大荒れのクリスマスイブから5日が経った。何が荒れたってそりゃ、俺の、とっても美人のコイビトが。
 今年のクリスマスイブに、俺は珱に指輪を贈った。シルバーのちょっと目立つデザインの、珱の細くて長い指にメチャクチャ似合うかなりかっこいい一品だ。
 兄貴の店を手伝ったときに美帆さんが内緒でくれるバイト代と家から貰う小遣いと、そのほかしがない中学生の俺が手に入れられる全財産のかなりの部分をつぎ込んで選びに選んだんだから、似合ってもらわなくちゃちょっと切ない。
 まぁ似合わない心配はしてなかったけど、正直言って珱があんなに怒るとは……思ってなかったよ、ホントのところ。
 モノを渡したまでは良かった。調子よくコトは進んでた。俺がびっくりしてちょっと固まっちゃうくらい珱は素直で、俺に指輪を嵌めさせてくれたりなんかして、コレはもうラブラブ全開、いただきます!って手を合わせようかと思ったくらいに。
 そのあとが………………まずかったんだよな。
 そもそも俺が珱に指輪なんてあげようと思ったのには理由があって、それはおれがふと『GREEN DAY』の女の子たちのいる前で漏らした言葉がきっかけだった。
 そのとき俺は別の用事があって先に店に入ってて、珱が来るのを首を長くして待ってた。ふつう俺は店で働かないからヒマで、そこらにいたスタッフと喋りながら適当に仕事を手伝ったりして。
 で、クリスマス前ってこともあって誰からともなく指輪の話が出て、つい「珱の指ってシルバーの指輪が似合う」とかなんとか、そんなようなことを言ったわけ。別に深い考えもなく、思ったことをそのまんま。
 そのあとの女の子たちは怖かった。
 それはもう餌を見つけたライオンの如く……いやハッキリ言おう、ハイエナのように俺に群がって騒ぐ騒ぐ、勝手に盛り上がって俺をけしかけて、あっという間にクリスマスプレゼントは指輪だ……ってことになったんだよな。
 確かに俺だって初めてのクリスマスだし珱も俺のこと好きって言ってくれてるわけだし、なにかプレゼントしたいな、ぐらいは思ってたんだけど、指輪なんて買ったことないしサイズも分からないし無理だって言ったら、「おねーさんたちに任せなさい!」という力強い一言が360度方向から返ってきた。セブンス入ってる?ってくらいのかっこいいハーモニーで。
 頼った俺がバカだったよ。「窪塚くんのこと、好きでしょ?」って訊かれてうなずきもしたよ……だってホントのことだし。
 でもさ、よりによって左手の薬指にしか入らないサイズを教えてくれることないと思う。そのお陰ですべてのことが珱にバレて、とんでもないことになったんだから。
 あれから俺がどれだけ辛い目にあったか…………聞いたらきっと泣いちゃうと思うよ?



(1)



「オマエな、ホンマに美帆さんとかに俺らのこと言った?」
 照明を全部落として真っ暗になった部屋の中でもなぜか光って見える不思議な目で、珱が俺の顔をじっと見た。
 ……もしかして、珱ってば怒ってる? 
 ドキドキのプレゼント贈呈式も終わって、そのままするコトもしっかりして、今さら?って思ったけど嘘ついても仕方ないし、俺は正直に答えることにした。
「俺がオマエのこと好きなのは、言った」
「おまえがって、それどういう意味」
「そのまんま、字の通り。おまえのこと好きかって聞かれたから、ウンって」
 珱の表情がポカンとしたものに変わる。滅多に見られない、かなり無防備な顔つきだ。
「あっきれた…………」
 本当に呆れたように言う。
 この部屋は俺の勉強部屋だからベッドはもちろんひとつしかない。幸い俺の体格がでかいからセミダブルを買ってもらったけど、珱も俺と同じくらい背が高いから、壁際じゃないどっちかが転げ落ちないのが不思議なくらい、狭い。だからふたりで並んで寝ると仰向けには絶対になれなくて、いつも向かい合ったまま寝て起きる。
 もちろん顔なんかほとんどくっつくぐらい近くにあって、こういう場面ではとても困る。怒ってる珱を間近で見るとちょっと迫力、というよりかなりコワイ。
「自分のことだけ、言ったんか」
「そりゃ、お前のこと俺が勝手に喋るわけにいかないだろ?」
 そんなことしたら一生口きいてくれないじゃん、と言わなかった俺は凄いと思う。だんだん大人になってきたのかも?
 そのとき、しっかり俺に突き刺さってる視線が、ふっと揺れたような気がした。
「なに?」
 思わず聞き返す。珱が何か言おうとしたように思ったから。 
 返事がない。なんだ、気のせいか? 今何か感じたんだけどな。
「おい、え…………」
「明日、えりかの見舞いに行くから」
 俺の言葉を遮るようにそれだけ言うと、珱は感心するほど器用に体を反転させて俺に背中を向けた。
「あの〜…………珱、くん?」
 恐る恐る声を掛ける。ハイ、返事なし。いや、覚悟はしてたけど。
 こうなったら珱は梃子でも動かない。俺は嫌というほどそれを知ってる。頑固で偏屈でキレイなんだから、もう。
 あきらめて大人しく寝ようとして、情け容赦ない最後の杭が油断していた俺の心にがつんと打ち込まれた。
「しばらくお前とは口、きかん」
 って珱さん、それはないんじゃないかと……思うけど言っても仕方がないことを知ってる俺は、おあずけ食った犬の気持ちってこんな感じかな、なんて大バカなことを空しく考えるより他なかった。


