ごそごそと遠慮がちな物音で目が覚めた。
 今は何時くらいなんだろ?
 部屋が暗くて、枕元の時計がよく見えない。空気がわずかに湿ってる感じ。外は雨が降っているのかも知れない。
 夜が明けてまだ間がないんだろう、白い木綿のカーテンは薄灰色に染まったままだ。

 音のした方にぼんやり目を向けると、斎が服を着替えているところだった。
 最近お気に入りの明るいグリーンのシャツをきちっと着込んで、あと数分で部屋を出て行くはず。眠ってる俺を起こさないように、そおっと顔を覗き込んでから。
 斎が着てるのは先々週久しぶりに一緒に外出して、試着させたらあんまり似合うから、「いらない」っていうのを俺が無理矢理買ったヤツ。なんだかんだ言って本人も気に入っているらしく、自分でせっせとアイロンを掛けては、しょっちゅう着て出てるみたいだ。
 斎は肩幅が広くてぱりっとしたコットンシャツがよく似合うから、斎がシャツを着ている時は、何となくじっと見つめてしまう。
 やっぱ、無理にでも買って正解。自画自賛みたいで照れ臭いけど。



 そう言えば今日は新店舗の搬入だから早朝出勤だって、昨夜ぼやいていたコトを思い出した。
 口でぶつぶつ言うワリにすいぶんと嬉しそうだったのは、新しい店というのが斎が初めて内装から商品構成までを全面的に任されたものだからだ。入社三年目でそこまで大きな仕事をさせてもらえるのは、決して次期社長という肩書きだけでなく本人の努力によるところが大きい。
 『俺もおまえに負けてらんないから』
 そう言って、斎は社内のすべてのセクションを経験するために、入社当時からずっととんでもなく忙しい毎日を送っている。
 一年目はまっさらの新人だったからもちろんのこと、二年目は二年目で自分の担当だけじゃなく後輩たちの面倒まで見たりと、やっぱり忙しさは変わらなくて。三年目の今年は初めて念願の、企画から立ち上げた新店舗がオープンする。



「あ、ごめん、…起こしたか?」
 上掛けの下で少し身動いだから気配に気が付いたらしい、斎がジャケットに片腕を通したまま身を捩った。
 振り返って、そのままの恰好でベッドサイドに近づいてくる。
 大きな影が視界を覆う。ゆっくり体重が掛けられて、ベッドがわずかに軋む。条件反射のように目を閉じると、上掛けをひょいと下げて―――――穏やかな息遣いが近づいた。
 すうっと、呼吸するように、唇に斎の唇が降りてきた。
 二秒くらい留まったあと、悪戯がまんまと成功した子供みたいに、得意そうな顔でにんまり笑う。
 アホ斎。―――――朝っぱらから。しかも着替えしながら?
 唇が離れる時にかすかにミントの香りがして、自分の状態にようやく思い至った。
「起き抜け…やのに」
「構うか」
 ケロリと即答するから、こっちの方がなんだか照れてしまった。もう一度額にキス。チュッという軽やかな音がくすぐったい。斎はせっかく着たジャケットを床に落とすと、額と額をすりすりくっつけながら、寝ている俺の上に大きな体を被せてきた。
「な、今日、…フツーだよな?」
「ん?」
 よく聞き取れなくて語尾を上げて返すと、斎はちょっと心外そうに眉を顰めて俺を見下ろした。
「まさかと思うけど…事務所とかどっかでパーティーとかすんじゃねぇだろな?」
「ナニそれ」
 悪いけど斎、おまえがナニ言ってんのか、俺には全然わかんねぇよ。
「んな予定は聞いてへんけど? 今日は歌番収録が昼から。途中で取材が2件入って、…3件かな。コウさんがどっかの映像作家に会えていうから、とりあえず5時くらいから会う、みたい。…そんなもんちゃうかな?」
「いつもよりかは、スケジュール楽そうだな」
「まぁな、何より…収録やしな」
 途端に瞳がくにゃっと曲がる。
「おまえの生番嫌いって、ホント変わんねぇよな。デビューから今年で何年目よ。いい加減諦めろ」
「一生変わらん。イヤなものはイヤ」
「この頑固モノ…」
 どこまでも言い張る俺を見つめながら、斎が目を細める。静かに、優しく、クスクス笑う。
 そろそろ出ないと遅刻だよ…と思いながら、なんとなく、もう少しだけ引き止めたい気分。頭の中で秒を数えながら、腕を伸ばして屈み込んでいる斎の首に腕を回した。
「おまえは? 今日忙しいんやろ」
「デパートのインショップだからな、時間が来たら強制終了だろ。スタッフとちょっとミーティングして会社戻って報告書出して、11時くらいには戻れる、…と思う。日付変わるまでには意地でも帰る」
「じゃあ今日は家メシやね」
 言うと、斎はすまなそうに眉尻を下げた。
「豪華ディナーは来週。ごめんな」
「ええって、無理すんな。いつでも、なくてもええから」
「無理じゃないの。俺がしたいの」
 優しく言って、斎は軽く苦笑した。

 時間が合わないことはしょうがない。俺たちの仕事はそれぞれが自分の裁量だけでどうにかなるモノじゃないことは、この三年でよく解ってる。それを寂しいと思う時期はとっくに過ぎた。
 それよりも。
 こうして毎日のことをあたりまえに話したりする、何でもない時間が少しでもある方がよほど良い。

「うちのスタッフはみんなよう知ってるから、祝ってくれるにしても、たぶん早いうちに帰してくれるやろ」
「俺が拗ねて暴れて、パーティー会場だろうとテレビ局だろうと、絶対今日中におまえをかっさらいに行くこと?」
「そうそう、やし、きっと大丈夫」
「んなら安心」
 あははと楽しげに声を立てて笑う。斎も、俺も。

 んじゃ行ってくるわ。
 おう。またな。
 ベッドに潜り込んだまま、名残惜しんでもう一度キスして、斎の背中を見送った。



 今日は俺の誕生日。
 めまぐるしく流れて過ぎていく時間の中で、思い出したように必ず巡ってくる、ちょっとだけ特別な。
 足を止めて、そこに斎がいることを、あらためて誰かに感謝したくなる日でもある。
 もっとたくさんの時間が経っても、きっと俺たちはずっとこんなふうだ。こんなふうでありたいと思う。

 こういうあたりまえの日々が、いつまでも続くといい。
 明日からもまた、斎と一緒に日々を過ごしていけますように。
 誕生日のプレゼントにってひとつだけ願いを叶えてもらえるとしたら、俺がまっさきに思いつくのはそれだ。


 ドアを閉める直前、斎がくるっと振り返った。そして笑った。
「珱、―――――誕生日おめでとう」




end

変わっていくのに、変わらない。たまに思い出したり、感謝したり。(030427初出 031216再掲載)


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