波乱のクリスマス。
というより、俺にとっては混乱と動揺と……ちょっと自分で信じられないくらいの……斎に対する気持ちを思い知った夜。
胸が潰れるかと思った。斎が俺のために買ってくれた指輪を、薬指に嵌めてもらった時。
約束とかそういうものが欲しいわけじゃないけど、斎が俺のこと考えながら一生懸命選んでくれたって……そのことが素直に嬉しい。
斎の髪を握り締めるとき、堪らなくなって大きく首を振りながら薄く目を開けるとき、銀色に光るそれが何度も霞む視界の中を近づいたり、離れたり。その度に訳もなく心臓がキュッと鳴った。
知らないうちにどんどん大きくなってた大切な人の存在を自覚したこの夜のこと、俺はきっと一生忘れないと思う。
頬に指が触れる感触で目が覚めた。斎が俺のくしゃくしゃになった髪を弄ってるんだろう。外はまだ真っ暗。とりあえず朝ではないらしい。
大きな波に体ごと攫われるみたいな時間が過ぎたあと、こうやって触れられるのは嫌いじゃない。指が触れるたびに胸の中に暖かいものが染み込んできて、照れくさいけど安心して、いつもあっという間に眠り込んでしまう。
……………が、今日はのんびり眠りこけてる場合じゃないんだな、これが。
静かに瞼を上げて、幸せそうな顔で俺にイタズラしてる斎の視線をしっかり捉える。顔は当然笑ってもいなけりゃ、嬉しい本音なんか欠片も出さないよう、思い切り眉を顰めて目の前の脳天気な顔を睨みつける。
さしもの斎も俺の発するそこはかとなく不穏な空気に気がついたのか、心なしか体を引き気味に「ン?」てな顔で眉を上げた。この狭いベッドのどこに逃げられる訳でもないんだけど。
「お前な、ホンマに美帆さんとかに、俺らのこと言った?」
斎の動きがぴたっと止まる。表情も凍る。まるで一時停止したビデオ画面だ。……正直に答えろよ? 怒んないから。
「俺がお前のこと、好きなのは言った」
「お前がって、ソレどういう意味」
だから怒ってないから、そんなに怖がんなくても大丈夫だって言ってんだよ。
「そのまんま、字の通り。おまえのこと好きかって聞かれたから、ウンって」
なぁ斎、俺は決して怒ってない。 ……呆れてるんだよ………………。
「あっきれた……」
気持ちがそのまま言葉になって口から零れた。自慢じゃないが、この俺がこんなに素直に気持ちを表すことは滅多にない。
「自分のことだけ言ったんか」
声のトーンがぐっと下がる。自分では予想していなかった心の動きに少し戸惑う。
俺は……
斎がちょっと困ったように眉を寄せた。
「そりゃ、お前のこと俺が勝手に喋るわけにいかないだろ?」
呆れたというより、……ショックを受けたんだってことに気がついたのは、一瞬あとのこと。
思考回路のブレーカーがいっぺんに落ちた。斎は自分のことだけ、俺のことを好きってことだけ言ったってコトか。俺のことは言ってないって?
そんなのって、ありかよ…………?