 昨夜の宣言通り、珱は朝起きてから一言も口をきいちゃくれなかった。本当に珱というヤツは意志が固い。
 朝飯を食う間、トーストに塗るバターをこっちへ回してくれるのも無言。歯を磨き終わってバスルームが空いたことを知らせるのも無言。メチャクチャ大きな音でドアを蹴り開けて、……これ見よがしに開け放して出てきやがった。
 極めつけに出掛けるとき、これから出ると言う代わりに黙って俺に向かって部屋の鍵を放って寄越した。ったく、可愛くないんだから! 俺も鍵くらい持ってるっつーの!
 ご機嫌ななめの気難しいコイビトの指には、言わずもがな、俺のあげた指輪の影すら見えなかった。
 …………はぁ、前途多難だわ、こりゃ。



 えりかが運び込まれた病院は区役所にほど近い場所にある救急病院だった。どちらかというとこぢんまりした規模で、まだ新しいからか病室は4人部屋だけどそれぞれに割り当てられたスペースは結構広い。
 でっかい男二人が見舞いに行っても身の置き所がないって感じじゃなくて、少しホッとした。珱の機嫌がそうでなくても悪いっていうのに狭い部屋の中に閉じこめられたんじゃ、いくら俺でも気力が萎える。
 えりかは思ってたより全然元気で、昨日一晩ICUで過ごして今朝こっちに移ったとか言ったくせに、同室のおばさん達ともうしっかり友達になっていた。ひとりのおばさんのことなんか、まこちゃん、とか呼んで。転んでもタダで起きないっていうか、たくましいっていうか……
「具合どうや?」
 それでも珱は見るからに心配そうな顔で優しく話しかけてる。いつも無愛想な珱にこんな顔して見つめられたら、俺やえりかじゃなくてもイチコロだよな。
 えりかは至極ご機嫌だ。それはもう、顔なんか捻って確かめたくなるくらいグニャグニャで。あろうことか『俺の』珱の手を取って満足そうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「全っ然、ヘーキ! 動いたらチョット痛いけどひどいことにならなかったし、ギリギリセーフでお正月、家に帰れるかもって先生が言ってた」
「そっか…………」
「だから窪塚くんも気にしないのよ? 我慢したのはあたしが悪いんだから。目の前で倒れちゃったりして、びっくりさせてごめんね。ほらあたし、窪塚くんに介抱されたいな〜なんて、チラッと考えちゃったからなぁ。他のヤツなら我慢してた、絶対」
 えりかの言葉に珱の表情が少しだけ緩む。
 俺も横から話に割って入る。
「ちゃんとお前が運んだの?」
「うそ。マジで?」
「だって目の前にえりか、転がったんだろ?」
「転がったって、斎くん、石ころじゃないんだから」
 そう言いながらもえりかの目は珱に釘付けだ。仕方ないよな、熱烈なファンなんだから。
 うんと長い沈黙の後、珱が困ったように呟く。
「や……瀬田兄、が…………」
「ガ―――――ン」
 さもありなん。千載一遇のチャンスを逃したね、カワイソウに。
 動けないのに心はジタバタしてるのがありありと伝わる叫びをあげながら、えりかが珱の手をまたギュッと握りしめた。
