そこにちゃんといてくれた。俺が気づくまで時間の方が待ってくれた。朋和、兄貴のこと悲しないって言ったやろ? あれな、……もっと時間経ったら辛なるかも知れん。その時はたぶん今よりもっと悲しなるんちゃうかな、て思う…………」
「かもな」
「何でアイツがあんなふうに言うたんかよお分からへんけど、悲しいて思たときには、もう目の前にその人はおらん。そんなんて……、一番堪えるよな」
「まだ混乱してんじゃないか? 二人っきりの兄弟らしいし、他に家族もいないし。叔父さんが面倒見てくれてるっつってたけどやっぱな、実感沸かないのかも。気も張ってるだろうし。たぶん後から『来る』、だろうな」
「ン……」
「こういうときに俺らにしてやれることって、そうないと思う。アイツがさ、やばいなって思ったときすぐに飛んで行ってやれればそれでいいんじゃない? 思い出してくれると思うよ、俺らのこと。だから心配すんな」
「そう、やな…………」
 珱は数回瞬きしてから小さな声で返事をした。目はずっと逸らさないまま。まだ何か言いたいことがあるような顔をしてる。
 こうして見つめてくる瞳を見るたびに思う。
 一分でも一秒でも早く大人になりたい。一人分でいい、目の前にいる大事なものを守り切れるだけの力が欲しい。
 無理をして、背伸びをしてでも掴みたい。そういう強さとか、心の広さっていうものを。
 腕を伸ばして、珱の手を取った。引き寄せると珱は素直に体を傾けて、俺の肩に頭を乗せた。やっぱりここにいるときはいつもと違うよな、お前。なんか素直……ちょっとコワイくらい。
「他は?」
「ん?」
「まだ何か言いたいこと、あんだろ? そんな顔してる」
「ああ…………」
 クスリと、小さく笑い声を立てる。
「何でもない。下らんっちゅうか、ちょっと不謹慎……」
「なんだよ、気になるよ」
 さらに詰め寄ると珱は困ったように唇を歪めて俺を見た。
「お前がおらんようになったら、……どうしようか、思て」
 こんなに静かな夜なのに、珱の声はうんと遠く離れたところから聞こえてるみたいだ。
「どうすんの? 俺が急にいなくなっちゃったら」
 実感はないけど想像は出来る。……珱が突然俺の前からいなくなったら? それを想像したからこそ、珱が家に帰らなくても済むように、俺は泣きながらお袋に頭を下げたんだ。
 あんなに必死で誰かに何かを頼んだことなんてない。
 怖かった。手を離したら最後、珱と一生会えなくなるような気がした。あの時の胃が凍り付くような気持ちを、俺は今でも忘れられない。
 恐怖に似た気持ちが蘇って思わず手を握り直したら、透き通ってよく響く声がポツリ、真っ暗な空間に頼りなく散る。
「どうしていいか分からん。困る、っていうか、……困る」
「困るってお前さぁ……、他に言い方ないの? 寂しいとか、ほら、悲しくて涙が止まらない、とかさ」
 言いながら可笑しくなってきた。そんな言葉じゃ到底言い表せないこと、俺も珱も分かってる。
「…………困る」
 まだ言ってるよ。ったく、素直じゃないんだから!
 ちょっと呆れて憮然としていると、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、珱は体を大きく伸ばして首に腕を回してきた。まるで子供が母親にしがみつくみたいな格好で。
 だいたいこんな味も素っ気もない言葉が嬉しい俺も俺。本当にイカレてると我ながら思う。
 でもしょうがない。こんな奴を好きになっちゃったんだから。
「心配しなくても、いなくなったりしねぇよ。お前が困ると俺も困るしな」
「なんで?」
「お前、すっげぇ機嫌悪くなるもん。絶対」
 そういうと、珱は電気が走ったみたいにビクッと体を起こして俺を見た。思いっきり嫌そうに顔を顰めて、
「アホ斎…………」
 それだけ言って満足したのかゆっくり目を閉じて、やっぱり言葉と裏腹な、心のこもったキスをくれた。


end


 ヒントは、いつもメールをくださる方がチラッと書いてくださった、「追悼会の帰りの話を期待してしまう」という何気ない一言でした。



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