「しばらく、オマエとは口、きかん……」
後悔するのが分かってて意地を張るのは、俺の悪い癖だ。
斎を責めるのは筋違いだ。斎は俺のことを思ってそう言ってくれたんだし、今までの俺なら本当に怒っていたかも知れない。
これは、だから……俺のわがままだ。
嫌ってほど分かってはいる。だけど一瞬にして地の底まで落ち込んだ気分を、自分でどうにも出来なくて……………
斎が俺たちのことを『恋人同士だ』って言わなかったことにこんなに腹を立てるのは。
紛れもなく俺の八つ当たりだ。
(1)
朝早くから起き出して、えりかの見舞いに行くために家を出た。斎とは夕べから一言も口をきいていない。
呆れているのか諦めてるのか、斎のほうから無理に話かけてくることもなくて、そうなると俺たちは本当に会話というものがなくなってしまう。
出掛ける直前、先に部屋を出ていく斎の背中をぼんやり見つめながら、ポケットから昨日貰った指輪を取り出す。手のひらの上で転がしてしばらく眺めて…………やっぱりポケットにしまい込んで、靴を履いた。
「よぉ、元気そうじゃん!」
「元気なわけないでしょぉ……? お腹切ったんだよ、あたしっ」
昨夜店で急に倒れて病院に担ぎ込まれた割に、えりかの声も表情も思ったより元気そうで、少しだけほっとした。
俺と斎は家からも店からもちょうど真ん中あたりにある、えりかが緊急入院した救急病院の病室にいる。朝から瀬田兄に電話して病院の場所を聞き出して、とにかく飛んできた。
「具合どうや?」
ベッドサイドに立って顔をのぞき込むと、えりかは「全然、平気っ」と言いながら普段よりもっと明るい笑顔を見せた。
そんなわけない。昨日の今日だぞ? しかも年末。下手をすれば正月を家で迎えられるかどうかすら危ういはずで。
思ったことが伝わったのかどうかは分からないが、えりかはさらに声を張り上げてにこっと笑った。
「ぎりぎりセーフでお正月家に帰れるかもって、先生言ってたし」
「そっか…………」
それを聞いてようやく俺も肩の荷が下りたって感じがした。いくら盲腸とはいえ、いくらたくましいえりかとはいえ、このまま正月を病院で迎えるのはやっぱり寂しいに違いない。
と思ったらえりかはそんなこと全然堪えてないみたいにケロッとして、
「だから窪塚くんも気にしないのよ?」
なんて言いながら、どさくさに紛れて俺の手を取ってぎゅうっと握りしめる。
…………おい。
ちょっと焦ってこっそり斎を盗み見ると、意外と平然とした顔をしていて、見てみない振りしてるみたいで……むかついたからそのままにした。
なんとなく、アッタマ来る、……気がする。
別に気にして欲しいわけじゃないけど、見ない振りすること無いんじゃねぇの? やだったら言えばいいだろ。俺に触るなって、……って俺、一体なにを考えてんだ?
何だかまるっきり子供みたいだ。自分で自分の考えてることがさっぱり分からない。
夕べ美帆さんたちにバレたのかもって知ったとき、正直言って困った。
明日からどんな顔してみんなに会えばいいのか分からないし、斎が店に来ようものなら、恥ずかしくて仕事にならないだろうとも思う。
でもそれを嫌だと思う気持ちは不思議なほど、無い。
むしろ嬉しいような気さえする。嬉しいっていうのはちょっと違う気がするけど、ホッとしたっていうか。
動揺と混乱の嵐が過ぎ去った後に思った。
俺は斎のこと好きなんだし、その気持ちに嘘はないし、それをわざと隠すようなことはしなくてもいいのかな、なんて。
自分からわざわざバラすことはなくても、斎が俺たちのこと誰かに話したいと思うなら、それもいいんじゃないかって。
だから覚悟を決めようって思ったのに、……………肩透かしを食らった気分。
斎の一言が、俺をどん底に叩き落とした。
俺の手を握って離さないえりかの手のにさらに力が込められて、ハッと我に返たら、ぼんやりしている間に斎とえりかの話題は「ぶっ倒れたえりかを誰が運んだのか」なんてところに進んでいた。
「ちゃんとお前が運んだの?」
斎が明るい顔で脳天気に聞いてくる。そういうのも平気な訳か。ああそう。
「…………瀬田兄が……」
ポツリと言ったら、静かなはずの病室にえりかの甲高い悲鳴が響き渡った。
「ガ―――――ン」
えりかは手足を精一杯バタバタさせて悔しがってる。悪いけど俺はパニクってて、そんなこと思いつきもしなかった。…………ゴメン。
それにしてもコイツ、腹痛くないのか?