「…………あれ?」  
 素っ頓狂な声。もちろん、えりかの。
 えりかはスローモーションで珱の顔をまじまじと見上げた。それからおもむろに俺を呼ぶ。
「斎、くん」
「ん?」
 視線は珱に据えたまま。だから、俺に話しかけてるときぐらい俺を見れば?
「お花、生けてきて」
「はい?」
 聞いた瞬間、オウム返しで聞き返す。ホントに意味が分からなかったからだ。
 えりかのベッド周りの、どこを見渡しても花なんか見当たらない。
「なに? なんなの?」
「お花生けてきてって言ってる」
「花なんかどこにもないよ」
「お花も持ってきてくれてないの!?」
 一段と声を張り上げてから、えりかは思い直したように息を吸い込んだ。
「いい。じゃ、ジュース買ってきて。一階の売店にある、リンゴとみかんとセロリのミックスになった赤いパックのヤツ。今すぐ、急いで!」
「おい〜」
「はーやーくっ!!」
「わかった、わかったって。怒鳴るなよ。腹、開くよ?」
「余計なお世話っ」
 ったく、なんでいきなりわがまま娘になるかな? ワケ分かんねぇ。
 病人に文句を言っても始まらない。俺は大人しく立ち上がって言われたとおり買い出しに行くために病室を後にした。
 何となく気になってドアを出る寸前に振り向いたら、えりかは俺の方を見向きもしないで珱の顔をじーっと見つめたまま、間髪入れずにまた怒鳴った。
「絶対見つけてね! あたし、それしか飲まないからねっ。急がないでいいからねっ」
 さっきは急げって言ったじゃん。どうでもいいけどアイツ、横にも目ェ付いてんのかよ?
 ハイハイ、と口の中で呟いて首を前方に向ける瞬間、珱が何か言いたげな表情で顔を上げるのがチラッと見えた。

 


(2)



 エレベーターを使って一階に降りた。まだ午前中だから、病院はたくさんの人でざわついている。
 辺りを見回して院内の案内図を探す。目的のものはエレベーターホールのすぐ右手、ちょうどエレベーターの箱の側面にぺたりと貼りつけてあった。目で現在地を確認する。
 お、ココね。オッケー、売店は、売店はと…………
 ない。
 おい、えりか。売店ないぞ、この病院?
 混乱した頭でもう一度確かめる。何度探しても一階のフロアのどこにも、売店の表示は見当たらなかった。
 ちょっと待って、どういうこと? 売店のない病院ってあるのか??
 訳が分からなくなってしばし呆然とする。どうしようか、外に出てコンビニでも探した方が早いかな、と迷っていると、後ろからポンと肩を叩かれた。正確には肩胛骨の辺りか。
 振り返るとさっきえりかの病室で挨拶したオバちゃんが立っていた。
「売店ね、二階なの」
「二階?」
「えりかちゃんがね、間違えちまったのよ。ここんち、二階にあるの、売店」
 ひょっとして江戸川区生まれ?と聞き返したくなるアクセントでしかも早口。えりかがまこちゃんと呼んだそのおばちゃんは人懐っこい笑顔でニカッと笑った。
「おいで、連れてったげる」
 そう言うとオバちゃんは返事も聞かずに俺の手を引いて意気揚々と……少なくとも俺にはそう見えた……エレベーターに乗り込んだ。


