| Day
After Day 呼ぶと、ふわりと顔を上げた。 宝石のように光る瞳が俺を見る。その瞳に向かって、ベランダの手摺りから身を乗り出して手を振った。 いつも思う。なんてきれいな色をしてるんだろう? まるでこの世のものじゃないみたいだ。透き通っているのにどこか強い。まっすぐにその対象を見返してくる。 初めて見たときからずっとこの瞳が好きだ。 太陽が眩しいんだろう、少しだけ目を細めてそれから唇が少しだけ上向きになる。笑顔を見せるのが照れ臭いのかな? 平日にしては珍しく表に人がたくさん歩いてるしな。 それでも俺を認めるとちゃんと笑って返そうとする。あいつにしては精一杯の努力だ。 「おかえり〜」 声を掛けるのに返事をしない。返事をしないのに目はずっとこちらに据えたままだ。 だから、そういう顔はちょっと怖いっていつも言ってるだろ。俺以外の奴にそんな顔するなよ、きっと怯むから。 と思ったら、さらに怖さを増した顔で口を開いた。 「降りてきて手伝えや。重いっちゅうねん」 両手に持ったビニール袋をガサガサ揺らす。あとはエレベーターで部屋に戻るだけなのに何をとぼけたことを言ってるんだか? だから俺が来るまで買い出しに行くのは待てって言ったのに。 「さっさと上がって来た方が早いじゃん」 わかっていてちょっとした意地悪。あいつに言わせるとイケズとか言う。 その他にもホカスとかイラチとか、聞いたことのない単語は全部あいつの口から憶えた。意味は何とか解るようになったけどまだサラッと使えない。学校の友達の前でうっかり言っても全然通じないし。 そう言えば 散髪のことを「アタマを切る」とも言う。「今日、アタマ切りに行ってくるし」って。これは日本語としては絶対おかしいと思うんだけど、いつの間にか聞き慣れてしまった。 「イヤ。疲れた」 とうとう拗ねてエントランス前の花壇の縁に座り込んでしまった。 思いっきり不機嫌そうに顔を顰めて煉瓦で出来た囲いにドカッと腰を降ろすと、足を揃えてにょきっと前に投げ出した。 俯いて、そのままじっと動かない。通り掛かった知らないおばさんがおかしそうに頬を弛ませてあいつの横を通り過ぎて行った。 このまま放っておいたら暗くなるまでずっとそうしているかも知れない。あいつはそういう奴だ。 まったく子供みたいなんだからな。 「しょうがねぇな。ちょっと待ってて、すぐ降りるから」 「早よせぇよ…」 下を向いたままぽつりと呟いているはずなのに、その声はびっくりするほどよく通る。現に俺は普通より大きな声で喋ってるんだから間違いない。 急いでスニーカーを引っ掛けて非常階段を駆け下りながら、これって周波数の問題なのかな、なんてよく知りもしないのに考えた。 「ほーら、立って。なに拗ねてんの…」 駐輪場の脇から正面玄関に回り込むと、あいつはそのまんまの格好でまだ蹲ったままだった。 目の前に立って右手を差し出しながら、日射しに溶けて少しだけ茶色みの増した長めの髪に向かって話し掛ける。 「昼飯は俺が作ってやるから。その代わり何が出てきても文句言わずに食えよ?」 そこまで言ったらようやくゆっくりと顔を上げる。 強くて脆くてたまに呆れるほど頑なで。 最初は噛みつかれた。初めて一緒にメシを食いに行くのに冗談じゃなく1ヶ月掛かった。そのうちだんだん馴れてきて、自然に隣に座るようになった。 今は…… 怒ったように装いながら俺の差し出す手をあたりまえのように掴む。よくぞここまで来たよなーと、一瞬しみじみ感慨に耽ってしまった。 「えー…。食えるもん作れよ、具入れるだけの冷麺買ってきたから」 「オッケー。俺が作る特製冷麺、メチャクチャ旨いの知らないな?」 「誰が作ってもおんなじ味やと思う…。インスタントやもん」 「それが違うんだよな。まぁ見てろって」 「ふーん…」 可愛くないことをブツブツ言いながらも、顔は微妙に笑ってる。嬉しいときにはこんな顔。 ようするにちょっとワガママを聞いて欲しかっただけみたい。 しょうがないから今日の所は黙って聞いておいてやろう。こんなふうに素直に甘えてくることは滅多にないから。 ずっとこんな毎日が続くと良いのにな。 夏休みもあとわずか。もうすぐ学校が始まって、俺は今までよりもっともっと忙しくなる。朝から晩まで一緒にいられる日はそう多くはないだろう。 受験やクラブやその他もろもろ。どれも俺にとって疎かにしちゃいけないことだから、それにある程度の時間を取られることは残念だけどしょうがない。と言っても不満なことに変わりはないけど。 満足そうな顔で俺を見上げながら「サンキュ…」って小さな声で言う瞳を見つめていると、こうして珱をずっとずっと眺めていられる嬉しさと、自由な毎日がもうすぐ終わってしまう寂しさとが一度に襲ってきて、ほんの少しだけ切なくなった。 end ちなみに「特製冷麺」は口からでまかせ。…斎ってこういうヤツです。 020820 |