なんて思った途端、えりかは突然おかしな声を上げて黙り込んだ。
「………………あれ?」
俺をじっと見つめたまま、唐突に訳の分からないことを言い出す。
「斎くん――――お花、生けてきて」
斎の方をまるで見向きもしないで、だ。
こんなにじっと見つめられたら、目を逸らすことも出来ない。どんどんしかめっ面になっていくえりかの顔を見ていたら、俺のほうが悪いことをしてるみたいに思ってしまう。
斎が不審そうにいろいろ聞き返すのに、えりかは全く取り合わないで、けんもほろろに文字通り病室から斎を追い払った。
そうだ、『追い払う』という表現が一番はまる。…なんで斎だけ?
嫌ぁな予感がして、ちょっとよそ見していた視線戻すと、毛の逆立ったハリネズミみたいな雰囲気のえりかの姿が目に入った。
これは、相当ヤバい、ような気がする…………。
「斎、行かんといて。ここにおってくれ」………なんて俺に言えるはずもなく。
縋るような気持ちで顔を上げると、ちょうどこっちを振り返ってる斎と目が合った。
しょうがねぇな、とでも言いたげな苦笑いの表情。
そして俺の願いも空しく、大きな背中が視界の中をゆっくり遠ざかる。
いつもなら知られたくないことまで知ってるくせに、なんでこんな肝心な時に限って伝わらないんだろうな?
視線は俺にしっかり合ったままなのに、斎が部屋を出ていったことは分かるらしい。斎の姿が見えなくなると同時に、えりかが叫んだ。
「まこちゃんっ!」
「なんだいっ?」
同室の患者の中でも一番年上に見える女の人が、勢いよく返事をした。見るともう体は半分ベッドから降りかけてる。まさかと思うけど自分の出番が回ってくると思って、待ちわびていたんだろうか。
おい〜…………。
「さっき出てった子、出来るだけゆっくり帰ってくるように言って。っていうか、引き留めてっ。あたし、この人とすっごく大事な話があるの。お願いっ!」
「まかしときなよ」
まこちゃんと呼ばれたおばさんは病人とは思えない元気な足取りで、あっという間に病室を飛び出して行く。
何で自分が?とか思わないんだろうか。ノリが良いというか、人が好いというか……って感心してる場合か?
そしてまた病室に静寂が戻る。これから何が起こるんだろうという不安を否が応でも呼び起こす、えりかの不穏な目つきを除いて。
「ね、窪塚くん」
「ん?」
「座ろっか」
「はぁ、……」
仕方なく傍にあったスツールを引き寄せて腰掛けた。もちろん左手はえりかにしっかり握られたままだ。
ときおり指がごそごそと動いて、何かを探すかのように俺の手の上を滑る。
少し間を置いて、なんとも悲しげなため息と共に、
「やっぱ、振られちゃったのねぇ〜……かわいそうに」
えりかはしみじみ呟いた。
(2)
「斎くん、あんなに一生懸命だったのに敢えなく玉砕かぁ。やっぱりねぇ」
ちょっと待て。――――いったい、なんの話だ? いや、そうじゃなく。
「あの指輪、高かったんだよぉ? せめて一回くらいつけてあげてもいいんじゃない?」
椅子から―――――転げ落ちるかと思った。
「な、なにっ? なんの話や? ちょお、待てや。お前がなに言うてるのか、全然わからんっ」
ダメだ俺、完全に声がひっくり返ってる。
えりかはまたため息を吐いて、首をプルプルと左右に振った。
「いいよもう、分かったから。ひとみちゃんもケイコも、あっちゃんもダメだったけど斎くんならもしかして…って思ったけど、やっぱ無理だよね、ウン」
ウン、じゃないだろ、オイ。そもそも、元はといえば、
「お前らが仕組んだんやろうが」
「違うよぉ。斎くんが窪塚くんのこと好きなんて言うからだよ」