 売店までは遠かった。そんなに広い病院じゃないから実際はほんの数分のことだったんだろうけど、もう1時間ぐらい連れ回されてる気がする。
 パジャマ姿のオバちゃんと手を繋いで歩くのは、いくら度胸のある俺でもかなり恥ずかしい。周りがみんな俺達のこと見てる気がする。
「あの〜……」
 様子を窺いながら話しかけるとオバちゃんは勢いよく振り向いて、また歯をむいて笑った。
「ついたよ」
「あ、ココ……」
「そう、ここ」
 自慢げに胸を張る。面白いオバちゃんだなぁ、この人。
「えりかの好きなジュースってどれ?」
「ちょっと待って、」
 あまり大きくない身長のちょうど半分くらいの高さまで頭を下げて、クーラーボックスの中を覗き込む。
 真剣な顔つきで、「ええとねぇ……」なんて呟く姿は、なんていうか、オバちゃんなんだけどメチャクチャ可愛かった。
 ひとしきり迷って、オバちゃんはそんなに多くない種類の中から、紙パックを一つ取り出した。
「コレよ、コレ」
「ちょっと、それ赤くないよ? いいの?」
「へ?」
 オバちゃんの手に握られているのは白っぽいバックに野菜の絵が所狭しと並んでいるパッケージで、とりあえず赤くない。えりかは「赤いヤツっ」と叫んでたはずだ。
 そうは言っても商品棚に赤い紙パックに入った野菜とフルーツのミックスジュースと言えるものはなかった。
「アイツ、また勘違い……?」
「ええと、ねぇ……」
 オバちゃんの視線が妙なところを彷徨った。
 おい…………、なんかヘンじゃねぇ? この展開。
「ね、まこちゃん」
「やだね、こんな若い子にまこちゃんなんて呼ばれたら照れちゃうよ」
 いい、照れなくて。そんなヒマないから。
「俺、なーんかこう、すげぇ気になるんだけど」
「なにがだい?」
 まこちゃんも果敢に応戦の構え。あくまでシラを切り通すつもりらしい。そうはさせるかよ。
「だってヘンじゃん、どう考えても。俺が病室を出て一階まで行ってすぐ、まこちゃんも降りてきたでしょ? エレベーターの速度とか考えたら、俺のすぐあとをつけてきたとしか思えないんだよな」
 まこちゃんはぐっと押し黙った。そんな分かり易い反応してどうするっ。
 要するにオバちゃんは俺を引き留めるべくえりかに送り込まれた刺客で(俺もだんだん調子に乗ってきたな)、なるべく俺を連れ回せとかなんとか言われて来たって訳だ。ったく、えりかのやつ何考えてんだよ? 俺を追い払って珱になにするつもりなんだか。
 俺は思いきり大袈裟に顔を顰めて、オバちゃんの背丈に合わせてグッと顔を近づけた。
「えりかがまた何か企んでるんだろ? アイツ、時々とんでもないことを思いつくから、困るんだよ」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ、どんななの?」
 俺は追及の手を緩めずにオバちゃんに詰め寄った。事情を知らない他人が見たら、パジャマ姿の入院患者が不良に脅されてるように見えそうだ。俺、そんなに人相悪くないと思うけど。
 まこちゃんは意外と頑なだった。義理人情に厚いタイプなんだろう。若いオトコノコに至近距離まで近づかれても動揺してる気配はない。低い位置から俺を見返して、「なんにもしゃべんないからねっ」光線を一生懸命投げかけている。……いやはや。
 俺は大袈裟に溜息を一つ吐くと、くるりときびすを返して元来た道を帰り始めた。
「っ、ちょっと、どこ行くの? 僕」
 『ボク』? ……怒っちゃダメ。怒んなよ、僕? オバちゃんが慌てて言い直す。
「いや、お兄ちゃん。帰っちゃダメよ」
「無茶言わないで。珱を一人でえりかんとこに残した俺がバカだった。まこちゃんもえりかの悪戯にいちいち付き合わないでよ。……帰るよ?」
 オバちゃんに悪気はないのは見れば分かる。
 なんだか馬鹿馬鹿しくなって、俺は立ち止まったままのオバちゃんに向かって手を差し出した。手、繋いで帰ったげるから。
 さしものオバちゃんも俺のこの行動には度肝を抜かれたらしい。呆気にとられた表情でしばらく俺の顔をじーっと見つめて―――――それからなんと驚いたことに、どこかのスマイルマークとそっくりの顔で―――――笑った。
「アンタが斎くん」
「はぁ?」
「で、あの子が珱くん」
「なんの話? っていうか……」
「斎くんはやさしいって言ってたもんねぇ」
 ダメだ、全然話についていけねぇ。
「あのさ、」
「珱くんのことすごく大事にしてるって、自分のことみたいに自慢してさ」
 …………はい? 今、なんか妙なこと聞いた気が…………
「えりかちゃんの言った通りだ」 
「えりかが、どうしてまこちゃんに、俺らのこと話すの…………」
 質問じゃない。これはもう俺の心の呟きだ。そもそも俺達はついさっきこの病院に着いたばかりで、名前なんか名乗った覚えはない。「こんちわ」って頭下げてそのまま通った。
 と言うことは、えりかがそれより先に俺達のことを同室のオバちゃん達に話してたってことで……
 さすがに固まって言葉の出ない俺を見て、オバちゃんは形勢逆転の機を見たらしい。
「悪いようにはしないから、ちょびっとだけあたしに付き合いなさい」
 そう言ってオバちゃんはぼんやり宙に浮いたままの俺の手を取って、談話室へと導いた。
 悪いようにはしないって……おばちゃんソレって、よく悪役の台詞で使われてるヤツじゃないか?

