チェリー・ブロッサム  <<< 020323


 春。入学式。プールの脇に隠れるように咲く、最後の桜が風に舞うように散っている。
 植えられたばかりなのか、まだ樹木自体の背がうんと低い。
 あまり日の当たらない場所だからか、見上げる葉先はびっくりするほど間近で、盛りを過ぎて色褪せた淡色を揺らしている。強い風に吹かれればすぐに散ってしまう弱い花びらが、よく今まで保っていたものだと思う。
(誰かが来るのを待ってたのか……?)
 例えばここに佇む自分のような。
 ほとんど無くなってしまった花びらが絶え間なくどこかに流されていくのを見上げながら、朋和はふとそんなことを考えた。
 そんな人間がひとりもいなかったら、この花は寂しいと思うだろうか? 

 校庭はたくさんの生徒達であふれかえって、こんなところにひっそりと咲く桜の木を気に止める者はいない。期待とか不安とかいう、自分を取り巻く新しくて馴染みの少ない感情に捕らわれて、皆それどころではないのだ。
 それはきっと当たり前のことなんだろう。見上げていたあまり背の高くない植木から目を離して、朋和は人の波で埋め尽くされた校庭に目を向けた。
 前々から感じていたことだが、どうも自分はこういう感情の動きが人より少し鈍い気がする。「高校に進学したからって別に今までと変わらないだろ」などと言って、入学式に来たがった叔父夫婦の申し出を断ったくらいだ。
 いつからそうなってしまったのか、思い当たる節はあるにはあるが、別段気にすることもなく今まで過ごしてきてしまった。
 今さらか、とも思う。
 自分でそうなるようにしたんだから。こんなに上手くいくとは思ってなかったけどな。

 お陰で楽になった。
 他人と話をするのが少し億劫になった。
 物事に対する執着心が薄くなった。
 感受性とかいうヤツが多少鈍くなった。 
 ……そんなところか。どれも大した問題じゃない。

 目の前にある木を見つめるともなくボンヤリ突っ立っていた朋和は、突然ハッと我に返った。背後から、空に抜けるような明るい声が聞こえてきたのだ。ぼやけていた焦点がスッキリ合った。
「桜だ……。まだ残ってるなんてすげぇなぁ」
 振り返ると、ぎょっとするほど背の高い少年が朋和を見下ろしていた。
 上級生だろうか? よく見ると身長は朋和とさほど変わらないのに、何だか圧倒される。威圧感とかいうものとは違う。少年の発するエネルギーのようなものが伝わってくるのだ。
「面白いな、アンタ。ひとりで花なんか眺めて。すげぇ目立ってるぞ」
「そうでもないと思うけど? あれだけ人がいるんだ。こんなとこに気がつく方が珍しいだろ……」
 少し面食らいながら、朋和は曖昧に言葉を返した。なんというか……物怖じしない男だ。初対面の人間に、これだけ気さくに声を掛ける奴など見たことがない。
「あ、ごめん、びっくりさせたか? 悪ィ悪ィ」
 朋和の表情に気がついたのか、目の前の少年は人懐っこい笑顔を見せて、
「俺、気になると知らない奴でもすぐ話しかけちゃうの。不気味だからヤメロってよく怒られるんだけど」
 と、頭を掻きながら付け足した。
 大きな体を少し傾けて照れたように微笑む少年の姿を見て、笑ってしまった。確かに不気味だ。でも不思議なほど嫌な気分じゃない。
「誰に怒られるの」
「大好きな奴」
 いっそ清々しいほどきっぱり言い切って、少年は自分とほとんど背丈の変わらない桜の木に目をやった。
「こんなふうに……キレイなんだけど一人なの」
 そう呟く少年の顔が一瞬、何とも言えない表情に変わる。
「誰も知らないんだ、アイツがすげぇ綺麗な奴なんだってこと。隠してる、まだ必死で」
「あんただけが知ってる?」
「……今は、な」
 目の前で散る桜の花を愛おしげに見つめる横顔は、驚くほど大人びて見えた。
「なんか、……格好いいな、あんた」
 朋和が思ったことをそのまま口にする。自分とほとんど変わらない年齢の人間の言葉とは思えなかったからだ。少年が真顔で朋和を振り返った。
「よく言われる」
「ウソだよ……」
「俺もウソついた。ゴメン」
「なんだそりゃ」
 ふたり同時に吹き出して、顔を見合わせたまま声を上げて笑った。
「やっべぇ、俺こんなとこでゲラゲラ笑ってる場合じゃねぇやっ…………」
 笑いながら少年は大事なことを思い出したようだ。
「帰んなきゃ。走って帰るって言っちゃったんだ」
「マジで? すげぇラブラブだな」
「あったりまえっしょ?」
 思わず苦笑いしてしまった朋和を気にする様子もなくケロリと言い返して、少年がやって来た方向へ身体を向ける。
「んじゃ、またな!」
「またなって、オイっ……」
 ちょっと待てと呼び止めるより早く、少年は走り出していた。盛大に手を振る姿が見る見る小さくなっていく。そしてあっという間に朋和の視界から消えてしまった。
 呆れ返って呆然として、―――――朋和はもう一度吹き出した。
 なんてせっかちな奴だよ……。まだ名前も聞いてない。

 本当にもう一度会えるだろうか?
 あいつともっと話がしてみたい。
 突然現れて唐突に走り去ってしまった少年の、一瞬見せた大人びた瞳を思い出しながら、朋和はなぜか本気でそう願った。



 次の日からさっそく通常の授業が始まった。頭に超のつく都内でも指折りの進学校だけあって、1年生だからと言って甘やかしてはくれない。
 前もって配られていたクラス表を頼りに、朋和はHRが始まる直前になんとか自分の教室に滑り込んだ。
 同じ中学からこの高校に来た生徒は3人ぐらいだと聞いている。それなら初めから知っている顔はいないのと同じ。その方が朋和にとっては気が楽だ。
 机にひとつひとつ貼られている名札を見ながら席を探す。ようやく見つけて荷物を置こうとした瞬間、―――――見知った顔が目に飛び込んだ。
「うっそ……」
 桜の木の下で話をした少年がすぐ後ろの席に座っていた。

 さすがに驚いたのか朋和をポカンと見上げて、
「あんた、1年だったのか」
 ……失礼な奴だ。最初にタメ口きいたのは誰だっけ?
「それはこっちの台詞だろ」
 思わずムキになって言い返す。
「あんたこそ老けすぎだっ。どう見ても年上にしか見えねぇよ!」
 途端に少年は何とも愛嬌のある顔でニヤッと笑った。
「よく言われる」
「……だろうな」


「俺、いつき……瀬田斎」
「櫻井、朋和。よろしく……」
「してやろうじゃねぇの?」
「だな」
 昔からの友達のような軽い口調でそれだけ言って、朋和と斎は昨日と同じように顔を見合わせて大声で笑った。
 

end


 彼と彼の出会い編。

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