えりかが自分の顔の前で左手をひらひらさせて異を唱える。
「窪塚くんのこと好きなのって訊いたら、素直にウンって言うんだもん。応援するっきゃないじゃない? それでさー、みんなで苦労してサイズ調べてコレだもん。あたしまで悲しくなっちゃうよ」
「……ふっざけん、な…………っ」
「斎くんはマジだよぉ」
「そうじゃねぇよっ」
自分でもびっくりするほど大きな声が出てしまった。えりかが一瞬息を飲んで、目を瞬かせて俺を見る。
バレてもいいかなんて一瞬でも考えてた俺はいったいドコへ行った? こんなふうに面と向かって言われると、絶対に素直に返せなくなるのは俺の一番悪いところで、ダメだと思うのに止まらない。
斎は振られたわけじゃない。もちろんアイツだけが一方的に俺のことを好きなわけでも。俺が今この世界でたったひとつ掴みたいのは、斎の手で。でも、それは、
「お前らにはっ……、関係、ないやろ…………!」
えりかの手の力が不意に緩んだ。
「関係ない、かぁ…………」
呟いた口調は決して非難めいたものではなかったのに―――――
胸を細い針で突かれたような痛みが走る。
「関係、って言われたらなんにも言えなくなっちゃうな」
でも、と囁く声に苦笑いのようなニュアンスが混じる。
「これってただのお節介なんだけど、窪塚くんには迷惑なことかも知れないけど、心配してる人は沢山いるよ? 二人がどうこうって言うんじゃなくてさ。もっと、なんていうか……下らない冗談言って笑ったり、たまには悩み事うち明け合ったりさ、そういうことしたいなって思う。好きなの、窪塚くんのこと。気になるんだもん」
真剣な眼差しが真正面から返ってくる。いつもの軽い口調とは全然違う、怒ったような声音でえりかがぼそっと呟いた。
「好きだけど、あたしじゃないなって思って、斎くんの前ではすごく自然に笑ったりするし、そういうの見てるのが嬉しかったの。ずっとそうだといいなって、……思ったんだもん」
言ってから自分でびっくりしたのか、毛布から少し覗く首元までかすかに赤く染めて、慌てて俺の顔から目を逸らす。
「やだっ、あたしなに言ってんだろ? ごめん、今のはぜんぜん深い意味じゃなくてさっ…」
目を細めて照れる表情が斎のそれと重なる。
えりかが冗談めかして俺のことを『好き』って言うのが実は本気なのかも知れないということは、なんとなく感じてた。気づいても俺にはどうしようも出来ないから、気がつかない振りをしていただけで。
もしかすると俺と斎の関係が少しずつ変化していくのを一番敏感に感じていたのは、えりかなのかも知れない。
俺すらまだ、自分の本当の気持ちに気づいていない頃から。
斎もこうやって俺のことを一生懸命見つめてくれた。なんの衒いも思惑もなく、俺のことだけを考えて。
だから素直になれた。
『好きだ』って言ったら楽になった。息苦しい毎日が嘘みたいに消えていった。
えりかはあの時の斎なのかも知れない。
もしかしたらえりかとは、友達になれるかも知れない。
いろんな思いが一度に頭の中を駆けめぐる。
そんなことを考えながら……
「俺も、……アイツのこと、好き、やから…………」
言葉は上手く繋がらなかったけど、ちゃんと言えた。
「好きなん、すげぇ……。指輪くれた時、めっちゃ嬉しかって。でもアイツ、お前らに俺らのことちゃんと言わへんかったんが、なんかショックで……」
「ふたりは両想いなんだぞーって?」
「う…………」
「聞かなくても知ってるよ、そんなこと。バレてないとでも思ってたの?」
ケロリと返されて二の句が継げない。こんなにはっきり言われたら恥ずかしさ倍増、とてもじゃないが平然となんてしていられない。大体こんな恥ずかしいことを誰かに素直に話したのだって、生まれて初めてなんだから。