 お袋より年上の女の人と、しかも一日二回も手を繋ぐなんて、たぶんこれから一生無いんじゃないかなんて間抜けなことを考えながら、とりあえず大人しく連れて行かれた。
 何だか抵抗するだけ無駄な気がしたからだ。まぁ、今日くらいえりかの気の済むようにしてやってもいいか、とも思う。まさかあんなひょろ長い堅物くんを取って食ったりはしないだろうし。
 ソフトドリンクの自販機が並ぶ部屋に入って、適当な椅子に腰掛けた。トコトン付き合うつもりでジャケットも脱ぐ。なにを企んでんのかは知らないが、こうなったら最後まで付き合いましょ?
「斎くん。なんか飲む? 好きなのお選びよ」
 どこに仕舞ってあったのか、オバちゃんは手品のように鮮やかな手並みで、どこからともなく小銭入れを取り出した。
「じゃあ、お茶。上の段の右から3番目」
 整然と並んだサンプルを座ったまま指差す。オバちゃんは小銭をチャリチャリと挿入口に入れながら、
「若いのにおじいさんみたいだね」
 放っといて! 珱に付き合って緑茶ばっか飲まされてるうちに、そうなっちゃったんだよっ。
「ハイ、熱いから気をつけなよ」
 オバちゃんは俺に緑茶の缶を手渡しながら、自分用にホットココアの入った紙コップを手に持って俺の隣に並んで座った。軽く礼を言って、缶に口を付ける。
 
「えりかちゃんて今朝病室に来たばっかなんだけどさ、いい子だからあたしらとすーぐ仲良くなっちゃって、……それで、聞いたの」
「……俺らのコト?」
「入院した理由を聞いてたら、いつのまにかそうなっちゃったんだけどさ」
 オバちゃんはズズっと大きな音を立てて、熱いココアを一気に吸い込んだ。
「気になるんだって、あんたたちのこと。ぶきっちょでまどろっこしくて、ついお節介焼いちゃうって」
 ……えりかがお節介なのはつい、じゃないと思うけど。
「だからね、えりかちゃんのこと、信じてやっておくれよ。ね? 絶対なんか理由があんのよ、きっと」
 えりかがお節介を焼く理由。
 それは一つしかない。
 あんな性格だから一見本気か冗談か見分けのつかないところがあるけど、店のやつらはえりかが本気なんだってことくらい、みんな知ってる。
 気づいてないのは珱本人くらいで。
「……アイツ、珱のこと好きなんだよ」
「そう言ってた」
 本気でため息を吐きそうになる。
「なんていうかさぁ……」
「ん?」 
「えりかもまこちゃんも、どうしてそんなに面倒見がいいのかなぁ…………」
 ひょいっと俺を見上げてくるオバちゃんと目が合いそうになって、慌てて視線を前方に戻した。
 涙が出そうだったから。 
 俺達が必死でお互いのことだけを見てる間、周りの連中はきっと、ハラハラしながら俺達のこと見守ってたんだと思う。よろよろしながら危なっかしいバランスで少しずつ近づいていく俺達の距離を、一生懸命見て見ないフリして。
 そしてえりかは、どんな気持ちで珱のことを見ていたんだろう。
 えりかだけじゃない。『GREEN DAY』のスタッフも兄貴も『JUDE』のメンバーも、みんな珱のことを心配してる。珱の微妙な変化を敏感に感じ取って、手を差し伸べようとしてくれる。たぶん俺や珱が思ってるよりずっと。
 例えば美帆さんのシフトの組み方。例えば高崎さんのちょっとした言葉。店のみんなの態度。少しずつ変化したのは、珱だけじゃなかった。
 周りが見えてなかったのは俺も同じ。えりかと付き合いの浅いオバちゃんですら分かることが、珱のことに必死になる余り目に入ってなかった。