大きく口を開けたまま固まってしまった俺の姿がよっぽど可笑しかったのか、えりかはびっくりするくらい大きな笑い声をあげて、途端にぎゃっと呻いて顔を顰めた。
「いっ、た〜〜いっっ」
この世の終わりみたいな、情けない泣き声を洩らす。
当たり前だよ。いくら小さな傷とはいえ、まだくっついてないんだから。
「おい、笑ったらマジで腹開くんちゃうか?」
「ソレだけはいやっ」
真剣な顔で言い返してくる。その表情がなんとも可笑しくて……自然に笑いが込み上げた。
いったん笑い出したら止まらなくなって、必死で堪えようと息を詰めるのに全然効果が無い。笑うなってムッとしてたえりかも、いつのまにか一緒になって笑ってる。俺の顔を見返しては吹き出して、時々思い出したように腹を押さえて痛がりながら。
ここは一応病室で、本当はこんなに大声で騒ぐ場所じゃない。でも俺たちは肩で息をするくらい笑った。
えりかは目に涙を浮かべて爆笑する間中、俺の手を握りしめて離さなかった。
「指輪、置いて来ちゃったの?」
やっと発作が収まって、えりかが俺の顔を見上げながら訊く。
「ちゃんとしてあげなきゃ、拗ねちゃうよ? ああ見えても斎くんて、けっこう気にするヒトなんでしょ?」
「……ポケットにある。朝外して、そのまま持ってきた」
「マジ?」
えりかは心底呆れた、と言わんばかりにため息を吐いた。
「もう、ほんとに子供みたいだなぁ。うれしいんでしょ? だったら素直になんなきゃダメじゃん」
「ケンカしたからな」
俺だけが一方的に腹立ててたんだけど。
右手をポケットに突っ込んで指輪を取り出す。貰ったばかりのそれはまだ傷ひとつついて無くて、ずっとしまい込まれていたせいか少し温かかった。
「して見せて?」
言われるままえりかの手を解いて、緊張しながら左手に銀色の塊をそっと押し込む。それは昨日斎が嵌めてくれたときと同じ感触で、薬指にすっと収まった。
「似合う〜」
俺の指と指輪を一緒に撫でながら、えりかがニヤニヤ笑う。人ごとなのに自分のことみたいに嬉しそう。さりげなく「ウレシイ?」なんて訊かれて、「ウン」と素直に頷いてしまう。
好きってなんだろ?
好きになることも好きになられることも、あったかい気持ちも切ない気持ちも斎がひとつひとつ俺に教えてくれた。
俺は斎のことが好きで斎は俺のことが好きで、えりかは俺が好きって言う。
みんな誰かを好きなのかも知れない。いつでも誰かのことを考えて、嬉しくなったり泣きたくなったりしてるのかも知れない。
今ならそれが分かる気がする。
だから俺が、どさくさに紛れて「俺は斎のことが一番大事やから」なんてことをつい口走ってしまったのは…………
俺のこと『好き』って言いながら、一生懸命自分以外のヤツを応援してるえりかのお人好し加減に泣きたいくらい感謝してる気持ちと、……「ゴメン」って気持ちが溢れたからだと思う。
と、いきなりえりかが叫んだ。
「と言うわけでっ、話済んだから、連れてっていいよっ!」
「……は?」
聞き返すより早くベッドを仕切っているカーテンが勢いよく開けられて、あっという間におばさんたちがなだれ込んで来て。
気がついたら俺は病室の真ん中に引きずり出されて、動物園のクマ状態。全方位を女の人に囲まれて、質問と感想と後はなんだか訳の分からない意見やらなんやらに晒された。
「えりかっ、オマエ〜……っ」
俺が睨んだくらいじゃえりかの鉄壁の笑顔はびくともしない。ニヤニヤ笑いながら面白そうに眺めるだけで、全然助けに入る気はなさそうだ。
クッソ、えりかのヤツ〜っ! この人たちは一体なんなんだ!?
「なんやねん、これっ。お前、なに考えて……っ」
俺はまだお前にアリガトウも言ってない。それぐらいちゃんと言わせろ、馬鹿野郎!
おばさんたちの隙間から見えるお気楽な顔が、にっこり笑う。
「窪塚くんってすごく格好いいんだよって言ったら、見せろとか触らせろとかウルサイ、ウルサイ。ま、サービス業の練習と思って、我慢、我慢」
我慢、…………出来るわけねぇだろ!?
俺の困惑をものともせずに、あっちこっちから声が飛んでくる。手を引っ張られて指輪をひとしきり点検されるわ、肩やら顔やらに手を伸ばしてため息を吐かれるわ、やりたい放題だ。呆気にとられて怒り出す気力を失いかけたところに、ひときわ大きな怒鳴り声が響き渡った。
「たっだいまっ!」
声のした方を振り返ると、斎の後を追って出て行った『まこちゃん』が入り口に立っているのが見えた。
ということは……
自然に目が大きなシルエットを探し出す。なんだか本当に長い時間会わなかったみたいに感じる斎の顔は、見るからに上機嫌で…………
その手はしっかり『まこちゃん』の手と繋がれていて。
…………俺はそのとき心に決めた。
なぁえりか。感謝するよ、マジで。
素直な気持ちってこういうことを言うんだな。今、分かったよ。
素直になってやろうじゃねぇの?
何より、このどうしようもない地獄の修行から抜け出せそうなのが一番ウレシイよ。
(3)
「帰るぞ」と斎が声を掛けるのについて急いで病室を出る。軽く頭を下げるとどこからともなく拍手なんぞ聞こえてきた。
まだ昼を過ぎたところなのに、なんだかすげぇ疲れたなぁ……。
エレベーターの扉の前に立って、ケージが降りてくるのを待つ。
斎はまだ俺が怒ってると思っているんだろう。俺をちらっと横目で見ている気配がするのに、話しかけて来る様子はない。
エレベーターが到着して、軽い緊張を覚えながら乗り込んだ。
心臓が馬鹿みたいに早鐘を打つ。気づかれないように、さりげなく斎の左側に並んだ。
扉が閉まるのが妙に遅く感じる。グレイの縞模様の入った鉄の扉が完全に閉まって、ケージが動き出した瞬間に…………
斎の大きな手を取って指を絡ませた。
斎の指が何かを確かめるように動く。重なる掌に力が入る。俺ももう一度強く握り返す。
エレベーターがゆっくり俺たちを運んでいく。機械が動く重そうな音で斎の振り向く気配がかき消された。
急に恥ずかしくなって、いきなり手を振り解いた。素直になるのも楽じゃない。慣れてないからな。
一階に到着しても突っ立ったままの間抜けな顔に思わず苦笑する。……そんなに驚かなくてもいいと思うけど?
しょうがないから、「帰んねやろ?」と声を掛けると、呆然とした表情のまま何とも頼りない「ウン」が返ってきた。
「えりかにな、……言ったから」
バス停まで歩く間、タイミングを見計らってなんとか話をする。
斎にしては珍しく「何を?」とも何とも訊いてこない。俺が指輪をしてるのがそんなにショックだったのかよ?