 早く気づけよ、珱……お前も。そしたら楽になる。きっと、楽になれるから。

「大丈夫だよな」
「ん? なにが?」
「珱はさ、えりかの気持ち、絶対分かるよな?」
「何言ってんの。大丈夫に決まってんじゃない。だってあんたの彼氏なんでしょ?」
「かっ…………」
 危うくお茶を吹き出すところだった。
 えりかのヤツ〜、そこまで言ったのかよ! 友達とか非常に仲良しとか、なんか言い方あるだろうが?
 オバちゃんは相変わらず全開の笑顔。
「照れない、照れない。長い人生、そういうこともあるわよ」
「何それ?」
 大袈裟に顔をしかめてスマイルマークを睨み付ける。
「ったく、みんな寄ってたかって、どうしてこう泣かせるかなぁ…………?」
 ため息を吐いてオバちゃんを見ると、
「そりゃあさ、みんなあんた達のこと、大好きだからでしょ?」
 説得力のある力強い一言と一緒に、満面の笑みがダイレクトに飛んできた。




(3)


 病室の戻るとえりかはもう珱の手を離していて、珱は同室のお姉さん方の真ん中で大きな上背を限界まで縮めて椅子に座っていた。
 ちょっと待て。確かココは4人部屋のはずなのに、ざっと数えても7人はいるぞ? この部屋。あとの4人はどこから増えたんだよ? えりかはベッドにいるから5人か、オイオイ。
「ただいま〜」
 まこちゃんが大きな声で怒鳴りながら病室のドアを蹴り開ける。俺とまこちゃんはしっかり手を繋いだままだ。珱がパッと顔を上げて……何とも言えない表情で俺のことをじっと見た。えりかがおばちゃんに負けないくらい大声で俺を呼ぶ。
「斎くん、遅〜いっ」
「悪ィ。売店がどこか分かんなくってさ、すっげぇ迷ったの」
 言いながら買ってきたジュースをえりかの目の前に差し出す。えりかはちょっとおかしな顔で俺のことを見上げてから、黙ってジュースを受け取った。
「……アリガト。斎くん、やっぱいい男だね」
 いえいえどうして、オネエサンだって。
「俺ら、もうそろそろ帰るわ。あんまり長居するとマズいだろ?」
「そうね。お腹がまた開いちゃうと困るし」
「マジで言うな」
 振り返って珱を呼ぶ。
「帰るぞー」
 珱はやっぱり黙って小さく頷いた。



 俺達はおねおばさん方に盛大に惜しまれつつ、病室を後にした。最後は拍手してるヒトまでいたりして。珱はずっと黙ったままペコリと頭を下げて病室を出て、エレベーターを待つ間も俺の隣で一言も喋らなかった。
 肩越しに盗み見た珱の顔は、何を考えてるのか俺には分からない。えりかに何を言われたのかすごく気になるけど…………
 それが。
 エレベーターのドアが閉まるのと同時に……珱はそっと手を伸ばして……俺の右手を軽く握った。


 びっくりして思わず自分の手を見下ろした。
 だってそこには、触れてすぐに離れていった手のひらのあたたかさと…………
 確かに指輪の感触があったから。


「あのぉ……?」
 言いかけたらエレベーターが一階に着いた。鉄のドアがさっと開いて、きっと午前中の受付が終わったからだろう、めっきり人の少なくなった受付が目の前に拡がる。
 ボケッと突っ立ったままの俺を振り返って、珱が微かに唇の端を上げた。
「帰んねやろ?」
「うん…………」
 