「指輪、なんでしてへんのって、怒られて」
「うん」
「俺も、好きや、って……言った」
俺も好き。すげぇ、好き。
「……マジで……?」
マジだよ。
俺もお前のこと好きだって、ちゃんと言えたから。
立ち止まってゆっくり振り返ると、相変わらず目を見開いたままの情けない顔が目に入る。
感情をダイレクトに表す大好きな瞳。見上げると必ず目が合うこと、とっくの昔に気がついてた。
いつも見ていてくれる。いつも大切にしてくれる。だから。
斎にちゃんと見えるように、目の前に左手をかざした。
「コレ、すげぇ嬉しい。……大事にする…………」
お前が俺を大事にしてくれるみたいに。
って、言えたらもっと良かったんだろうけど、―――――言葉にならないまま、空気の漏れる音に変わる。
今日はここまでで勘弁な。ちょっと、倒れそうなくらい照れくさいし、それに。
お前が『まこちゃん』と手を繋いで帰ってきたこと、俺はマジでアタマに来てるんだから。
そういうの、すっげぇムカついて拗ねたくなるのも、…………素直になるってコトだろ?
エピローグ
病院の消灯は早い。9時には強制的に病室内の電気を落とされて、手元を照らす読書灯だけがぽつりぽつりとそれぞれのベッドの端に灯る。
手を伸ばして小さなスイッチを押して、そのわずかな明かりを消した。
いつもならこれからドラマタイムで忙しいんだけど、今日は何だか早く眠りたい気分。あたしは布団を肩まで引っ張り上げて、枕の真ん中に頭を乗せ直した。
今日はいいコトしたな、って自分をちょっと褒めてあげたい。それにとっても得した気も。真っ赤になって俯く窪塚……ううん、珱くんの顔なんて初めて見れたし。……今日は特別に『珱くん』って呼ばせて貰うからねっ。
『俺は、斎のことが一番大事やから』って呟いたときの珱くんは本当に可愛かった。いつものぶっきらぼうな仮面が外れて、本物の珱くんの表情が全部出てて。
ダテに好き好き言ってたわけじゃないから、珱くんのちょっとした表情の変化でもあたしにはすぐ解る。あれはホントの本気。
だから大丈夫だなって思う。
照れ屋だから愛想無いけど本当は優しい珱くんだから、好きな人としあわせになって欲しくて、いらないお節介って分かってて口を出さずにいられない。
応援してるからね。斎くんを逃すなよ!
「あ〜あ、ホントに好きだったんだけどなぁ………………」
思わず声に出て自分でびっくりして、あたしはいい匂いのする上掛けを頭の上まで引っ張り上げた。声が漏れたらみんなに心配させちゃうかも知れないから。
固く瞑った瞼の裏側に、真っ黒の綺麗な瞳がちらちらする。その顔はちょっと恥ずかしそうに俯いて……その場にいない大好きな人のことを考えてた。
そりゃ斎くんも珱くんも、初めからだーれのことも目に入らないワケよね。あれだけあからさまにラブラブじゃ、割って入る隙間なんかないって、真美ちゃん。頑張れっつってもねぇ、やっぱちょっとは可能性感じないとソレは哀しいでしょう、女として。
てなわけで、これにておしまい。ジ・エンド。はい、お疲れさま。
メインスタッフはいいとしてこのこと知らない臨時バイト、きっとまだまだ討ち死にカウント上がりまくりなんだろうな〜。
……ありゃ。瞼になんか盛り上がってきた。
あー、やばい。コレはちょっと止まんないかな。鼻も痛いよぉ。
胸がきゅーんと痛むくらい綺麗な珱くんの笑顔を思い出しながら、あたしはあっけないくらいはかなく散った自分に向けて、ちょっぴり……ほんのちょっぴりだけ、あったかい涙を贈ってあげることにした。
end
"MerryMerryMiracle" 拡張版、珱バージョンでございます。
文字通り番外編であるコレをどうしても書きたかった理由……それはすべてココに集約されていると言っても過言ではありません。
そうです。やきもちを焼く珱さんをドウしても書いてみたかったんです_笑。
あのひねくれ者がどうやって変わっていくかっていう、それはやっぱり日々の積み重ねの賜物なので、こうやっていろんなヒトの手を借りて大きくなってるんだよーっていうのが伝われば、こんなに嬉しいことはないです。
そしてやっぱり中学時代は書いていて楽しい。コレに尽きます!