 家まではバスで帰れる距離だから、バス停まで並んでゆっくり歩いた。
 えりかの顔やまこちゃんの顔や、兄貴の、メンバーの、店のみんなの顔が頭の中をくるくる回る。そして隣を歩く珱の、時折見せる優しい笑顔が。
 俯いたままの横顔が急に動いた。目を向けると俺のことを見つめて、何か言いたげな表情を見せる。首を傾けて続きを促すと、やがて珱は一つ一つの言葉を噛み締めるようにぽつりと呟いた。
「えりかにな…………」
「うん?」
 車の音に紛れてしまそうに小さな声。聞き逃さないように耳を澄ます。
「言った、から」
 何を? って聞くのは間抜けな気がしたから、黙ってその先を待つ。珱はまたしばらく黙り込んで、ようやく次の言葉を探し出した。
「指輪、なんでしてへんのって怒られて」
「うん」


「……俺も、好き、やって……言った」
 話は…………見えるけど、俺の心臓はすごい速度で走り出す。
「……マジで?」
「ホンマのことやしな。……お前だけが好きなんと違うから」


 今ここで抱き締めてキスしたらぶん殴られるかな、なんて考える自分が可笑しくなる。
 マジでそうしたい気分。
 嬉しいなんて言葉じゃ、この気持ちは言い表せない。


 珱が足を止めて俺をゆっくり振り返った。俺も合わせて立ち止まる。珱は銀色に光る指輪が嵌められた左手を、自分にも俺にも見えるように目の高さまで持ち上げた。
 じっと見つめてくる真っ黒な瞳が瞬きして、
「…………コレ、すげぇ嬉しい。大事に、する……、……」
 最後まで言い終わらないうちに、声がだんだん小さくなってフェードアウト。それからふいっと前を向いて、またバス停に向かって歩き出す。
 と思ったら、またピタッと足を止めて今度は勢いよく振り返った。
「それからっ」
「はいっ」
「今度、他のヤツと手ェなんか繋いだらっ……」
 ……そう来るか? いやアレは事故っていうか、成り行きっていうか、ちょっとした感謝の気持ちで…………
 焦りのあまり言葉の出ない俺に痺れを切らしたのか、珱は顎をぐっと上げて
「繋ぎやがったら……もう、知らん…………」
 唇をきゅっと結んで俺を睨みつけると、きびすを返して走り出した。
 俺も慌てて後を追う。
「ごめん、マジごめん! ほんっとゴメンって!」
 ちくしょうっ、全然振り向きもしない。

 珱が素直になるのは嬉しいけど、こういう展開ってないんじゃないか?
 神様の意地悪!!


 そしてイブから5日が経った。正月はもう目の前だ。
 『GREEN DAY』の営業は今日まで。片づけやら年始の用意やらがあるらしく、珱は昼前に家を出た。昨夜は俺のマンションに泊まったから、今日はここから出勤。珱がバイトに行く時、俺は必ず律儀に玄関まで見送りに行く。
 珱はそんな俺を見て困った顔をするけど、嫌じゃないみたいだ。
「忘年会は?」
「明日やて。今日は最終まで忙しいしな。お前も来いて言われるぞ?」
 笑って、俺の顔を少し斜めから見上げてくる。
「じゃ、今日はここ、戻る?」
 と訊くと、
「毎日いったんココに帰ってるやろ?」
 なんて憎たらしいことを言いながら、微妙にうっすらと目を閉じた。
 細い顎を指で持ち上げると、首を傾けてじっとする。
 俺はそんな珱の顔を少しだけ眺めて、それから唇にゆっくりキスを落とす。



 あれから5日。たくさんの人のいろんな思いが詰まった俺のクリスマスプレゼントは、あの日から―――――ぶっきらぼうで素直じゃないコイビトの左の薬指に、ずっと嵌ったままでいる。



end


 新婚さん〜♪って感じで。あっはっは。あー恥ずかしい…。
 2002年1月、ラヴソニ初のURL請求制企画として発表した"MerryMerryMiracle" 拡張版、斎バージョンのお味はいかがでしたでしょうか?
 onyx10として"MerryMerryMiracle"を出したときからこの顛末話はネタとしてあったのですが、タイミング悪く(?)「卒業」と重なってしまい、この両者の凄まじいギャップにも覚悟して耐えてくださる方にのみ、読んでいただいたのでした。
 半年経ってようやく一般公開。お客様の数がまだ3000人に満たなかった当時、「読んでみたい」と名乗り出てくださった方々がいてくださったことは今も心の支え。本当にアリガトウございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします!


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